見出し画像

前回の続きです。 「ベストキッド」のトレーニングは有効か??

前回は1984年にオリジナルが作られ、2010年にジャッキー・チェンが師匠役でリメイクが作られた「ベストキッド(原題 Karate Kid)の劇中での有名なトレーニングは有効なのかについて、まず「特異性の原則」というものの説明をしました。

まだの方はぜひ今回と併せてお読みください。

実は全米では今年の年末に、オリジナルの少年役だったラルフ・マッチオとリメイク版の師匠役のジャッキーがそのままの役で出演する「ベストキッド」の新作が公開決定しているのです。

この明らかに二人が別撮りの告知動画もちょっと笑っちゃいますが・・・
期待しないで公開を待ちたいと思います。
(NetflixかAmazon プライムかな・・・)

と言うことでいよいよ本題です。

ベストキッドのトレーニングは有効なのか??

1984年版でも2010年のジャッキーリメイク版でもどちらも日常的な動作の中に格闘で用いられる体の使い方が含まれているという設定は同じ。

その日常動作を少年は師匠に言われるまま、嫌々ながらも気が遠くなるほど何日も反復練習をする。

しかし「空手」「カンフー」を教えてくれないで、関係ない日常動作だけをやらせる師匠の指導に反発して止めようとしますが、相手が攻めてきた時、その反復した日常動作の中に技が含まれている事を知り、その日から師匠のいう事を聞いてさらに修行に励むわけです。

しかしこんな練習は本当に有効なのでしょうか??

もう答えはお分かりだと思いますが、

もちろん・・・有効ではありません。

その理由を格闘技における「心技体」で考えてみましょう。

心技体で最も重要なのは??

まずは僕の経験を書かせてください。

僕、岩沢が最初に武道・格闘技を始めたのは10歳の時。

空手から始まり、基本的には「ストリート セルフディフェンス」の分野を極めるために、キックボクシング、ムエタイ、ナイフやスティックなどの武器術の鍛錬をしました。

30代後半から40代後半までは、プロのキックボクシングの世界で指導者になり、最終的には弟子をムエタイの世界大会で優勝させることができました。

そして今でも多くの格闘家の方のフィジカルトレーニングを担当しています。
すでに武道・格闘技歴は50年を超えました。

そんな僕が考える「心技体」の中で格闘技において最も重要なのは??

僕は「技」だと思っています。

なぜなら武道・格闘技の世界に生きるなら「心」はあって当たり前なんです。

誤解を恐れずに言えば武道・格闘技とは「人を殺める」行為のシミュレーションなのです。

練習において人と殴り合うことが日常で当たり前の世界。
その中で何度も相手と、さらに自分自身の「死」を疑似体験するのです。
自分の持っている技術が「人を殺める武器なのだ」という自覚。
そしてお互い様で「いつ殺されるかもしれない」という覚悟。

その覚悟と24時間、何年も何十年も向き合っているのです。
平常心の中に「生と死」が組み込まれている。
そんな人間の「心」=マインドセットが鍛錬されているのは当たり前。
心が練り上げられていない人は「死」のシミュレーションとして取り組んでいないからでしょう。


命の遣りとりだと思いながら取り組んでいれば、自ずと体を鍛えることも日常になる。
全身を武器化しないと人は倒せないですから。

「技」によって生き残る

そうなった時、唯一一生を賭けて学び、試行錯誤を繰り返し、仮定と実証の積み重ねて新化し続けることができるのもが「技」なのです。

同じレベルの心と体を持っている場合、技で優る者が生き残る世界。

さらに実戦の場で劣勢になった時、ゼロコンマ何秒の世界で最終的に自分を救うのは技だと考えています。

では「ベストキッド」トレーニングは?

「ベストキッド」で表現されたような方法でその「技」は身につくのでしょうか?
最初に書いたように「無理」だと思われます。

それはなぜでしょうか?

