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52 究極のミニマリスト教師、ペスタロッチ

 おはようございます。

 台風10号が来ましたが、ノロノロ台風で困ったものです。

 進路も気分で変わっているようで、まるで寅さんのような台風です。

 それでいて、勢力強すぎ。

 全くもって迷惑なものです…。

 みなさんは、大丈夫でしょうか?

 我が家は基本周りの情報に疎い人たちですので、備蓄とか一切しておりません。

 しかし、台風は過ぎ去りました。

 多大な被害を与えています。

 被災された方々は、1日でも早く元通りの生活に戻ることを願っています。


 さて、わたしが尊敬している教師がペスタロッチです。

ペスタロッチ

 ペスタロッチとは、スイスの教育家です。

 チューリヒで生まれ、カール大学を中退。

 ルソーの影響を受け、孤児教育や児童教育に一生を捧げた人物です。

 ペスタロッチは、自分自身には何の見返りを求めることなく、貧民や孤児をはじめとする子どもたちの教育、救済に献身する生涯を送りました。

 そして、彼の教育思想はその死から200年が経過した今も世界の教育界に多くの影響を与え続けています。


 わたしがなぜペスタロッチに心が惹かれるのか。

 それは、人生のどん底に陥っても、弱者を見捨てず、生涯にわたって貧民や孤児をはじめとする厳しい立場に置かれた子どもたちへの教育を続けたからです。

 並大抵の覚悟と信念、行動力がなければ、そんなことはできません。


 ペスタロッチが大学時代に強い感化を受けたのが、平等主義に立脚したルソーの政治思想でした。

 彼は、当初、牧師だった祖父の生き方に影響を受け、自らも牧師を志すようになります。

 そして、神学を学ぶためにカール大学(チューリヒ大学の前進)に進学します。

 大学在学中、彼は仲間と共に過激な政治活動に関わり、官職に就いて法律の力で人々を救済したいと思うまでに傾倒していましたが、スイス当局を批判する文章を書いたとの身に覚えのない嫌疑をかけられ、官職への道は閉ざされてしまいます。


 その後も、農場経営に挑戦して、挫折。

 活路を求めたペスタロッチが次に始めたのがノイホーフにおける貧民学校の運営でした。

 しかし、この貧民学校も失敗に終わるのです。

 最後には資金が底をつき、彼自身、水を飲んで暮らすほど困窮を極めましたが、雑誌に寄稿して寄付を募ったところ、ペスタロッチの志に共感したリーザべトという女性が無償の手伝いを買って出て、窮地を乗り越えることができました。

 それからしばらくして、彼は代表作といえる2冊の書物を著します。

 それが「リーンハルトとゲルトルート」「隠者の夕暮れ」です。


 ペスタロッチが生きた時代は、ヨーロッパの変革期と重なります。

 1789年に起きたフランス革命の波がスイスにも及び、スイス国内の混乱に乗じてフランス軍が侵入。その結果、たくさんの孤児が町で溢れました。

 この現実は、革命を支持してきたペスタロッチにその限界を知らしめ、本来変わるべきは人間であり、道徳的状態こそが本来の人間であることを悟らせたのです。


 その後、彼はフランス軍の焼き討ちに遭ったシュタンツに孤児院を開き、自ら院長として教育に尽力します。

 彼はカトリックの女子修道院の1室という狭いところで、多くの子どもたちと起居を共にしました。

 協力者もほとんどいない中、ほぼ1人で食事の世話から入浴まで孤児たちの生活全般の面倒を見たのです。

 朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも遅く休み、体調の悪い子がいたら一晩中、寄り添いました。

 手の付けられない不良少年がペスタロッチに勉強を教えられ、励まされて別人のように生まれ変わったという感動的な話がいくつも残っています。

 そんなペスタロッチのことを、子どもたちは「お父さん」と呼んで親しみました。

 その後、無理が祟ったおエスタロッチは吐血して倒れ、山間部の保養地で静養することになりました。


 しかし、彼の情熱はいささかも衰えず、体が回復すると53歳でブルクドルフという街の学校に職を得、一教師(後に院長)として働き始めるのです。

 その時を回想したペスタロッチの一文です。

「いよいよ生涯の大きな夢に着手できるという私の感動は、ひとたび私にそれを始めさせようものなら、たとえ最高峰のアルプスの山中であろうと、いな、火がなく水がなかろうとも、仕事にとりかからせるほどの勢いでした」

