【一日一問】私の感覚_今、食べたいものは何か。その味のどんなところに惹かれるか。
みなさん、こんばんは。Grounding Lifeのゆかです。
今日は五月五日。端午の節句です。九歳になる息子の健やかな成長を願い、我が家では菖蒲湯にしました。例年なら、曾祖母の自宅で大勢で祝っていたこどもの日。改めて『いつも通り』であることの幸せをかみしめます。
さて『五感』フォーカスの今週。今日は味覚です。
既にある自分を見つめる、とは『Beingへの回帰』
今朝は10時からCTIジャパン主催の対話会でした。今日は『コーアクティブとリモートワーク』について。一気にオンライン化した世界において、今『自分にとってのどんな時』が来ているのか、という問いを深めました。
参加者のお一人が仰った、
『何か新しいことをする、というよりもBeingへの回帰だ』
という言葉が今も私の中でリフレインしています。
既にある自分。そこに豊かな『感性・感覚』があるということ。改めて自分に繋がることで外に何かを探しにいかない感覚になること。とても大事な視点だと思います。この『一日一問』もそういう意識のもとに毎日自分の内側から出しているな、と気が付きました。
私は今、どんなものを食べたいか
味覚の問いを自分に立てると、なぜかすぐに『あくまき』が浮かびました。皆さん、あくまき、ご存じでしょうか?
あくまき(灰汁巻き)とは、鹿児島県、宮崎県、熊本県人吉・球磨地方など南九州で主に端午の節句に作られる季節の和菓子である。もち米を灰汁(あく)で炊くことで独特の風味と食感を持つ(Wikipedia/あくまき)
祖父母の家に遊びに行くと、この季節に出してもらっていたおやつです。子供の味覚にはあまりおいしいと思えなかったこの味。今、なぜか無性に食べたくなるのです。
その味のどんなところに惹かれているのか
味覚から想起される景色・風景・感覚がある、と私は思っています。私は『あくまき』に何を見ているのか。
少し深めてみると、こんなものが浮かんできました。
・どんな自分でも受け入れてくれた優しい祖父母
・果てしなく広い畑が続く、田舎の空気
・ちょっとだけつまらなくて、退屈な感覚
・自分の心の深いところにある『のんびり』とした感覚
例えば、家族の愛であったり、故郷という場所の深さであったり。ほんの少し退屈で、結局は自分を突き動かす原動力であったり。そんなものです。
あくまきそのもの、よりも、そこから感じる感覚に、私は会いたいんだろうなぁと気が付きました。GWは毎年帰省している我が家。故郷に帰って、のんびりした空気をみんなで吸いたかった…それが本音なのです。
今日の問い
改めて五感は自分にアクセスするとってもわかりやすいリソースです。皆さんはどんな自分に出会うのでしょうか。ぜひお聞きしてみたいです。
今、食べたいものは何か。その味のどんなところに惹かれるか。