1.練習の目的と方法の乖離

まずこの練習の目的が「筋力」「柔軟性」「持久力」といった「運動能力」「体力」の向上が目的ではなく、相手の技に対する「防御」と「反撃」が目的である点。

つまり「リアクション」→「アクション」の「スキルを身につける」事を目的にしたトレーニングであること。

前回書いた「特異性の原則」で言うと、「リアクション」→「アクション」のトレーニングをするなら、まず相手にアクションをしてもらわないと練習になりません。

防御の型をいくら何万回やっても1人稽古では全く使えないのです。

これはバッティング練習で考えればわかるでしょう。

ボールを打って遠くに飛ばす人になりたいのに、全くボールを打ったことのない人が、布団叩きで布団を叩く練習をしてホームランが打てるわけがない。

まぁ、当たり前の話です。

これは格闘技だけでなく編み物や料理から楽器の演奏まで、あらゆる身体活動における技術習得にも当てはまる考え方です。

「特異性の原則」から考えて、スキルを身に付けたければスキル練習しか方法はないと言うことなのです。

2.格闘技、武術の特異性

ただ格闘技や武術の場合、さらに特異的な問題があります。

目的が「ある設定の中で強くなること」だとしましょう。
それがパンチ技術のみの3分1ラウンドだとしても、なんでもありの1分の勝負だとしても。

ではその設定で強くなるために、その設定のまま、ただグローブをつけて殴り合いの実戦を重ねれば強くなるのか??

それでも何も経験がない頃よりも強くはなるでしょうし、その経験がない全くの素人よりも強くなれるかもしれません。

しかしプロの世界で高いレベルになれるかというとそれも無理です。

なぜなら「技」の積み上げがないから。

技を積み上げるためには

「技」を積み上げるためには「スキル」「テクニック」練習が最も重要です。

そして「テクニック」練習のためには

1.「テクニック」を知っているか?

2.それを身につける練習方法を知っているか?

この2つの「知識」が必須なのです。

日本と海外の比較

ここで日本と海外の格闘技界の比較で考えると、この2つに関する知識ではやはり「海外」の方が上回っているのを認めざる追えません。

なぜそうなってしまうのか?

それは「格闘技」や「武術」の持つ精神性の違いにあるのではないでしょうか?

日本人では「格闘技」をやる人も見る人も「殴り合い」の世界を「精神的に特別な世界」だと捉え、「集中」「気合い」「根性」「精神力」などが必要だと思いがちです。
だから練習やトレーニングでもそれを求める傾向が強く、一つ一つの練習やトレーニングの目的が「特異性の原則」に当てはめると希薄になりがちです。


海外の場合、「集中」「気合い」「根性」「精神力」などが高いのは当たり前。

(いや、まぁそう言うものが根本的にあまりない国民性の国もありますし、全然根性ない人がいるのは海外でも同じですが)

でもそれで精神的に特別な状態を作れば作るほど平常心ではなくなり「スキル」「テクニック」が出せなくなると考えている。

だから普段からリラックスして「テクニック」練習をやりこんで脳と心と体に「平常心」で最高の「テクニック」を身に付けておくことで、実戦の場でも練習と同じ平常心のコンディションで「テクニック」が出せるという考え方です。

ただこれは「スポーツ」「格闘技」「武術」などにおける「指導システム」「組織づくり」の根本的な違いだとも言えますが、それはまた違う機会に詳しく書きたいと思います。

僕の個人的な感覚では「高いスキル」とそれを実践で100%発揮して相手を仕留められる「サイコパス」のようなメンタルを持っている人が一番強い気がします。

でもそんな人が主人公だと誰も感情移入できませんが・・・

ここまでのまとめ

ここまでをまとめると
「格闘技」「武術」を含めた身体活動の「技術習得」で必要なのは「技術練習」

特に「リアクション」→「アクション」といったスキルを身につけるには「型」の反復練習ではなく、実際の「リアクション」→「アクション」の練習が必要。

そのためには指導者、指導環境的に
1.スキル、テクニックを知っていること
2.その練習方法を知っていること

これが「特異性の原則」に則った「技術習得」の方法であり、そう思うと「ベストキッド」方式では実際には技術は身に付かないと言えます。

余談ですが

ではなぜ合理的な技術習得のための「テクニック練習」が盛んなアメリカでこんな映画が作られたのか?

これはより実践的な技術を求める「格闘技ジム」だけではなく、昔は(今も)は盛んだった「Mac Dojyo」ビジネスがあるからなのですが、これもまた別の機会に書きたいと思います。

今回、マニアックな内容でしかも長文なのに最後までお読みいただき、ありがとうございます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?