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ルポ 人は科学が苦手  三井誠著 書評

読売新聞記者による科学への疑念に関するアメリカの現地ルポ。

オークランド大学のマーク・ネイビン准教授(社会政治・哲学)曰く

「私たちが科学的な事実に基づいて判断することなんてほとんどありません。人は自分が思っているほど理性的に物事を考えているわけではありません。何かを決めるときに科学的な知識に頼ることは少なく、仲間の意見や自分の価値観が重要な決め手になっているのです」

地球温暖化の場合は共和党支持者の35%が地球温暖化は人為的と考え、民主党支持者では89%と、政党の支持者によって大きく分かれるそうです。

さらに興味深いのは、知識が増えると逆に自分がもともと信じている考え方をより強化する方向に向かうという調査結果。

したがって、知識を深めれば深めるほど、より科学的事実に基づいた考え方に変わっていくと思いがちだが決してそうではありません。自分の主義主張を後押ししてくれる情報を選び取るという意味で「確証バイアス」がかかってくるのです。

人は「みたいものだけみえる」「みたくないものはみえない」ということであり、いったん自分の主義主張を固めると容易にそこから方向転換することはできないということ。

インターネット社会における「フィルターバブル」と同じことは人間の頭の中でもすでに起きているということ。

人間が理性的な存在であり、何かを決めるときに理性に頼るという志向はヨーロッパの啓蒙主義からスタートした人間700万年の歴史(キリスト教では6000年?)からすればたった200年に過ぎず、それまでは宗教的思考や日常生活における慣習や習慣に基づいて行動していたので無理もありません(ネイビン准教授)。

ジャレド・ダイアモンド氏も「危機と人類」で一番懸念しているところです。

現代日本人の常識的には科学的思考は正しくて、その結果として生まれた各種自然法則は、正しいと「信じて」います。

ところが本書でのキリスト教の信仰にかかわる問題(進化論の事例)や、経済的政治的信条にかかわる問題(=地球温暖化の事例)については、素直に自然科学の法則よりも、信仰にもとづく聖書における事実や自分の支持する政党に都合の良い考えに従うということです。

我々も振り返るとなぜ科学的思考を信じるかといえば、学校教育でずっと「洗脳=内面化」され、親や社会に「洗脳」されて科学的思考を信じているわけで、逆に親や学校から聖書に基づく「事実?」をずっと教えてもらっていたら、進化論は納得できないし、人は6000年前に神様が創造したというのが事実と思うのは間違いない。

とはいえ、ここで「哲学・科学」と宗教には大きな違いがあります。哲学・科学は前提をおかずにロジックのみで編み出していくので誰もがそうとしか思えない普遍的な考え方を生み出します。一方で宗教はそれぞれの信仰する「物語」という前提をおき、そこからロジックを展開していくので決して普遍的にはならず、その宗教を信じている人たちの間だけの事実という結果になります(共同的確信という)。どうあがいても「聖書という物語」と「コーランという物語」は絶対一致しません。

だからこそ近代市民社会の教育では哲学・科学をもって子供達を教育(洗脳=内面化)するのです。

結局、社会の分断が加速する現代社会においてより重要なのは

「そもそも政治・宗教の信条は変わらないし、変える必要はないけれども、お互いがお互いの違いを受け入れる土壌=ルールは必要」

ということでしょう(社会の虚構として)。


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