神保町のジャズ喫茶「響」のこと
東京も禁酒法時代に入りそうな雰囲気である。
当店、BAR と謳ってはいるが、何気に珈琲などのソフトドリンクも充実している方だと思う。
開店当初は「Cafe & Bar」と名乗ってみたり、昼過ぎの1時半頃から開けてみたりと、方向性の定まらない時代が続いた。
これもひとえに「ジャズ喫茶」への憧れが、少なからずあったからだと思う。
※
神保町に「響」というジャズ喫茶があった。
神保町の交差点から一本裏道へ入った、今は無き大衆酒場「酔の助」の斜向かいあたりだった。
当時通っていた大学から徒歩でいけることもあって、授業の合間に寄って、昼寝をしたり(失礼!!)、卒論をここで書き上げたりしていた。
昔から、とかく「気難しいマスターがいて、入りにくそう。」なんていう印象を持たれる「ジャズ喫茶」だが、(今はそんなことはないのかな?)
「響」は、朗らかで気さくな感じのマスターがやられていて、店の雰囲気も、いわゆる「お聴きかせ」系のピリピリした感じはなく、会話もOK、学生の僕でも臆することなく通うことができる店だった。
やがて、僕も社会人になり、神保町から離れてしまったが、休日などに気が向くと、時々訪れては、変わらぬ雰囲気に、学生の頃を思い出しながら過ごしたものだった。
そのうち、仕事も忙しくなってきて、気持ち的にも余裕がなくなり、足が遠のいていたある日、「響 閉店」の葉書が届いた。お店から直接の物だった。
いったい、いつこちらの住所を記帳したのかも覚えていないが、とにかくそれは、大木マスター直筆の「閉店のお知らせ」だった。
行かないわけにはいかなかった。
この手の「閉店します」間際のお店には、僕はまず行かない。
よく、「何でやめちゃうんですか?」なんて聞く人間もいるが、そんな方に限って久しぶりの来店だったりするものだ。
僕も、同じようなものだった。
行ってみると、予想通り、店内は満席。葉書には追記で「LPコレクション販売処分致します」とあったので、それ目当ての客も多かったのだろう。
僕も、これまた同じようなもので、少しそれが目当てだったところもある。
というか、LPレコードそのものというより、「響」の記念になるようなものが欲しかった。
当日、店内には注文書のようなものが設けられていて、それに自分の欲しいレコードを記入するシステムになっているようだった。店員なりマスターが手すきの時にそれを見て、棚から探し出す。何のことはない、昔の「リクエストノート」と同じようなシステムだった。
ところで、僕はこれまで「リクエスト」というものをしたことがない。やられたことがある方はお分かりかと思うが、あれは結構「勇気」がいる。採用されると皆が聴くことになるわけだから、おいそれとつまらない盤はリクエストできない。気の小さな僕には最後まで無理だった。
でも、今日は最後の日。それにレコードがかかるわけではない。買うだけだ。
僕も勇気を出して(というより、何食わぬ顔を装って(笑 )、以前から好きだったが CDでしか持っていなかった、「TOM CAT / LEE MORGAN」を記入した。
あしげく通ったわけでもない人間に、そんな名盤が残されているのだろうか。
案の定、僕の番は、なかなか回ってこなかった。
もうそろそろ、閉店時間。さすがの僕も焦り出した。
いいんだ。別に。何でも。それしか思いつかなかったんだから。とにかく、「響」のレコード棚にあった LPが、一枚でもいいから手に入れたい。
やがて、皆が帰り始め、もう閉店という頃に、女性の店員さんが僕の前にやってきて、「申し訳ございません。御所望のレコードはもうありませんでした。」と言われた。
「いえ。いいんです。何か他のものでも。」と言おうと思ったが、それもみっともないし、ましてやもう閉店時間。結局あえなく退散することになった。
これが、通っていなかった人間への天罰なんだろうと思う。
そんな消化不良な「響」との最後だった。
※
時は経ち、
「響」からいくほども離れていない場所に、「BAR ground line」は開店した。
オープンして何年目の事だったろう。風の噂で、「響」の大木マスターがまたジャズ喫茶をオープンさせたという話を聞いた。
名前は「響庵」。
場所は、何と神奈川県「辻堂」。僕の実家の「藤沢」から一駅しか離れていない。
行かないわけにはいかなかった。
「日本一小さなジャズ喫茶」と銘打ったそのお店は、大木マスターのご自宅の一部を改装してジャズ喫茶にしているようだった。(なんでも大木マスターは海沿いの土地への移住が夢だったそうです)
夏のある日、訪れると、確かに小さいながらも、「響」時代の備品も若干残されていて、朗らかなマスターも、和やかな雰囲気も、そのままの店がそこにあった。
店が小さくなった分、距離も近くなって、思い切ってマスターに話しかけてみることにした。(考えてみたら、僕は「響」時代、マスターに話しかけるのはもちろん、カウンターに座ったことすらなかった)
「僕、昔の「響」の近くで BARをやっているんです。」
「へえ。どの辺のあたり?」
そのあとの会話はよく覚えていない。
とにかく、20年越しに初めて話しかけられて、少し誇らしい気分だった。
その後、「響庵」も閉店されて、いまはもうない。
あの時飲んだ、ビーフィーターのオン・ザ・ロックには、「響」の頃と同じように、「柿ピー」が添えられていて、嬉しかった。
ジャズ喫茶で飲む「お酒」って、何であんなに美味しいんでしょうね。
禁酒法時代と同じ、「背徳感」かな。
神保町へお越しの際は、是非お立ち寄りください。
BAR で飲む「珈琲」もいいですよ。
お待ちしております。
Jupiter Jazz / Swum & Jinsang
SwuM
2019
(本文の最後に、お店でよくかける音楽を紹介しています。お家でお酒を飲まれる際に是非どうぞ。今度お店に聴きに来てくださいね。)