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プライドより高い壁

最近気づいたことがある
いや、気づいたというより見て見ぬふりをしていたというべきか、そんな自分の事情を再認識したという感じ。自分は、物事に対し貪欲さに欠けるということ
まったくないというわけではない。だが、その貪欲さを貫くには度胸が足りないという致命的なことを忘れていた

思えば昔からなんでも中途半端だった。ある一定のところまで行くと、諦める。諦めるというより、辞めると言った方が正しいだろうか。手が届くところにあっても手を伸ばさない。その先に進む度胸勇気がないのだ

限界を超える一歩が踏み出せない

やりたいことがあっても、いざ目の前にすると怖気づく。なんというか、物事に対し、そこまでの「責任を負えない」ということ。なんでも、ただ「やりたい、やりたい」というだけではダメなのかな~って思っていて
そのことについての覚悟とか、心構えみたいなものが足りない気がしている

少し前になにかで「疲れた」「この歳になって」「お金が無い」という諦めの言葉を自分に刷り込むなというような言葉を目にした。わたしは「この歳になって」という言葉は滅多に使わないが、他のふたつはよく口にしているなと思った。だから、今後は「出来ない」「お金がない」という言葉を使わないようにしようと心に誓った
だが、それは決して「出来るのに」という前提があるわけではない

こころが「貧乏」になってしまいそう

今までのわたしは「やればできる」を無視してきた。面倒くさいこともある。だけど、それ以上に頑張る自分が「恥ずかしい」と思っていることに問題がある。トラウマだろうか? 
いい年齢大人になるにつれ、逃げられない現状が多々出てくる。キャパを超えようが、大人ひととして「やらなければいけない」やんごとなき現実がやってくる。責任感とかつきあいとかをはしょっても、自分がやらなんとかしなければならない出来事だ
「恥ずかしい」トラウマは、親になってからはある程度「克服できた」と思っていたけれど、こと自分の内省にかかると、やっぱり顔を出してしまうらしい。これ、目標を定めても計画倒れに終わるやつ?

どうしよう!?
やりたいことがあってもブレーキがかかるみたい
ちゃんとできていない気がしてならない

そんな自分が常々「イヤだ、イヤだ」と思っていたけれど、ここまでくると「もういいか」と思っている自分もいる。本当はどうしたいんだろう?
でもこの先の自分を考えると、やっぱり足踏みしてしまう。これ、ぶち破るべきなのかしら? だけど、成功の確信のないまま挑戦するって、ちょっと怖い・・・・

あぁ、ここで使ってしまいそう「この歳になって」という貧乏言葉、マイナス宣言。この歳…って、別にそこまで気にしているわけではないけれど、強いて言うなら、この先「あと何年?」って数えてしまうということ
これまでの人生、青春時代を「いいとき」とするならば、10代後半から30代、40代前半くらいまでが動ける年齢だった、、、といえるだろうか。振り返ればそれも年数にすると20年くらい? そう考えると、体調面を省いてもこの先最高で30年生きられるとして、あぁまだまだやれないこともないのか?…とも思える

ぶち破るべきかしら?
ぶち破るべきなんだろうな
出来るかな?
全然できる気がしない
あぁ、わたし成長できていなかった

自分を見直すべきなのかもしれない
なにがベストで、なにをしたら満足が行くのか、これからの課題かなぁ



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たゆ・たうひと
いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです