「目的」という概念は人間的な考え方
お気に入りの番組「NHK BS」の「ヒューマニエンス」を観ていたら、
感染症の専門家武村政春さん曰く
「ウイルスや生き物は、そもそも人間のように目的を持っていない」
「目的というのは人間的な考え方」
さすがウイルス研究者ならではの発言でウマいいい方だなと早速メモ。そうです。「目的」という概念を持っているのは人間だけ。でも人間も生き物の一種という逆説。
世界像を「ファクト」と「ロジック」で生成するサイエンスの世界では、生物には「生きる目的」はないのです。したがって「なぜ生きているのか」もない。生物学的には人間も一緒。だから「利己的な遺伝子」の著者リチャード・ドーキンスは生物そのものともいえる遺伝子を「盲目の時計職人」と表現したわけで、生き物は「盲目」であって「目的」はない。
環境に適応したものだけが、結果的に「今いる」だけ。人間も「今いる」だけ。なぜいるのか?今の環境に適応しているから、となります。
ただ、人間が面白いのは「目的」を求めるという「人間」ならではの特性によって、環境に適応し、生き残ってきたということ。
例えば
「ゾウは鼻が長いことによって環境に適応した」
「カメレオンは体の色を変えることによって環境に適応した」
と同じように、
「人間は目的を持つことによって環境に適応した」
ともいえます。
「目的を持つ」ということは、言い換えればロジックによってストーリーを作るということ。ストーリーのゴールとなるものが「目的」。
このストーリーのことをイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが「虚構」と呼んだわけで、「サイエンス」も虚構の一種。「神話」も虚構の一種。「宗教」も虚構の一種。「哲学」も虚構の一種。人間は様々な虚構を生み出すことで「認知革命」を起こし、不特定多数の人間が同じ方向性で有機的に活動できるようになった。
不特定多数の人間が有機的に活動できるようになったことで人間は環境に適応した、というわけです。
したがってサイエンスという虚構の世界では「生きる目的」はありませんが、人間には「生きる目的」としてのサイエンス以外の虚構も重要。まさに「人間ならではの環境適応」です。
この辺りがわかってくると「人間社会のあらゆる現象があらゆる虚構の織りなす世界」だということがわかってきます。「人間って面白い」ですね。
なので人生、あまり深刻に考えないようにしましょう。自分もみんなも、生きやすいように、いかようにも社会の虚構を作り変えていけばよいだけです。他者をリスペクトしつつ、自分が生きづらい虚構からはとっとと退散して居心地の良い虚構を見つけましょう。
*写真:2018年 那須の動物王国にて。 温泉であったまるカピバラみたいになりたい。
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