押し付けられたキャプテンシー
入部して直ぐ1年のキャプテン選出の時に、私が押し付けられた。選出されたわけではなく、押し付けられた。
やりたくない人しかそこにはいなかったからだ。
押し付けてきたのは、当時の副キャプテンだが、周りも兄が上手だったという話から、誰も反対することなく、寧ろ、副キャプテンの意見にかぶせるように賛成していった。
「1対その他全員」で即決だ。
普通に喜べなかったが、これは外れくじだった。
どの代にも練習中に気が血って遊んでしまう輩はいる。
当時、バスケ部の顧問も怖かったが、卓球部の顧問はその10倍怖かった。
卓球部とバスケ部は、体育館を半分ずつ共有して使うことが多かった。
1年上の先輩たちは、卓球部をバカにしていて、たまに飛んできた卓球ボールを見えないところで足で潰したりなどもよくあった。
見つかれば、怖い顧問が飛んでくるため、見ていないことを確認して潰すのだ。
私の代のいたずらっ子たちは、周囲に気を配らずにふざけてしまう。
バスケの練習の中でボールが卓球部に飛んでいけば怒られることはないものの、バスケ部なのに、練習中にバレーボールを投げたりして遊んでいる。
私が見えていれば注意をするのだが、基本的に見えないところで悪戯をする。
言わずもがな、バレーボールが卓球部のコートへ飛んでいく。
投げたのは私ではない部員だ。飛んできたことを待っていましたとばかりに、卓球部の顧問が怒り出す。
そこで、男子バスケ部に瞬間的にどなった後、大きな声で私を呼びつける。
仕方なく、卓球部の顧問の前まで行って説教され謝罪して、バスケ部のコートへと戻る。
練習が終われば、バスケットゴールの鎖を引っ張って天井側へ引き上げなければならない。
これが重く重労働。
バレーボールで遊んでいた時のように、他の部員は小学生のように体育館を駆け回って遊んでいる。
結局、男女のバスケ部においても、ゴールが上がっていなければ、キャプテンが最後まで上げざるを得ない。
いつも交代制にしていたが、やる気のない部員は極端に上げるのが遅い。
顧問に帰りの挨拶をするために、決められた時間までに職員室玄関に集合する決まりがあり、それに間に合わないスピードであれば、キャプテンが変わって時間までに終わらせなければならない。
女子バスケ部は、常勝チームだったし、バスケ以外のことで顧問や他の部の顧問から叱られることはなかった。
ましてや、キャプテンが代表して怒られることも少なかったし、常に新しいフォーメーションの知見を教えて貰えた。
ゴールを上げる後片付けの責任があるとは言え、女子のキャプテンには、バスケ部の一員として喜べる多くのインセンティブも転がっていた。
男子バスケ部に関しては、ベビーシッターに近いものがあった。
練習の参加率が低い部員にも出席を促しても、どうせ声掛けさせられるだけだしと卑屈になっている部員も多かった。
練習に来なければ、試合形式の練習には出させてもらえないだろうと思う反面、出してやらなければ上手くもならないと感じていた。
私は、出来ない部員も含めて、試合形式の練習をこなしたかったが、常勝チームの女子を相手にすると、恥ずかしながら女子に分がある。
だからこそ、顧問も試合経験の浅い部員を出すことはなかった。
キャプテンは、会社で言うと中間管理職だ。上からもどやされ、下からも文句を言われる。
時折、違う部署の冗長レベルの人からもクレームを貰ったりと、様々な間に入って均衡を保つ役割を担う。
試合での喜びを得る以上に、キャプテンになったことでの疲労感が圧倒的に勝り、バスケから喜びを得られなくなっていた。
顧問の責任とは思っていない。もし、自分がもっとできた人格だったら、チームのマインドセットをグロースマインドセットに出来たかもしれない。
しかし、中学の時点で、そんな人格者に成長している人間は稀である。