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周囲の目より心の目

おはようございます☀
ともです!

昨日は以前お勤めさせていただいてた
カフェの姉妹店の1周年を記念するパーティで
とてもわくわくさせていただきました。

こういった節目の時期に
お誘いしていただけるなんて
心から有難い限りですね

環境を離れてもいた時と同じ熱量を
持って話してくれる事が何よりも
嬉しいです。

さて本日は『周囲の目より心の目』という
テーマですが

皆さんは普段から良しとされる
行いをしていますか?

またそれは誰の目にもうつらずひっそりと
行われていたりしますか?

今回は良い行いというのは自分、または
神様が見ているという事をご存知でしょうか?

過去の陰徳と陽徳に関するお話しと
似ているのかもしれませんね。

早速です。

1.周囲の目

みなさんが何気なく学生時代を過ごしていた時に
たまに発生する意見発表の時に
みんなから見られている意識が強まる時
ありませんでしたか?

その時には大きく分けて2つの考えが発生すると
感じています。

『多くの人に見られていて恥ずかしい』

『答えがあっているかな?
間違っていたらどうしよう』

という感じです。
ひとつずつ解説していきます

『多くの人に見られていて恥ずかしい』という
感情は常に見られている、監視されている
注目を浴びている。というように
脳が錯覚している状態です。

裏を返せば、承認欲求が強く
シーンによっては『見られている』
でもそれは自分が引き寄せた、創り上げた
承認欲求の偶像です。

人はそれぞれ自分のことにしか
興味がありません。

その中でも誰かに興味意識を注ぎ続けるのは
非常に疲れるものです。

なのでやりたがる人はそういません。

ではもうひとつ
『間違っていたらどうしよう。』
こちらは自分に自信がないケースです。

正直周りの目としてはあっていようが
間違っていようが関係ないのですが

この先の第二感情としては
『間違えたことで後ろ指を刺されてしまうかもしれない』
という気持ちになることです。

これはわずかにですが承認欲求があり
親愛する家族とのカルマが強く
意見を否定されてきた育てられ方をされた子どもがよく陥ります。

褒めてもらえなかった。
話を聞いてもらえなかった。
おもちゃなどは与えてもらえたが
一緒になって遊んではくれなかった。

こういった積み重ねが子どもの
カルマを大きくします。

無条件に親を愛することしかできない
子どもにとっては
親の存在というのは唯一ですから

今身体は大きく育っても魂はずっと子どもの頃のままの綺麗さを保っています。

だからこそ自身の心の目に照準を合わせ
心を喜ばせ続ける事が人生を豊かにしてくれるのではないでしょうか?

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