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スポーツ苦手が体育系大学に進学した話

みなさんこんにちは。
気づけば大学3年生もあと半年を切りました。
早すぎて、そして将来のことをこれまで以上に考えないといけなくなって、少しずつ焦りも出てきています。

そんな将来を考えていたとき、ふとnoteを見るとちょうどいいお題がありました。
これまで#のお題からnoteを書いたことはなかったのですが、たまにはちょっと書いてみようと思います。

今回のテーマは
「想像していなかった未来」

確かに、今の自分は昔から見ると想像できないなぁと思います。

具体的には、
私が「スポーツ」中心の生活をしていること
です。
(といっても、これまでの記事でも何度か触れている内容ですが)


今日は、私が今に至った経緯について、ちょっと振り返って書いてみようと思います。


小学生

さて、いきなり小学生時代の話をします。
というのも、幼児期の記憶があんまりないのです。笑
親に色々怒られたり、友達を怪我させちゃってお詫びを持って行ったりという苦い思い出は残っているのですが…(本当にあの時は申し訳なかったです。ここで改めて謝ります。)

小学生になったばかりの私は、多分あまり好かれるような子じゃなかったです。
具体的には、体格、運動のできなさ、おとなしめの性格など色々あったのかなぁと思います。

ただ、勉強で特に行き詰まるところはなく、仲のいい子(だいたいみんな保育園からの上がりだったので同級生は仲良しが多かったです)とずっと遊んでいたので、特に不安も嫌なこともありませんでした。


スポーツとの出会い

小学3年生になった時、野球のチームに入ります。
きっかけは、ただ仲のいい子がやってたからというだけでした。

そもそも私の地元にはスポーツのできるチームが野球とバレーしかなかったため、とりあえず初めてみよう!といった感じです。

これが私にとって初めてスポーツを行う(体育や遊び以外での)環境との出会いだったのですが、その当時は
あまり楽しくなかった
というのが正直な気持ちだったと思います。

もちろん始めたばかりは楽しくて、練習でヒットを打てただけでも終わって帰ってから親に報告していたくらい野球にのめり込んでいました。

しかし、小学4~5年生くらいになって、レギュラーに選ばれたり次期キャプテンに推され始めてからは、どちらかというとプレッシャーの方が大きくなっていました。
試合でミスをしたり練習で失敗したりするとかなり怒られて、自分の実力不足や本番の弱さが原因であるとはわかっているものの、かなりきつかったのを覚えています。

6年生になるとキャプテンになり、怒られる回数も増えてきました。自分的にもこれまでキャプテンをしてきていた上の代の子と比べて劣っていることには気づいていたので、もっと頑張らなきゃという気持ちもありながらも逃げ出したい思いも強かったです。

そのため、小学生の頃のスポーツに対する思いは、
きつい!頑張らなきゃ!
っていう感じでした。

進路選択

6年が終わると、地元の中学校に進むようになりました。
といっても、受験をして進学する中学校は私の家の周りにはなく、自動的に地元の中学校に進学することになりました。


中学校

中学校では、出身市内で最も人数の多い学校区に吸収されたため、同学年の人数が一気に増えました。

小学生時代にキャプテンや活動のリーダー的な立場を担っていたことから、生徒会に立候補したり部活でも副キャプテンを務めたりと、積極的に先頭に立って活動したいタイプでした。

スポーツ活動

そんな当時、私は部活動で野球部に所属しました。
選択肢はいくつもあったのですが、小学生の時の友達がみんな入部する気だったこと、他のスポーツに触れたことがなかったことから、なんとなく入部を決めました。

入部して、1年の秋から背番号をもらうことができました。どうせならベンチ入りして活躍したかったのですが、なにぶん人数が多くてその壁は高かったです。
当時は自分の実力が足りていないことがわかっていたので、とにかくベンチに入るためにスコアの勉強をしていましたが、部活態度や努力を認められて番号をもらってベンチ入りすることができました。

その時の気持ちとしては、楽しさ半分、きつさ半分でした。
自分の中では長打力に自信があり、試合で打てるともちろん楽しかったし、そもそも試合に出る喜びもありました。
それとと同時に、特に体格的なきつさがありました。
入学当時の体重はおそらく70キロ、引退時には80くらいいってたんじゃないかと思います。身長は卒業時160後半くらいだったので、まあ太ってました。
そんな私が運動するとなると、まあ辛いもので。
運動量に比例して食事量も爆発的に増えたので、かなり脂肪は多かったように思います。

他にも、2年生になると副キャプテンになり、精神的な辛さもありました。
当時の私は謎にすごく自責思考で、チームの雰囲気が悪いのを全面的に自分のせいにし、何度もやめたくなっていました。
今思い返せば、きつい部活から離れたい思いもその思考の後押しをしていたのかもしれません。

それでもなんとか中学の部活は引退までやりきり、最後の試合で悔しい、もっとやりたかったと思えるくらいにはなりました。


でも、高校に上がったら絶対やりたくない!と同時に思ってしまいました。
高校野球にかなり厳しいイメージを持っていたので、今より厳しい環境を想像してかなり抵抗感がありました。


そのため、ここでのスポーツに対する私の意識は
楽しい時もあるけどしんどい!
です。まだマイナスイメージが強めです。


進学

中学3年の時、進路を考え始めました。
と言っても別にやりたいことも特になかった私ですが、そこそこの学力はあったため、地元から少し離れた高校の理数科に進学することにしました。
理由は、将来を考えた時に一番身近な教師に憧れたこと、理数系の教科が好きだったことからです。

