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「ゲンロン0観光客の哲学」東浩紀著 書評

今我々が生きているこの時代を様々な立場の人が論じていますが、現代哲学者は今の時代をどのように捉えているのか、本書は東氏なりの一つの現代社会に対する一つの解釈とその方向性を出してくれたのかなと思います。

著者によれば、現代社会をナショナリズム(政治、思考、コミュニタリアニズム、国民国家、スモールワールド、ツリー)の世界とグローバリゼーション(経済、欲望、リバタリアニズム、帝国、スケールフリー、リゾーム)の時代の二重構造と捉えた上で、この二重構造をリンクする新しい概念として「偶然、郵便的、観光客、家族」というキーワードが重要になるのではと示唆。

個人的には第6章「不気味なもの」におけるサイバースペースに関する内容が実に面白かった。SF小説における未来の世界がどんづまったなか、その先の代替えとしての仮想空間、つまりサイバースペースがSF小説のテーマになったというのはなるほどと思った。

車のスピードへの進歩が行き着くところまで行ってしまったので、スーパーカーへの憧憬、つまりモダン的な男の子のベクトルが車から離れてしまったけれど、攻殻機動隊やマトリクスがイメージした電脳空間や、戦闘するほど強くなるというガンダムのプログラム(まるで今のディープラーニング)などなど、情報革新の世界に新たな未来を感じてきたのは私だけではないと思う。

そしてこのサイバースペースも郵便的なるものとしての二重構造の媒介者たる役割を果たすのではという。

また「観光客」というキーワードは、実は「みたいものだけ見る」という行動経済学でいう「確証バイアス」を回避する一つの手段として機能するのではないかと思う。

これは「偶然」にもつながるが、普段自分が住んでいる地域とは別の地域を覗くことによって、ネットへの検索ワードが変わってくる。そうすると、現実空間はもちろん仮想空間も偶然的に新たな世界を見ることになるという。

「みたいものだけ見る」だけでなく「みないものも見る」

ことになる。確かにその通りだ。



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