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移民がもたらした、古代日本の文明開花
引き続き「さかのぼり日本史」からの知見メモ。
「古代の文明開花」と本書が銘打ったこの時代(AD500年〜700年)は、朝鮮半島南部と日本列島が一つの文化圏を形成。この文化圏には、列島の蝦夷(東北・北海道)・埼玉・出雲・熊襲(九州)、半島の百済・任那・加那などの共同体が複数乱立し、その中で最も有力だったのが畿内地方の「ヤマト政権」。
ヤマト政権は、当時の先進カルチャー(仏教など)&テクノロジー導入を目的に、百済からの積極的な移民政策(渡来人)を推進します。百済にとっては、親中国(唐)政権の新羅と対抗すべく、ヤマトに移民を提供することによって、兵士や武器などの軍事的支援をヤマト政権から得ていました。
以下、ヤマト政権を主語に、この時代の流れを整理。
(列島におけるこの時代のヤマト政権=列島政権ではありませんが、最終的にヤマト政権が列島全体を制圧するので。。。)
①中国(隋→唐)からの圧力を背景にした半島での不安定な政治状況
高句麗、新羅、百済などが群雄割拠
②百済が軍事支援を条件に、ヤマト政権へ移民(渡来人)提供
③ヤマト政権内勢力争いで蘇我氏が実権(丁未の役587年:物部氏滅亡)
④蘇我氏主導のもと、渡来人活用によって「飛鳥寺」建立
→仏教を活用した列島内支配(588年)
⑤中国への朝貢による権威づけ復活(遣隋使・遣唐使)
⑥乙巳の変(645年)により、朝廷の王政復古(蘇我氏滅亡)
⑦中央集権体制確立と列島支配目指して「改新の詔」発布(646年)
共同体の虚構としては、中国冊封体制への参画復活に加え、これまでの「鉄剣・青銅器」などの技術を上回る、飛鳥寺に代表される「仏教伝来の学問&技術」を新たに導入することで、その権威づけをより強化していったものと思われます。
「なぜヤマト政権が支配者たる政権なのか?」
軍事的支配だけでなく、庶民や他権力者を納得させるだけの大義名分=ストーリーが必要で、これはいつの時代の権力者も同じだということです。
*写真:2013年 奈良興福寺