和歌山県の風土:「小栗判官」
ちょうど今、東銀座の歌舞伎座で、通し狂言「當世流小栗判官」を上演しているので、さっそく観劇してきました。
「小栗判官」とその思われ人「照手姫」の物語は、今日の演目を語るとそれだけで多くの字数を費やすので、熊野詣でに関するところだけを端折って紹介すると、
とまだ物語は続くのですが、この祟りによって失った膝下と顔の崩れが、ハンセン病をイメージしているのです。いわば小栗判官はハンセン病患者の代表格。
「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず」という、熊野信仰の時宗化(鎌倉時代末期以降)によって、穢れをも受け入れるようになった熊野三山は、多くのハンセン病患者が最後の望みをかけて向かった巡礼地。
熊野街道は別名、小栗街道とも呼ばれています。
足を失ったハンセン病患者の車を曳くと、曳いた分だけ功徳になると言われ、道中の人たちは皆すすんで熊野に向かうハンセン病患者の車を引いたそうです。
小栗判官は、熊野本宮大社に向かう途中、湯ノ峰温泉の手前で車を下ります(ここを車塚という)。
そして湯ノ峰温泉で湯治したのです。かつて湯ノ峰温泉ではハンセン病患者向けの湯治場もあったと言われています。
宗教民俗学者五来重曰く
このハンセン病患者にまつわる唱導(修験=山伏が庶民に説き聞かせる信仰の物語)が、説教節となり、浄瑠璃の演目として近松門左衛門が「當流小栗判官」を作り、市川猿之助の澤瀉屋の家の芸「三代猿之助四十八撰」の歌舞伎として今に伝わっているのです。