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地理・歴史学

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人の価値観は、外的環境に大きく影響されます。地球全体に関して時間軸・空間軸双方から、どのような環境のもとで我々が今ここにいるのか?解明していきたいと思っています。
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#神仏習合

「京都の風土」院政と神仏習合の熊野詣

天皇家が「院政」という形で政治権力を藤原摂関家から奪還したのは平安後期。この時代の痕跡は、なんといっても神仏習合の象徴「熊野権現」を祀った熊野三山と修験の世界です。 170年ぶりに藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位して以降、藤原氏の影響力が衰えて権力が再び天皇家に戻ります。そして白河上皇より院政政治が始まります。 ⒈熊野三山検校職「増誉」この院政時代、日本古来の宗教「修験」と深く結びついた天台密教は、天台宗寺門派の円珍門下が熊野三山検校職(京都における熊野三山の統括職)

和歌山県の風土:「穢れ忌避」がもたらした熊野の伝統

これまで、熊野に関する著作を読んできましたが、実際に熊野を訪れた印象とあわせてここで整理。 ■熊野の自然環境熊野の自然環境は何といってもその雨の多さ。日本有数の雨の多さで、新宮市の降水量は年間3,332mmと東京の約2倍の雨の多さ、山の深さと相待って熊野川をはじめとした清流が隈なく流れ、湿気のこもった山深い幽玄な環境をもたらしています。 「熊野は死者の国(=他界へのあこがれ)」といった宗教民俗学者五来重の表現した熊野のありようは、奈良・京都からみて、南の山奥に位置すること

「熊野詣」五来重著 書評

<概要>まだ熊野古道が世界遺産になるずっと前の1967年出版と半世紀以上前に書かれたものとは思えないほど、神仏習合・修験道・そして原始宗教の織りなす、総合文化たる熊野を多面的に味わえる名著。 <コメント>「熊野は謎の国、神秘の国である」から始まる本書は、古い本ではあるものの、ちっとも内容が古びていないことにまず感心します。以下興味深い三つのエピソードを紹介。 ⒈「熊野別当」という専制君主熊野三山を支配したのは「熊野別当」という専制君主。「自由の命運」著者アセモグル風に言

熱心な仏教徒だった天皇家の神仏分離

天皇家=ヤマト政権は、もともと仏教を列島に取り入れた張本人であり、以来明治政府が神道国教化するまで、6世紀以来1,300年間、ずっと熱心な仏教徒でした。 これも日本史を紐解けば、当たり前と言えば当たり前のことですね。ところが明治時代以降、神仏分離によって天皇家自身が神格化され、現人神に変身してのち敗戦→「神から人へ」という流れ。 ■菩提寺は、泉涌寺それでは仏教徒時代の天皇はどうだったかというと、非常に熱心な仏教徒だったのです。菩提寺は、今でも御寺(みてら)と呼ばれている「

なぜ神と仏は分離されたのか「廃仏毀釈」について

「なぜ神と仏は分離されたのか?」 その答えは 「明治政府が神(と天皇)を利用して日本という近代国家を創造したかったから」 となります。 神と仏が分離されたことに伴う悲劇「廃仏毀釈」について、今回は最後に紹介した新書2冊を中心に読んでみました(2冊読むとさまざまな地域の廃仏毀釈の実態がわかり、興味のある方はセットでの通読をオススメ)。 日本列島では神仏習合といって「神と仏が合体している姿が、古代から江戸時代にかけて1,200年間続いた日本の宗教の姿」でした。そして基本

なぜ神と仏は合体したのか?「神仏習合」書評

<概要> 古代以降、元来、基層信仰(神)を保有する日本が、社会環境の変化の枠組みの中で、どのように普遍宗教(仏)を受容し、活用し、変容させていったのか?戦国時代までの流れを簡潔に解明した著作。 <コメント> 奈良のお寺を回っていると「廃仏毀釈」の名の下に仏像が破壊されたり、寺そのものが消失してしまったりと、明治政府は、タリバンがガンダーラのバーミヤン遺跡を破壊したり、中国共産党が文革時代に仏像の首狩をしたり、と同じような酷いことをしてきたんだな、と思います。 我々現代に生