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「家族遺棄社会」菅野久美子著 書評

<概要>
日本のコミュニティのベースとなっている血縁社会が崩壊しつつある中、家族に遺棄された人々の「孤独」環境について、その原因から実態まで、孤独にまつわる問題を紹介した著作。

<コメント>
親子の関係は、生物学的視点からも最も強いコミュニティだと思っていましたが、そうでない家族がこんなにもたくさんいることにちょっと驚きを感じました。

また、ある意味一人では生きられなかった近代化以前の人間社会では、今の先進国という文明社会は、人類の歴史上、初めて「一人でも生きていける社会」なのかもしれません。

人間(=ホモ・サピエンス)が最も環境に適応できた理由は、生物学的には「最も賢いから」ではなく「最も群れるのが得意な生き物」だから。例えばホモ・サピエンスよりも脳が大きかったネアンデルタール人は絶滅し、群れつつコミュニケーションを深めたホモ・サピエンスだけがヒト属の中で唯一生き残った。

そして人間の一番の強みである「群れること」からどんどん遠ざかって、孤独になっていったのが今の日本ということなのでしょうか?

■家族遺棄ビジネス

毒親や疎遠になった家族の最期を家族以外の第三者がサポートするビジネスが、家族遺棄ビジネス。

高齢になった親の介護施設をどうするのか、終末期になったときに延命はどこまでするのか、葬儀はどんな形で執り行うのか、お骨はどうするのか。

以上をワンストップで代行してくれる。これらを依頼する子供たちは、親とはできるだけ関わりたくないし、親のためにお金を使いたくない。親が要介護になった途端、家族遺棄ビジネスに委託し、一番安い介護施設(=地方のベニヤ板一枚の世話が行き届かない施設)、一番安い葬儀(=直葬)、一番安い墓(=永代供養の納骨堂)を選択することが多いらしい。

血縁社会を前提とした社会が崩壊しつつある中、新たな産業としてどんどん成長しそうなのが怖い。

■セルフネグレクト

初めてこの言葉知ったのですが、本書によれば

セルフネグレクトとは、部屋がとてつもないゴミ屋敷だったり、世話ができないほどの大量の犬や猫を飼っていたり、アルコール依存や偏った食生活を送る行為のことを指す。

つまり、セルフネグレクトとは自己放任で、そのまま病気になってしまうと孤独死に一直線だそう。高齢者の場合は民生委員やボランティアなどが定期的に自宅訪問するなどのケアがありますが、65歳未満のセルフネグレクトは行政などで救う仕組みがありません。

また8050問題と言われる高齢者の親と同居している中高年引きこもりの人は、親に先立たれるとセルフネグレクトに陥る事例が多いらしい。

また男性の場合は、

配偶者との別れによって、その孤独感からアルコールに走ったり、食生活が不摂生になるなどして、身を持ち崩してしまう。そして定年退職したり、怪我や病気などに陥ると、社会との接点を失い、一気に孤立化しやすい。

しかも日本の弱者保護行政は、プル型(=申請ベース)なので、彼らが助けを求めない限り動いてくれません。そして、そもそも気づかない。マイナンバーの活用などによって各個人の資産や所得をガラス貼りにし、貧困者にはプッシュ型で行政から積極的にアプローチできる体制が可及的速やかに必要ではないかと思います。

■孤独死

65歳以下の人が孤独死にいたるパターンは、特殊清掃業者のお世話になることが多いらしい

特殊清掃業者曰く

うちにやってくる孤独死の特殊清掃の8割以上は65歳以下なんです。65歳以上は地域の見守りがなされていて、例え孤独死したとしても早く見つかるケースが多い。孤独死が深刻なのは、働き盛りの現役世代なんですよ

孤独死を招く、社会的孤立リスクの高い人たちの特徴(ニッセイ基礎研究所調査)

①未婚、または離別した人(男性に特に多い)
②特に離別した人のうち夫婦間の依存性が高かった人
③他人に干渉されることを好まない人
④団塊ジュニアの非対面(ネット)の付き合いを好む人

また孤独死する人の8割にみられるのが、上記のセルフネグレクトに陥った事例。

部屋がゴミ屋敷化したり、病気にかかったりするなど、どんなに危機的な状況に陥って命を脅かされることがあっても、頑なに介入や治療を拒否する

セルフネグレクトの場合は、自分から進んでこの状況を選択しているため、無理やり外部が介入することができないことも孤独死を増やしてしまう原因。

■家族遺棄社会はどこから来たのか?

人を孤立に向かわせている原因は何か?特に日本人の場合、過去の歴史的要因からいって必然だと主張しているのが評論家の真鍋厚氏。以下私の仮説も含めて整理してみました。

①日本は戦前から村落共同体というコミュニティが存在した
②戦後の経済成長で地方の若者が都会に集団就職で移住し村落共同体は衰退
③企業は、雇用のメンバーシップ制度によってコミュニティ形成
 (社員飲み会、社員運動会、社員旅行などの社外コミュニティ含む)
④この間、生活が豊かになったことで個人でも生きられる社会が形成
⑤同時に個人主義が急速に進み、共同体内の協調よりも個人の趣向や好みの方が優先
⑥バブル崩壊やグローバル化によって、企業のメンバーシップ制度が弱体化

以上のような流れの中で、個人の拠り所だった地方や企業・家族などのリアルなコミュニティが崩壊するとともに個人主義が加速しつつ、非接触のネット社会も浸透し、この傾向がより深まったということではないでしょうか?

そして本書では、このような家族遺棄社会に正面から向きあって戦う人々(孤独死専任の神主様、ゼロ葬に対応した葬儀業者、無縁仏を管理する横須賀市役所担当)などを最後に紹介しています。

以上、2040年には日本の単身世帯の割合は40%になると言われているらしいので、ますます孤独問題は深刻化しそう。行政が孤独担当相を新設したことは一歩前進かもしれません。

■コミュニタリアニズムの重要性

やはり人間は、コミュニティがないとメンタル的に辛い状況に陥りやすいと思います。コミュニタリアンによるリベラリストに対する批判として「哲学は対話する(西研著)」では

なぜ自由の権利が抽象的かといえば、それは個人から「属性」を完全に排除するからである。権利という観点に立つとき、性別はもとより、出自、宗教、文化などの一切を排除して、個人の自由を尊重することになる。

としている通り、自由一辺倒ではコミュニティは軽視されてしまいます。哲学的には今後コミュニタリアニズム的考え方がますます重要になるかもしれません。

*写真:2018年春 北海道 オンネトーにて

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