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📷50年後もカメラは生き残っているのか

50年後というと2074年
すごい未来に感じるけど、確実に来る


逆に50年前というと1974年
当時はデジタルカメラなんてモノは無くて
フイルムカメラ全盛期だ

当時を生きていないので詳しくはないけど
きっとカメラも高価な贅沢品だったはずだ


この50年でカメラは凄まじい進化をしてきた

機械シャッターから電子シャッターになり、
オートフォーカス機能、
絞り優先オート機能、
撮影枚数のデジタル表示、
そしてデジタルカメラの登場

そこから手ぶれ補正や人物認識、
Bluetooth機能に天体追尾機能まで…

そしてスマホの登場
これがカメラ史において一番の衝撃なはずだ

世の中で一番使われているデジカメが
iPhoneになった

「誰でも撮れない時代」から
「誰でも撮れる時代」に
この50年でカメラは大きく変わった

では、50年後はどうだろう
カメラは残り続けているだろうか

それとも、消えてしまっているのだろうか


50年後の世界を考えてみたい


たぶん次のカメラ革命は
コンタクトレンズ型カメラ の登場だ

自分の視界に写った範囲を瞬きの回数をトリガーに撮影できる、みたいな

その頃にはスマホも無くなっているかもしれない

人体内蔵チップのホログラフィック投影システムが登場して、それとコンタクトレンズ型カメラが同期している

自分が見た景色をそのまま保存できる
動画も撮れるような画期的なカメラだ

それによって暗証番号の盗み見や、学校のテストのカンニングなどの不正が増えるかも

遠赤外線機能を搭載して、服が透けて見えるかも(これは欲しい)


その次のカメラ革命は
「カメラという概念がなくなる」ことだ
これが最後の革命になる

「ムーンショット目標」をご存知だろうか

2050年までに人間が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を目指すという目標だ

なんともSFチックで非科学的な話に思えるが、なんとこれは内閣府が発表しているのだ


人類は身体を持たなくなり、それがエーテル体や電子世界だけの存在になるのかはわからないが、常に自分の視界を録画、保存することが当たり前の社会になるはずだ

「撮影」という概念が無くなる


悲観的な結論になってしまうから
冒頭で言わなかったが
カメラはいつか無くなるのだ


サッカーをする人はいても
蹴鞠をする人はもういない

おはじきはモンスターストライクに代わり
ベーゴマはベイブレードになった

時代とともに新しいものが現れて、古いものの座を奪う

きっと、カメラも例外ではない

しかし、カメラが無くなるというは

めちゃくちゃ悲しい


こんなに楽しいのに!
こんなに素晴らしいのに!

カメラを次の時代でも楽しんでもらうためには
今、カメラを楽しんでいる我々が要だ!

どうしたらカメラをもっとたくさんの人に楽しんだもらえるだろう、興味を持ってもらえるだろう、ということも考えていかなければいけない

僕たちカメラ好きにしかできない「カメラへの恩返し」を、深く考えていきたい

カメラを骨董品にしないために
今生きている僕たちの生き方が試されているのだ



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