なぜ出汁は日本の水がいいのか?『「美食地質学」入門』より
<概要>
地球科学&気候学&生物学の裏付けに基づく植物相・動物相を踏まえた日本各地の美食を支える各種食材&料理を解説したマグマ学者の著作。
<コメント>
本書は、食べ歩きと地理学が大好きな私の興味とドンズバ一致する著作で、複数回に分けて紹介したいと思います。
まずは日本の出汁について。
⒈料理を美味しくする三つの旨み成分とは?
以前ミシュラン二つ星の某和食屋の料理長と話した時に、彼曰く、
と言っていたことを思い出します。すでに彼はこの店を辞めてしまいましたが、この言葉がまさに和食の特徴をよく表している言葉ではないか、と思うのです。
和食は出汁を使うことで、カロリーの高い油脂やバターを使わなくても料理を美味しくできるワザを持っているのです。
さて、「おいしさ」についてですが、料理には脂の「おいしさ」のほか、例えば西洋料理の場合、獣肉や鶏肉に含まれる成分、イノシン酸という旨み成分によって「おいしさ」を提供しています。
ところが和食の場合は、イノシン酸に加え、グルタミン酸とグアニル酸という旨み成分も組み合わせることで、より複雑で奥深い「おいしさ」を演出することができるといいます。
具体的には
*イノシン酸 :動物由来(日本=鰹節、西洋=獣肉&鶏肉)
*グルタミン酸:昆布由来
*グアニル酸 :椎茸由来
特に日本の出汁は、昆布(グルタミン酸)と鰹節(イノシン酸)の組み合わせによって、おいしさを私たちに提供。
⒉硬水と相性のいい「イノシン酸」
例えばフランス料理では、スープのベースとなるブイヨン、ソースのベースとなるフォンなどが旨み成分の典型。
中でもブイヨンの魅力は独特の旨みと透明感あふれる色ですが、ブイヨンは獣肉や鶏肉を煮ることでイノシン酸を抽出。
ご存知のように肉を煮る過程では灰汁(あく)が出ますが、灰汁を丹念に取り除くことで生臭さが取り除かれ、旨み成分が凝縮した透明なスープに仕上がります。灰汁は肉に含まれる動物性タンパク質や脂質が水に含まれるカルシウムと結合することで出てくるもの。
したがって水に、よりたくさんのカルシウムが含まれていればいるほど、灰汁の素となるタンパク質&脂質を取り除くことができ、それだけブイヨンの「臭み」や「濁り」が取り除かれるということ。
それでは、カルシウムを多く含む水とはどんな水なんでしょうか?
それが「硬水」。
硬水とはカルシウムやマグネシウムを多く含む水のこと。
特に「超大陸パンゲア」の分裂によってできたテーチス海(古地中海)に堆積した石灰岩(カルシウムが主成分)の地層が広がるパリ盆地の地形は、フランス料理のブイヨンを作るにはもってこいの場所。
というのも、パリ盆地の水の供給源である伏流水(地下を流れる水)は、おおよそ数十万年という長期間パリ盆地内に滞留しているために、たくさんのカルシウムを溶かし込んでいる。
つまり「硬水」になる。
ヨーロッパがイノシン酸という旨み成分を活用して料理のおいしさを生み出すというのは、ヨーロッパならではの地形と、その地形から誕生した「硬水」によってもたらされたものなのです。
⒊軟水と相性のいい「和出汁」
和出汁は主に、鰹節と昆布だしの組み合わせですが、中でも昆布で出汁をとる場合には硬水では難しい。というのも硬水の場合、硬水に含まれるカルシウムが昆布のぬめり成分であるアルギン酸と結合して昆布の表面に膜を作ってしまうため、昆布に含まれる旨み成分「グルタミン酸」を抽出しにくくしてしまうから。
したがって、カルシウム含有量が低い「軟水」と相性がいい。
軟水とは、カルシウムやマグネシウムの含有量が少ない水のことで、京都盆地の水が軟水。特に盆地内の井戸水には「超軟水」ともいうべきカルシウムの超少ない水なので、昆布から出汁をとるには最適の水なのです。
したがって、京料理の料理人が関東で料理するとどうも思ったように出汁が取れない、というふうになってしまう。というのも、京都の水に比べて関東の水の方がカルシウム量が多いから。結果として京料理の店は京都から水を持って来ざるを得ない、とういうことになってしまうらしい。
とはいえ、日本の水は、京都に代表されるように軟水が主体です。
これは日本の地形が関係していて、ヨーロッパでは雨が降って水が海に流れるまでにたっぷりの時間がありますが、日本の場合は山が急峻で海までの距離が短いために、あっという間に降った雨は海に流れてしまって、ヨーロッパのように雨水が地中に長期間とどまることがありません。
つまり日本に降った雨水は、地中のカルシウムやマグネシウムなどのミネラル成分を吸収するための必要十分な時間がないのです。
だから「軟水」になる。
著者の巽好幸曰く
以上、次回は、日本の代表的な調味料「醤油」について紹介したいと思います。
*写真:京都炭屋旅館「鱧と松茸のお椀」2023年10月撮影