レースと準備 自分を知ること
私の2025年、最初のレースは地元の佐賀県で行われた伊万里ハーフマラソンでした。
家族、親戚が応援に来てくれるので、いつもとは違う心境で大会を迎えることになりました。と言っても結果を求めるプレッシャーではなく、どちらかというと自分が準備してきたものを披露する時、発表会を前にした子供時代の感覚に近いかもしれません。
どんな結果を出すか、よりもちゃんと準備してきたものを見せることができるのだろうか。それは周りにでもあり、自分自身に対しても「この大会までの準備の現段階の成果はこのくらいだよ」というのを分からせたい、知りたいという思いもあったと思います。
ここ最近のランニングの取り組みで大きく変わってきた点は「この結果を出すためにこの練習をする」から「このような練習の取り組みをしたら自分はどう変わるのだろうか」というところです。
つまり、目標を達成するために練習をするというよりは練習を充実するために目標を用意するというところでしょうか。
ランニングの練習を通して自分を深く知っていく楽しみとも言えます。
自分の身体に意識を向けて練習に取り組むと大まかに今の自分には何ができて、何ができないかが分かってきます。身体は変化するものなのでその日の力を正確にわかることはできませんが、例えば今回のハーフマラソンなら「1時間15分は体調に問題なければ走ることはできる、1時間10分は無理だろう」という現在のラインは分かっていました。
というのも1時間10分で走るには1kmを3分20秒を切って走らないといけないため、1kmを5本が3分20秒でやっとの自分には現実的ではありません。
年末に10kmのレースに参加し34分15秒(1km平均約3分25秒)で走っているので、75分(1km平均約3分33秒)はしっかり走れば切れるの見立てです。
もっと準備をした人ならこの、できるとできないの間が狭い範囲でわかるようになると思います。
が今回の私は8月から11月中旬まで足の痛みが満足に練習できず、ちゃんとした準備が1ヶ月半のため自分をより深く知ることができていません。
走ってみないと分からない、できるとできないの間に広がるグレーゾーンの中に自身の実力が隠されていて、それを知るためには精一杯走るしかありません。
積極性という言葉が用いられることがありますが、できないのラインを見極めながらそこにより近いあたりのペースで走ることこそ、積極的な走りというのだと思います。
学生時代はとにかく速く走ろうとすることを積極性と思い込み、無闇に飛ばして失速した経験は多くあります。振り返れば、自分のできないを準備の中で考えきれていなかった、ただの無謀な走りでした。冷静に考えれば分かることも、感情が高まるとなぜかできるような気がする時があります。
感情をうまく利用することも戦略の一種ではありますが、感情に支配された走りなってしまってはいけません。このコントロールができるのも練習ありきです。
村上春樹さんの言葉に「健康な自信と不健康な慢心は紙一重」とありますが、まさにその通りのように思います。感情的になって無謀な走りをしてしまう理由は後者の状態の時です。
積極的な走りができるのもしっかりした準備により自分を知っているからこそです。
レース中には色んな判断が迫られます。前の集団はペースが少し速いがこの向かい風の状況なら一人になるより前についたほうがいいだろうか、とか
この長い上り坂に対してこれは無理な我慢なのか必要な我慢なのかだろうか、などです。
慌てず、ペースを微調整しながら走る。準備ができているとこのあたりも上手くなっていくのかなと思います。少なくとも2週間前に走った10kmよりは今回は上手な判断を下しながら走れたと思い、タイム以上に成長を感じた部分でした。
残り2km地点では家族、親戚のみんなが応援にいてくれました。もちろん知り合いの前ではいいところを見せたいものです。
準備をしてないと不必要な頑張りを見せようとし、準備をしていると必要な頑張りをより振り絞るというところでしょうか。
残り20kmで時間は1時間8分を過ぎたくらい。これなら1時間12分を切れるのでは。これは思ったよりも速いペースで走っている。
そんなことが頭をよぎり出すと最後の振り絞りが効いてきます。
目標のメリットはこの点だと思います。一番苦しくなった時に目標があるかないかでは振り絞り方が全然違います。目標のおかげでより振り絞ることができ、その結果として「あぁ自分はこんなに頑張れるんだな」という充実感をもたらしてくれます。思っても見なかった自分に出会えた時とでもいうのでしょうか。
結果第一ではなくともやはり目標はあったほうがいいと再認識できた時でもありました。
ただ練習によって自分を知っていく中で身の丈に合った目標を定められるかどうかも大事です。目標設定能力もやはり磨いてこそ身に付くことなのかもしれません。高すぎず、低すぎず。
さて結果は1時間11分54秒でした。2週間前の10kmのペースよりも速く走れたことは少し驚きですが、体力は戻っている過程と考えると10kmのレースがいい刺激になっていたのだと思います。
何より自分がレースに向けて準備することで、それを楽しみにしてくれる人がいるということは嬉しいものです。しっかり準備してそれを披露する気持ちでレースに挑む時、緊張感を持ちながらも穏やかな気持ちでスタートを迎えられると思います。
すごい結果で見知らぬ人に自慢しようとか、あっと言わせようと思うより、気にかけてくれる誰かにちゃんと準備してきたものを披露する。レースはそんな場であってもいいのかと思います。
参加することで新たな気づき、再認識できたことがあった2025年最初のレースでした。