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和歌山県の風土:「小栗判官」

ちょうど今、東銀座の歌舞伎座で、通し狂言「當世流小栗判官」を上演しているので、さっそく観劇してきました。

2022年7月撮影

「小栗判官」とその思われ人「照手姫」の物語は、今日の演目を語るとそれだけで多くの字数を費やすので、熊野詣でに関するところだけを端折って紹介すると、

①小栗判官の許嫁だったお駒への婚約破棄でお駒は嫉妬で怒り狂う
②お駒の母お槇は娘(お駒)に小栗判官を諦めるよう諭す
③お駒は刀を抜いて小栗判官と照手姫が一緒にいる部屋に向かう
④お駒を止めようとした隙に娘の持った刀でお槇はお駒を斬ってしまう
⑤お槇は、そのままお駒を殺してしまう。
⑥するとお駒の祟りで小栗判官は膝下が消失し、顔が崩れてしまう
 (=ハンセン病にかかる)
⑦照手姫は小栗判官の祟りを消し去るため熊野に向かう
⑧熊野権現の化身である遊行上人が、湯ノ峰温泉で小栗判官を治癒
⑨小栗判官の祟りが消え去る

とまだ物語は続くのですが、この祟りによって失った膝下と顔の崩れが、ハンセン病をイメージしているのです。いわば小栗判官はハンセン病患者の代表格。

かつて熊野本宮のあった場所

「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず」という、熊野信仰の時宗化(鎌倉時代末期以降)によって、穢れをも受け入れるようになった熊野三山は、多くのハンセン病患者が最後の望みをかけて向かった巡礼地。

湯ノ峰温泉

熊野街道は別名、小栗街道とも呼ばれています。

足を失ったハンセン病患者の車を曳くと、曳いた分だけ功徳になると言われ、道中の人たちは皆すすんで熊野に向かうハンセン病患者の車を引いたそうです。

小栗判官は、熊野本宮大社に向かう途中、湯ノ峰温泉の手前で車を下ります(ここを車塚という)。

そして湯ノ峰温泉で湯治したのです。かつて湯ノ峰温泉ではハンセン病患者向けの湯治場もあったと言われています。

宗教民俗学者五来重曰く

現代の奇蹟は医学の進歩で癩を治し、病めるものは社会全体の善意で、安らかな余生を保障することである。中世の奇蹟は癩を治すことはできなかったが、みなで土車をひと曳きずつ曳いて熊野へおくり、その善意で病めるものをなぐさめることであった。

(『熊野詣』第2章 小栗判官。癩=ハンセン病)

このハンセン病患者にまつわる唱導(修験=山伏が庶民に説き聞かせる信仰の物語)が、説教節となり、浄瑠璃の演目として近松門左衛門が「當流小栗判官」を作り、市川猿之助の澤瀉屋の家の芸「三代猿之助四十八撰」の歌舞伎として今に伝わっているのです。

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