特集 不惜身命 但惜身命 ペスタロッチの生き方が教えるもの

 彼の教育事業はやがて成功を収め、彼の名声は国内外に届くようになりました。

 そして、生涯の夢だった貧民学校を創設することができました。


 どこまでいってもペスタロッチは弱者に寄り添う立場でした。この生き方がわたしはカッコ良すぎて痺れるのです。

 なんと、この時、70歳を超えた高齢の身でありながら、貧民学校で学んだ生徒が教師となって貧しい子どもたちを教育するという自立型の学校を目指して力を尽くすのです。

 いいですか。この時の70歳とは、相当な高齢ですよ。

 その年になっても、貧民教育に力を注ぐというペスタロッチの情熱には驚くほかありません。

 この後もペスタロッチの後継をめぐって経営陣同士の対立に心を痛めて、学園を去るなど、彼の人生は挫折と栄光の繰り返しでした。


 しかし、彼の教育に対する情熱を最後まで失うことはありませんでした。

 そこに貫かれていたのは、彼の強い信念であり、それは一言で教育愛と言えるかと思います。

 子どもの頃に家族に献身的だった女中のバーベリや祖父の生き方、ルソーの思想などがいつしか一つとなり、彼の中で醸成されたと言われています。

 また、彼は熱心なクリスチャンであり「私を支えたのは『聖書』だった」と言っていることを思えば、彼の教育愛の根源はキリストが説く無条件の愛だったと言えるかもしれません。

 ペスタロッチの教育の根幹をなす1つは「本質的平等観」です。

 そのことを端的に示すのが

玉座にあっても、木の葉の屋根の陰に住まわっても、すべて同じ人間である

『隠者の夕暮れ』岩波文庫

 この一文です。

 実際、彼は豊かな家の子も貧しい家の子も同じ1人の人間という姿勢を貫きました。

 かっこよすぎる…。


 2つ目が「子供たちの頭と心と手の調和的発達」について説いたことです。

 これは、知徳体の調和です。


 3つ目が「生活が陶冶する」、つまりわたしたちの日々の経験が教育になるという考え方です。

 学校教育に限らず、家庭での手伝いや食事、友人との遊びなどを通して、知的、道徳的、身体的に調和的に発達するとペスタロッチは考えました。

 今、日本の学校教育に取り入れられている掃除は、まさに生活の必要に立脚したものであり、自分たちが使う教室やトイレをクラス全員で美しくするという習慣は、平等観を培う上で大きな役割を果たしています。


 さて、わたしがこの偉大な教育者ペスタロッチに惹かれる理由。

 それは、彼こそが、元祖無課金おじさんの極みだからです。

 以前、この記事を書かせていただきました。

 わたしにとっての元祖無課金おじさんは、ペスタロッチであり、彼はその極みだと思うのです。

 ペスタロッチに関心がある方や研究をしている方からしたら、素人の戯言に聞こえるかもしれません。

 しかし、わたしはペスタロッチこそが、究極のミニマリスト教師だと感じているのです。

 以下の文から、彼の当時苦しかった時の生活の様子が分かります。

 ペスタロッチは、子ども共に泣き、子どもと共に笑う。「彼らのスープは私のスープであり、彼らの飲み物は私の飲み物でした」と言う。

 ペスタロッチは、何も所持するものはなく、「私にはただ、子どもたちだけがおりました」と子どもと共にあることに幸せを感じている。

「人を愛する教育〜ペスタロッチと東井義雄に学ぶ〜」赤坂雅裕 著

 この文が彼のすべてを物語っています。

 彼は、モノは何も持っていませんでしたが、自分が内に持っている力すべてを子どもたちのために捧げました。

 わたしは、彼こそが真の教育者であると尊敬しています。

 また、彼のミニマリスト具合にも痺れています。


 わたしは、これからもペスタロッチに1ミリでも近づく努力を続けてたいと思います。

 そして、ミニマリストでありながら「子どもと心でつながり、力を引き出す教師」になります。

 2学期が始まりましたが、自分のペースを大事にしつつ、家庭との両立を目指してがんばっていきます!


 今回も読んでくださり、ありがとうございました!

 台風の影響で全国的に悪天候の所が多いかと思いますが、みなさんの無事を心より祈っています。

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