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地理・歴史学

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人の価値観は、外的環境に大きく影響されます。地球全体に関して時間軸・空間軸双方から、どのような環境のもとで我々が今ここにいるのか?解明していきたいと思っています。
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2021年7月の記事一覧

廃仏毀釈にみる「薩摩藩」の特異性

薩摩藩といえば、薩長同盟で明治維新政府の中心的役割を果たした藩ですが、廃仏毀釈については、激烈です。 薩摩藩の廃仏毀釈は、明治政府の本来の目的である「神仏分離」ではなく「徹底した仏教排除」。 (鹿児島県 桜島 2014年12月、以下同様) 「仏教抹殺」著者の鵜飼氏によれば、調査のために二度ほど鹿児島県を訪れたものの、仏教関連の一次史料(遺跡や文物)がほとんどなく、県や市の教育委員会などに廃仏毀釈に関する専門家もいない。わずか数人の郷土史家が細々と研究を続けている状況で、

熱心な仏教徒だった天皇家の神仏分離

天皇家=ヤマト政権は、もともと仏教を列島に取り入れた張本人であり、以来明治政府が神道国教化するまで、6世紀以来1,300年間、ずっと熱心な仏教徒でした。 これも日本史を紐解けば、当たり前と言えば当たり前のことですね。ところが明治時代以降、神仏分離によって天皇家自身が神格化され、現人神に変身してのち敗戦→「神から人へ」という流れ。 ■菩提寺は、泉涌寺それでは仏教徒時代の天皇はどうだったかというと、非常に熱心な仏教徒だったのです。菩提寺は、今でも御寺(みてら)と呼ばれている「

なぜ神と仏は分離されたのか「廃仏毀釈」について

「なぜ神と仏は分離されたのか?」 その答えは 「明治政府が神(と天皇)を利用して日本という近代国家を創造したかったから」 となります。 神と仏が分離されたことに伴う悲劇「廃仏毀釈」について、今回は最後に紹介した新書2冊を中心に読んでみました(2冊読むとさまざまな地域の廃仏毀釈の実態がわかり、興味のある方はセットでの通読をオススメ)。 日本列島では神仏習合といって「神と仏が合体している姿が、古代から江戸時代にかけて1,200年間続いた日本の宗教の姿」でした。そして基本

なぜ神と仏は合体したのか?「神仏習合」書評

<概要> 古代以降、元来、基層信仰(神)を保有する日本が、社会環境の変化の枠組みの中で、どのように普遍宗教(仏)を受容し、活用し、変容させていったのか?戦国時代までの流れを簡潔に解明した著作。 <コメント> 奈良のお寺を回っていると「廃仏毀釈」の名の下に仏像が破壊されたり、寺そのものが消失してしまったりと、明治政府は、タリバンがガンダーラのバーミヤン遺跡を破壊したり、中国共産党が文革時代に仏像の首狩をしたり、と同じような酷いことをしてきたんだな、と思います。 我々現代に生