憐れみの3章


今作を撮ったヨルゴスランティモス監督は好きだ
「籠の中の乙女」から全部観ているはず。
まぁそんなおぼえていないのものもあるが

前作の「哀れなるものたち」は本当に面白かった。
監督の毒っ気はプロットの裏側へ行き
存在はしているけど、見えにくい形になっていて非常に観やすいバランスになっていたと思う。

そして今作「憐れみの3章」は
まず予告編を観て、なんの話かわからなかったと思う。
もちろん俺もそうで、観終わった俺から言わせてもらうと
「観ても訳わからん」が結論です。
ただ、つまんないかと言われると、
むしろ、どうなるのか全く予想できないストーリーと
前作で隠れていた毒が前面に来て、あーこっちのヨルゴスね!となり
どんな嫌な映像を見せてくれるんだ?という期待に応える嫌な映像で
終始めっちゃ楽しかったです。
フィルム撮影によるとにかく美しい映像。アカデミー賞クラスの俳優達の怪演で目が離せない

邦題の通り、3章仕立てだが、それぞれは全く違う世界で
俳優は同じだが違う人物を演じている。これらが関係があるのか、ないのかそれさえもわからない。
テーマもわからない。
でもあれはなんだったんだ?とひたすら考えながら見るのが楽しいし、
観終わった後もあーだこーだ言いたい作品。

ひとつ繋がりがあると言えば、R.M.Fという人物。
だが彼については何も分からない。
彼が死んだり、生き返ったりするのはまるで神を象徴しているようで
彼を巡って右往左往するから愚かな人々を
ポップコーンやサンドイッチを食べながら見ている我々はある種、神の視点のようなもので
この物語を観ているのかも知れない。
不条理が現実を映すようで恐ろしかったり
人間の愚かさがおかしくも怖くもあって、なんとも言えない気持ちになるのだが
それこそがヨルゴスランティモスの世界なのか

さっきから何かを言っているようで、何も言っていない
分からないとしか言ってない。
前回の記事の「ナミビアの砂漠」では
パンフレットを読んだり、感想を見聞きして自分の考えを少し書き出してみたのだが
この「憐れみの3章」はわからないなりにどんなことが言えるかと思って
パンフレットを読まずに感想を書き出したら
驚くことにずっと分からないのだ。

俺は漫画を描いている。
漫画というのは個人的には、物語作品の中で1番具体性が必要なものだと思っている
取りこぼす人がいてはいけないので、内容はわかりやすく、面白さもわかりやすく。が重要だ
だが、俺のマインド的によく分からないものが好きで、そういうものを作りたいけど
なかなか、難しいのだ。
絵を描くにしても、何か決まったモチーフだったりの方が描きやすい
一方、抽象画とかはそもそもそんなイメージが無くて描きたくても描けない
この映画は、よく分からないのに、なんかすげーおもろいという
クリエイターとしてすごく憧れることをやってのけている
それに痺れるし、なんとか吸収してやろうと一生懸命になってるうちに映画が終わってしまったような感覚。
やはり俺はまだ何も言っていない!笑

この前エイリアンロムルスを観た。ストーリーは比較的簡潔で
面白さわかりやすく、大いに楽しんだ。
だが、失礼ながら、観終わって翌日になって
あれってなんだったんんだろう?という気持ちにはならない
そういう作品ももちろん大切やし大好きやけど
ずっと、頭の中をうじゃうじゃする作品のほうがやっぱり好きだなと
自分もこういう作品をいつかは描きたいなと思う

追記
パンフレットを読みました
それを踏まえて感想を言うと
やっぱわかんねぇ!でした。物語の内容的部分には触れられていなかった
俳優達もよく分からんけど刺激的だったと言っています
やっぱり言語化できない面白さに満ちている作品なのでしょう

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