【書籍】迷いながら生きていく 五木寛之著
以前のエッセイで、「あれかこれか」と白黒きっぱりとはなかなかいかず、「あれもこれも」、とならざるを得ないと書いてあった。何事もどっちか決めてそれでサッパリ、とはいかないというのだ。
今回読んだ「迷いながら生きていく」で一つ驚いたのは、「七十代は黄金時代」だということが述べられていることだった。五十代半ばの自分にとっては何とも希望に満ちているハナシではないか。(五木サンはもう九十近いはず)
五十歳からの十年は設定変更期、「下山の時代」への準備する時期。六十歳からいよいよ本格的に下山の時代、「白秋期」がスタート。六十代は「再起動」、これまでのものを手放す。
七十代は「黄金時代」。人生で最も充実する時期なのだそうだ。
朝鮮半島で終戦を迎え、筆舌に尽くしがたい体験と共に「引揚者」として帰国し、人気作家として昼夜逆転の生活を長いこと続けている方(注:コロナを経て昼夜は正常に戻ったとのこと)の言なので、N=1とはいえ「自分にも黄金時代がこれから来るのだ」と思い込む価値がある。そう、思い込めばいいのだ。
同書の、「人生は『長さ』よりも『質』で考える」という項では、人生は長短に関わらず、「今」の連なりであり、今をいかに生きるかを考えることは、人生を考えることになると記している。先月読んだ、自省録(マルクス・アウレリウス著)のテーマの一つ、「いまを生きよ」と同じ考えだ。
こうして先人の教えや作家の考えを、書籍を通じて吸収できるのはありがたい。もちろん妄信しているわけではなく、「それは違うだろう」「そういわれても自分にはできない」ことはいくらでもある。だって、「人間だもの」。
また、「孤独と孤立は違う」では、「孤独」とは他者のなかにあって初めて認識でき、「自分が他の人とは違う」ということを、他人と接触することではっきりと認識することから始まり実感として深まるとしている。一方「孤立」は他者との交流をあえて遮断したような、不健康な状態を示す言葉ではないかと記している。
コロナ禍による世界的な閉塞感の中では、ザイタクによって感じるのは孤立と言える。だが、五木サンの考えによればそれは「交流をあえて遮断」したことによるのだから、その不健康を解消するならネット上でいくらでも「繋がる」方法をとればいい。それでもさびしさを覚えるなら「旧式」だが電話で声を聞くというのはかなりの処方箋になるのは間違いないと思う。
「迷いながら生きていく」は、いつもスパッと決断できるものではなく、むしろそうできないことのほうが多いということを、改めて教えてくれる。
でもそれで、いいではないか。
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