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📷何をもって写真の「完成」とするのか

写真をただの記録ではなく芸術とするならば
「完成!」と思うタイミングがあるはずだ

音楽家も「完成!」と思って曲をリリースするし、漫画家も「完成!」と思って出版する

芸術は「完全」ではないし「完璧」でもないけど「完成」はする

では、撮った写真の「完成」とはなんだろう

ある人は、撮った写真をパソコンに移してレタッチして完成かもしれないし
またある人は、スマホに転送してSNSに投稿したら完成と思うかもしれない

人それぞれなんだろうけど

僕の場合は

プリントしたら「完成!」と思う


気に入った写真は2Lサイズで印刷して、ファイルに入れている

100均のファイルに溜まっていく


中でもさらに気に入った写真はA4サイズでプリントして、額縁に入れて飾っている


リビングの壁に飾る


デジタルデータって
この世に存在しているようでしていない

質量はないし、液晶画面に表示されるだけで、その液晶の画素数や画面の明るさによって見え方も変わってしまう不安定な状態だ

渾身の一枚も、見ている人の画面の明るさが一番低い設定だったら、のっぺりと暗い写真に見えてしまう

媒体によって見え方が大きく変わってしまうなんて不安定すぎる

だから
質量を与えて状態を安定化させてあげたい
(エントロピーが低い状態にしてあげたい)

デジタルデータはパソコンやHDDが故障しない限りは保管できるし、いくらでも複製できるけど

プリントすれば
破り捨てるか
家が全焼しない限りは無くならない笑

パソコンの故障

家の全焼

安全なのはやはりプリントして保管しておくことだ笑


それと、僕が写真を撮るのは
「グッときた瞬間を持ち帰りたいから」なので
せっかく持ち帰った写真ならば
触りたくなるし、宝物のように飾りたいのだ


上で書いたように
なにをもって完成とするか、は
人それぞれ

自分が「完成」と思うタイミングは
自分が「写真を撮る理由」に合致するはず


まあ 、難しいこと考えずに写真を楽しむのが一番なんだけど笑

あなたの写真はなにをもって「完成」しますか






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