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ショーペンハウアー先生の言葉を羅列して戒めとする。
『読書について』という本があります。
これはドイツの哲学者である、アルトゥール・ショーペンハウアーが書いた評論で、読書に対する心の持ちようを説いた古典です。
私は2年前に読みました。
と言うと、読んだ人に疑われそうですね。
ショーペンハウアーは「多読」とか「ベストセラー」を否定します。
ただ否定するだけでなく、ボッコボコに叩きます。
一方で私は「多読」も「ベストセラー」も、別に悪いことだと思っていません。
読みたいと思ったら読む。その考え方だけで本を読んでいます。
つまり私は『読書について』は読んだけど、自分なりに考えて、それとは異なる方針で本を読んでいる、ということです。
ただ、ショーペンハウアー先生が『読書について』で語った言葉たちは、「戒め」として頭に留めておくべきだとは考えています。
なぜなら、ド正論だから。
言葉は鼻につくけど、言ってること全部合ってる。
訳者あとがきに「ハハーッ、ごもっともでございます」と書いてあって、共感しすぎて笑っちゃいました。
(ちなみにこの部分以外は全編、真顔で読みました)
今回は、そんなショーペンハウアー先生の言葉を引用する企画です。
私の読書記録から、ほんの一部だけ抜粋するので、ハートや尊厳を打ち砕かれた人はぜひ本書を手にとってみて下さい。
読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ。
人生を読書についやし、本から知識をくみとった人は、たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人のようなものだ。こうした人は雑多な情報を提供できるが、結局のところ、土地の実情についての知識はバラバラで、明確でも綿密でもない。
多読に走るべきではない。精神が代用品に慣れて、それにかまけて肝心のテーマを忘れ、他人の考えで踏み固められた道に慣れ、その道筋を追うあまり、自分の頭で考えて歩むべき道から遠ざかってしまわないようにするためだ。
読書は、読み手の精神に、その瞬間の傾向や気分にまったくなじまない異質な思想を押しつける。
真に価値があるのは、自分自身のために考えたことだけだ。
できれば原著者、そのテーマの創設者・発見者の書いたものを読みなさい。少なくともその分野で高い評価を得た大家の本を読みなさい。その内容を抜き書きした解説書を買うよりも、そのもとの本を、古書を買いなさい。誰かが発見したことに新しく付け加えるのがたやすいことは、いうまでもない。
読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。
良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。
あらゆる時代、あらゆる国の、ありとあらゆる種類のもっとも高貴でたぐいまれな精神から生まれた作品は読まずに、毎年無数に孵化するハエのような、毎日出版される凡人の駄作を、今日印刷された、できたてのほやほやだからというだけの理由で読む読者の愚かさと勘違いぶりは、信じがたい。
以上です。
これ以外にも無数の刺々しい言葉が詰まっています。
ちなみにこの本、「読書について」以外に「自分の頭で考える」「著述と文体について」の二編が収録されています。
このうち「著述と文体について」はnoteを書く上で参考になる言葉がたくさんありますので、オススメですよ。
もちろんこっちも辛辣ですけどね。
本人が持っている以上の精神性を見せようとする悪あがきこそ、物書きがもっとも慎むべきものだ。
それでは、また。
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