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『コーランⅠ』中公クラシックス版 読了

<概要>

イスラーム教の聖典『コーラン』のうち、1章ー19章(全114章)までの日本語訳。

<コメント>

イスラーム教の経典「コーラン」は、アラビア語では「アル・クルアーン」と呼ばれ、アラビア語で書かれたものしか「コーラン」とは呼べません。

なので本書は正確には「コーランの日本語訳解説本」ということになります。それでも本書読了に至り、イスラーム教の教えについて知りたければ、日本人は「まずはコーラン日本語訳解説本を読むべき」と改めて認識させられました。

カタール ドーハ市内(2022年撮影。以下同様)

■コーランは正真正銘の神の言葉

ムハンマド自身が、神からの啓示を自分自身でコーランとして書き記した書き物はないそう。弟子が書き残したものや、口承で伝わったものを初代カリフ「アブー・バクル」が取りまとめ。

さらに第三代カリフ「カリフ・ウスマーン」が、各地でバラバラだったコーランの読み方を統一し、完成版「コーラン」を作成(この時他のコーランはすべて廃棄)。

その後も諸々あって1924年に標準化されたコーランが今に伝わるコーランですが、その内容は、まさに「神の言葉」として聖なる啓典だといえます。

■イスラーム教を信じる目的とは

コーラン自体は、内容は簡単ではあるものの、あまりにも単調なので読むのは修行のように大変ですが、ただ、半分だけ読んだ限り、唯一神アッラーは、何が言いたいかというと、

⑴アッラーのみを唯一神として信じよ
⑵そのほかの神は邪神だし多神教も邪教だから信じるな
⑶唯一神アッラーのみを神として信じなければ、来世は地獄に堕ちる
⑷唯一神アッラーのみを信じ、善行を重ねれば、来世は天国に行ける

ということ。

つまりイスラーム教では、人間の生きる目的は「来世に天国に行くこと」なのですね。

なので、いわゆる日本での「疫病退散」「開運」「縁結び」「家内安全」「交通安全」「厄除け」「勝負運」「心願成就」などの現世利益は対象ではありません。というか、現世利益はイスラーム教では邪道なのです。

人によっては「主よ、現世でわれわれに与えたまえ」と言う者があるが、そんな者には来世でいかなるわけ前もあるはずがない。

本書37頁(2章200節)

現世の生活は偽りの快楽にほかならない。

本書94頁(3章185節)

そしてアッラーを信じないものは私のような無宗教者含め、他宗教の信者は皆、地獄に堕ちてしまう(コーランでは「業火の住人」と表現)。

したがってイスラーム教は布教をしない宗教ですが(2章256節)、

「アッラーを信じないとみな地獄に落ちますよ。それでもいいのですか?」

と何度も何度もコーランにはひつこく書かれています。以下その一例

信仰を拒み、無信仰のままで死ぬ者は、彼らの上に神と天使とすべての人々の呪いが降りかかる。

本書30頁(2章161節)

ただし、他の二つの一神教、つまりイスラーム教からみれば、一神教の旧ヴァージョン「ユダヤ教」「キリスト教」の教徒については、いろいろコーランにも書かれているものの、地獄に堕ちるかどうかは、微妙な感じです。

まことに信仰ある人々、ユダヤ教の信者、キリスト教徒、それにサビア人(ユダヤ的キリスト教徒の一派)など、神と終末の日とを信じ、善を行うものは、その主のみもとに報酬がある。

本書13頁(2章62節)

それにしても私たち生きている人間にとって、誰も「死後の世界」があるかどうかはもちろん、その内容は知るべくもない。

つまり私たちは「来世利益」は検証できない

なのでイスラーム教にあえて失礼な言い方をすれば、誰も検証できない不確定な「来世利益」のために「現世の全人生を掛けてイスラーム教の教えに則り、生きよ」とアッラーは言ってるわけです。

もちろん「信じる者は救われる」のですが、無宗教者からすれば「ずいぶんと都合のいい宗教だな」と思ってしまいます。

■イスラーム教にとっての善悪とは何か?

コーランでは「これをやりなさい」「あれをやってはダメ」というのが、重要なことから細かいことまでランダムに書かれてあります。以下その主な事例。

●善きこと
★唯一神アラーのみを信じること
*礼拝:毎日複数の定められた時間(2章238節、11章114節)
*巡礼(2章196節)
*喜捨(貧者、奴隷、多額の債務者、旅人向け等)、
*親族、旅人、乞食に財を分け与えること(2章177節、9章60節)

●悪しきこと
★唯一神アッラーを信じないこと
★アッラー以外の神を(も)信じること、何も信じないこと
*死骸・血・豚肉を食べること(5章3節、16章115節)
*利息を取ること(2章275節)
*飲酒、賭矢(ギャンブル全般?)、偶像崇拝、矢占い(占い全般?)(5章90節・91節、2章219節)
→飲酒は、より正確には礼拝時に酔っていることを禁止している(4章43節)
*男色(7章81節)→男色は破廉恥な民の行為
*子殺し(17章31節)
*姦淫(17章32節)

■イスラーム教の目的「天国」とはどんな場所?

それでは天国とは、どのような場所かというと以下のような表現しかありませんでした。

「下を河川が流れる場所」(3章136節・195節・198節)
「エデンの楽園は、下を河川が流れ、ほしいものはなんでも得られる」(16章31節)

各種ネット情報によれば、この後の章に詳細が書かれているとのことなので、追って「コーランⅡ」読了後に紹介したいと思いますがネット情報を読む限り「天国は酒池肉林の世界」なので、ちょっとがっかりしてしまいました。

■コーランの教えを現代に適用するのは?

以前も書きましたが、コーラン自体は、7世紀のアラブ社会を対象に書かれていて、イスラーム教では

「神の啓示を伝えてくれる預言者はムハンマドを最後に今後登場しない」

ということになっているため、7世紀のアラブ社会に向けてなされた神の啓示を、1400年後のこの現代社会に合わせて解釈していくのは、相当に無理があるのでは、と思います。

より正確に解釈するためには「アッラーの思し召しの本質」を理解しつつ、現代に置き換えて紹介するイスラーム法学者が必要で、私が勉強した限り、今の所そのような誠実な、かつ世界的に影響力のあるイスラーム法学者はいないようなので、それぞれがそれぞれの都合のいいように解釈しています。

いわゆるタリバンやISなどの「イスラム原理主義者」も、原理主義だからといってコーランを原理的に厳格に解釈してそれを遂行しているのでは全くなく、勝手に自分達の都合のいいように解釈しているだけです。

それもどちらかというと「伝統的なそれぞれの部族社会の慣習に都合のいいように」コーランを解釈しているのです(というか、イランもサウジアラビアも、他のイスラーム共同体も、みな同じで自分達の都合のいいようにコーランを解釈)。

なので理想的にはローマ・カトリックのようにイスラーム教全体を統括する「組織」があって、その組織がカトリックの「公会議」のようにそれぞれの時代に合わせて「統一した見解」を出すのが理想的ですが、この世界情勢において残念ながらこれは超非現実的。

しかし本来、イスラーム教的にはそうあるべきなはずなんですが(イスラーム共同体=ウンマとして)。。。

以上、引き続き大変ではありますが、『コーランⅡ』に進みたいと思います。

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