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地理・歴史学

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人の価値観は、外的環境に大きく影響されます。地球全体に関して時間軸・空間軸双方から、どのような環境のもとで我々が今ここにいるのか?解明していきたいと思っています。
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#日本史

奈良の風土:なぜ奈良盆地の政権が列島を支配できたのか?

「なぜ奈良盆地のヤマト政権が列島を支配できたのか?」 (箸墓古墳:2021年5月、以下同様) に関しては、さまざまな仮説がありますが、気象条件や地形、歴史学関連の各種書籍を読んだ限り、私の仮説としては「海に繋がる盆地だから」ではないかと現時点、思っています。 「海に繋がる盆地」とは、山に囲まれた盆地でありながら、大和川を通じて海=外に繋がっているからという意味です。更に、琵琶湖や伊勢街道を通じて日本海や関東地方ともアクセスしやすい交通の要衝としての立地は、列島を支配する

なぜ官僚主義国家が生まれたのか「日本史の論点」

今回は、「日本史の論点」から近代編(=明治維新→第2次世界大戦)。近代も以下の通り興味深い論点が満載で、とても興味深く読ませていただきました。 ■近代(清水唯一朗著) 【明治維新は革命だったのか】明治維新とは 江戸の蓄積を巧みに生かした革新と捉えるのが妥当 ということで、江戸時代から続く、血縁に頼らない(家は守るが)実力主義的人材育成と登用に基づく優良な官僚制度や、江戸幕府による実質的な中央集権体制をそのまま生かして、首を将軍から天皇にすげ替えたわけで、中身は大きく変

意外に自由だった江戸時代「日本史の論点」

「日本史の論点」中公新書編より今回は、鎌倉時代から江戸時代までの日本史の論点。特に江戸時代の論点が面白い。 ■中世(今谷明著) 【元寇勝利の理由は神風なのか】 文永の役(1274年)は、今の暦に換算すると11月26日で台風の季節ではありません。一方で日本海は冬は荒れるので、戦は長期戦は無理。10日間ほど日本と戦って決着がつかなかったため、海が荒れる前に退散したそうです。 弘安の役(1279年)では、日本側の水際対策は万全で、博多湾沿いに石造の防塁、潟には乱杭をうち、蒙古軍

教科書とは異なる日本史「日本史の論点」書評

「日本史の論点」中公新書編集部編 <概要> 中公新書の記念すべき2,500点目にして初の中公新書編集部が編集した新書。古代から現代まで、各時代の専門家が最新の研究成果に基づき、論点となっている史実について解説した著作 (中公新書HPより) <コメント> 以下磯田さんの書評に触発されて読んでみました。まさに磯田さんの言う通り、歴史は自然科学と同じように、新しい史料や遺跡の発見を契機に不断に新しい説が登場してくるというまさに「生きている学問」。 #日経COMEMO #NI

横須賀「走水神社」にてオトタチバナを想う

昨日は、天気が良かったのでサイクリングがてら、横須賀「走水神社」に行ってきました。走水神社は、東京湾岸各地の名称の所以ともなったオトタチバナを祀ってある由緒ある神社。 「思想の地形史」の「湾」では 海に面した鳥居をくぐると、山道がまっすぐに延びている。その右側には社務所や、オトタチバナの姿を刻んだ「舵の碑」がある とのように、社殿の石段を登りつつ振り返ると 東京湾に面していて、 神社の裏山まで登ると美しい東京湾の風景が望めます。内房の工業地帯もくっきり。 記紀神話

移民がもたらした、古代日本の文明開花

引き続き「さかのぼり日本史」からの知見メモ。 「古代の文明開花」と本書が銘打ったこの時代(AD500年〜700年)は、朝鮮半島南部と日本列島が一つの文化圏を形成。この文化圏には、列島の蝦夷(東北・北海道)・埼玉・出雲・熊襲(九州)、半島の百済・任那・加那などの共同体が複数乱立し、その中で最も有力だったのが畿内地方の「ヤマト政権」。 ヤマト政権は、当時の先進カルチャー(仏教など)&テクノロジー導入を目的に、百済からの積極的な移民政策(渡来人)を推進します。百済にとっては、親