本日の読書 #081 「道徳なき経済は...」
参考書籍:『はじめての利他学』若松英輔
第三章 利他を生きた人たち より
道徳なき経済は…
本書は「利他」、すなわち「人の役に立つこと」というテーマについて、古今東西、様々な人物の考え方を参照していく内容。
空海、最澄、道元、孔子、吉田松陰、西郷隆盛、中江藤樹、二宮尊徳、オーギュスト・コント、アラン、エーリッヒ・フロム。
その中でも一番自分に合っているのが、二宮尊徳の利他観だった。
利他のために「仁義礼智」を目指し、実践するべきだとする尊徳の考えを一言でいえば、
「智者は疑ってかかれ」
というところ。
ただ知識を仕入れるだけで、実践もせず満足するような者は、彼曰く「ただ小智や悪智恵を振って財宝を得ようとする者が多い」とのこと。
これを読んで思い出した言葉がある。
私は昔から、座右の銘の一つに尊徳の言葉を採用していて。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
というもの。
出口治明さんの著書で紹介されているのを読んでから、これを人生の指針の一つにしている。
前半の「道徳なき経済は犯罪」とはすなわち、
「人の道を外れた、道徳を持たない経済活動は、自分の利益だけを優先して他者を陥れる犯罪行為である」ということ。
簡単に言えば「金儲けのことしか考えていない行動は犯罪ですよね」ということで、それはそうだ、と納得するものだ。
対して、後半の「経済なき道徳は寝言」の方が興味深い。
これは「どんなに高尚な強い想いがあったとしても、そこに経済的な継続可能性がなければ絵空事になってしまう」ということ。
コチラは特に日本人には蔑ろにされやすい。
いかに素晴らしいことをしていたとしても、その対価を貰うことを怠るのなら、自分を削り取って続けていることになる。
結果、その善事は続かず、尻切れトンボになって終わる。
それもそれで、正しいとは言えないのだと。
経済や商売といったものを、感情を排して冷静に分析した言葉だと思う。
現代は「個人の時代」になって、より倫理観が問われるようになった。
今後もこの言葉を胸に、発信活動を続けていく。