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「京都の風土」聖と俗が織りなす京都の歴史

京都の風土を勉強するにあたり、とても参考になったのが、宗教思想家梅原猛が、読売新聞→京都新聞で6年2ヶ月の長きにわたって連載したコラムをまとめた単行本『京都発見1〜9』全9冊。

京都発見9

著者自身『京都発見9』最後の寄稿で「黄檗宗の萬福寺と日蓮宗までたどり着けなかったのは誠に残念」とのことですが、70歳を過ぎて、80歳に至るまで毎週、文献を読んでフィールドワークしてインタビューして文章にまとめて、という作業を6年ちょっと続けてきたわけですから、本当にお疲れさま、というしかありません。

醍醐寺:2023年10月撮影。以下同様

正直、本書に関しては特に仏教や芸術に関する梅原のより深い、より広い学識に驚嘆するしかありませんでした。

そして以下の通り、梅原の思想は哲学ではなく一種の仏教思想ではないかと思われますが、何よりも本書は、京都を学ぶにあたっての最良の著作の一つではないか、と思います。

京丹後市久美浜町 稲葉本家

*梅原の思想について

『京都発見』の内容に加えて、ちょっとネットを齧った範囲では梅原の思想「人類哲学」は「草木国土悉皆成仏」ということだから、大乗仏教的解釈による汎神論の立場なんだと思います。

なので梅原の思想は、普遍性を目指す哲学ではなく一種の仏教思想

仏教思想の立場から啓蒙主義の限界に危機感を持ち、啓蒙主義を乗り越える思想として、(普遍的にはなり得ないはずの)仏教的世界観を普遍的思想として世界に広めるべきだ、と考えていたらしい。

京都市 竹寺 地蔵院

この自然愛護主義的な考え方は、環境問題を抱える現代においても未だ共感は得られるとは思うものの「世の中のあらゆる存在には仏性がある」というのは「神」の存在と同様、「任意の前提」であって、その根拠は問われないテーゼですから、どこまでいっても普遍性はありません。

当然ながらイスラーム教徒など、仏教徒からみた異教徒たちが受け入れるわけがありませんから。

したがって啓蒙主義に変わり得るとは私は思いませんが、一つの宗教的考え方として、多くの日本人には親しみやすい考え方です。

霊性の対象としての自然や仏教に親しんだ私たちの歴史に鑑みても、とても馴染みやすい考え方ではないか、と思います。

京丹後市間人町 某旅館

そんな前提の上で『京都発見』を読了した私の印象は、京都の風土とは、権力と宗教、つまり聖と俗が織りなすその痕跡、ではないかということです。

下表はその痕跡を整理したものですが、その時代ごとの聖俗の権力を睨みつつ、時代ごとに寺社仏閣等の文化遺産を観光すると、京都観光も活き活きとしたその姿が垣間見られるかもしれません(別途時代区分ごとに展開予定)。

自作


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