本日の読書 #035 「分人」
参考書籍:『はみだしの人類学』 松村圭一郎
第三章 ほんとうの「わたし」とは? より
分人。
「対人関係ごとに、さまざまな自分がいる」という考え方。
小説家の平野啓一郎さんが提唱したもので、
とかく自分を見失いがちな現代の若者には救いになる概念である。
(余談だが、平野啓一郎さんは『死刑について』という書籍も出版していて、こちらは私のオススメである。)
これまでは、「本当の自分」があって、対人関係の中で見せる自分はいわば「仮面」であるという考え方が主流だった。
これは例えるなら、
「友達と一緒にいるときの自分」
「先生と一緒にいるときの自分」
「交際相手と一緒にいるときの自分」
がいずれも本当の自分ではない、みたいな考え方だ。
しかしこれでは、本当の自分は孤立したときにしか現れないことになる。
それは多くの時間を社会の中で生きていく人間にとって、自分を見失いかねない思考だ。
一方で分人は「対人関係ごとに、さまざまな自分がいる」と考える。
友人といるときも、先生といるときも、交際相手といるときも、
全部ひっくるめて「自分」だ。
noteの世界でも、この「分人」という考え方を大事にしたい。
noteで誰かをフォローするとき、その人に対して「何かを期待」するからフォローするハズだ。
例えば誰かが、Aさんが出すコンテンツである「文章の書き方講座」を気に入ってフォローしたとしよう。
Aさんそのものではなく、「Aさんが発信する文章の書き方講座」が好き、という考え方だ。
しかし当然だが、Aさんにはさまざまな顔がある。
その顔それぞれに対して、フォロワーがいるのだ。
Aさんに対して、
「文章の書き方」を求めるフォロワーもいれば、
「熱い主張のエッセイ」が読みたいフォロワーも、
「楽しさが伝わってくる日記」を好いているフォロワーもいる。
そして、それらすべての発信内容が、寄り集まってAさんを構成している。
いわば、自分が求めているものは「数あるAさんの分人の一つでしかない」と理解すること。
そういった読み手側の理解と寛容が、noteという世界には必要だと感じる。
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