高校

さて、高校は先ほども言ったように少し離れたところに行きました。
そのため当然知っている人は一人もいません。

初めは人見知りが炸裂してうまくつながりを築けなかったですが、慣れていくにつれてたくさんのつながりを得ることができました。
生徒会長に立候補したり、積極的に他のクラスの生徒と話そうとしたりと、ここでもとにかくたくさんの人と関わろうとしていました(生徒会長選挙は惨敗でした。)


スポーツの転機

さて、この高校が私のスポーツに関わることになった一番大きなターニングポイントです。

中学生のところでお話ししたように、私はそれまでスポーツにマイナスイメージを持っていました。
ただ別にスポーツが嫌いというわけではなく、楽しいけどきついなぁといったイメージです。

そこに合わせて慣れない環境だったということもあり、やはり野球にチャレンジするのは躊躇しました。
それでもとにかくスポーツを続けたい気持ちはあったので、いろいろな部を見て回ることにしました。

そこで惹かれたのが、ハンドボールです。
野球で培った肩を活かせるし、授業のサッカーでは体格的に動けないことからキーパーをずっとしていたので、その経験も活かせると思い、ハンドボール部でキーパーをすることにしました。

そこからの部活は、とにかく楽しかったです。
だんだんうまくなっていくのがわかるし、初めは非常にたくさんの迷惑をかけていたのですが、先輩方もとても優しく接してくれました。
同期の仲間もいい人たちばかりで、これまで何となくだったり辛くだったりで行っていた部活が一気に楽しくなりました。

引退する時には、ほんとに辞めたくない、これからもずっと続けていきたいという思いが強かったのを覚えています。


それと同時に、学校の体育もだんだんと楽しくなっていきました。
これまで走るのがとにかく遅くてとにかく苦手だったせいで苦手意識の強かった体育ですが、球技の授業も増え、そこで褒められることや期待されることも多くなりました。
その背景には、ハンドボールと野球で培ったボールの扱い、ハンドボール部で味わったスポーツの楽しさがあったのではないかと思います。

さらに、とあるきっかけで高校3年生の春に一気にダイエットしました。
約3ヶ月で25キロ痩せました。これは自慢です。
それもあって、これまで大の苦手だった陸上系にも、平均くらいの能力でチャレンジできるようにはなっていました。


進路

このスポーツ経験のおかげで、進路が大きく変わりました。
元々は教育系で中学の時から変わらず、教科は数学や高校で得意だった国語にしようと考えていたのですが、一番好きなものはなんだろう、と受験期の秋にもう一度考えてみたところ、体育になりました。

ただ、教師はあくまで進路の一つで、私はそれよりもスポーツを好きになるきっかけとなったハンドボールのようなスポーツをもっと広めていきたい!という思いで、スポーツクラブなどの運営にも関わってみたいと思い、体育教育が学べて、さらにスポーツ政策やいろいろなスポーツについても学べる東京学芸大学の生涯スポーツコースに進学することに決めました。

ちなみに進路を決めたもう一つの理由は、関東圏の人が多いところに住んでみたかったからです。


大学

大学はちょっと簡単に話します。

元々ハンドボールのようなスポーツを広めたい!という思いで入学した私ですが、よくよく考えると
「もっとたくさん触れてないだけでたくさんの素敵なスポーツがあるんじゃね?」
と思いまして、大学ではソフトボール部に入部しました。
ちなみに今では主将を務めています。

そして、たまたま見つけた学生団体に入ったり、そこにいた同学の先輩に誘われたスポーツ教室でコーチを始めたりしました。

そういったたくさんの環境でたくさんのことを見て、たくさんのことを学んでいく中で、今につながる思いが生まれてきました。
それは、
「誰もが自身の興味を見つけ、それを探求できる心を持った子どもになってほしい!」
です。
初めはスポーツができる環境が私の地元のように少ない場所が多いから、自分の好きが見つけられない人もいるかもしれないと思っていましたが、
そもそもそう言った「好き」を見つけよう、たくさんのものを見て探求しようという気持ちを子どもに持ってもらいたい、そのために探究心、自己肯定感を育めるような環境や仕組みづくりが必要だなと感じました。

そして、そのしくみづくりに私も関わりたいと思いました。
でもそれは、スポーツが好きになれたから、そこからたくさんの子どもと関われる環境にいることができたからこそ思えたことです。

だから、そのきっかけになったハンドボールに出会えたこと、東京に来れたこと、そしてそれをいつも後押ししてくれた親にはとても感謝しています。


終わりに

ということでとっても長くなりました。
伝えたいことベースじゃなくてお題ベースで考えるのってやっぱり難しいですね。
これからも回数を重ねてチャレンジしていこうとおもいます。

というわけで、スポーツが好きでもなかった私がここまでスポーツ中心の生活になり、それがきっかけで進路を決めていけるようになったという「昔の私からは想像していなかった未来」のお話をさせていただきました。

もしこれを高校生・大学生の方が見てくれていたら、そう言った人たちの進路決定のきっかけや転機になってくれたら嬉しいなと思います。

ここまで見てくださりありがとうございました。

ぜひ他の投稿も見てください!


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