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現在地:スマホ依存症
まずはnoteを書き始めた現時点での依存度合いを記します。
専業主婦で家で幼い子どもを育てていて、空いているスキマ時間はほぼほぼスマホ時間。
私が使っているiPhoneには「スクリーンタイム」というアプリの起動時間を記録・制御する設定があるのですが、以前試しに使ってみたところ、あまりに日常的にスマホを使っている自分が数値で可視化されて驚いて、設定をoffにした経緯があります。総合してなんと、睡眠時間と同じくらい。塵も積もれば山となる。
依存症を特徴づけるひとつに「罪悪感」というものがありますが、まさにこの通り、事実を突きつけられることに罪悪感が耐えきれず、事実そのものをなかったことにしたくなる心の動きがありました。本当は、罪悪感をなくしたり生活を改善するためには事実を目の当たりにしたうえで受け入れるプロセスが欠かせないのでしょうけれど……
いったい何に時間を費やしているかといえば、主に娯楽の用途です。
・SNS(ツイッター、インスタグラム多め)
・インターネット検索
・電子書籍(マンガ、実用書)
他には生活必需品(と思い込んでいる)としてのツールも、開く頻度や使用時間が結構あります。
・連絡(LINE、メール)
・写真(カメラ、アルバム)
スマホが依存の対象物として危険だなあと思うのは、あらゆる用途がこれ1台に集約されていること。もしも個々の目的がそれぞれ別の道具によってなされるのであれば、ここまで依存は深まらなかったかもしれないなと思います。
「あれをするために手に取ったけれど、ついでにこれも見ておこう」という「ついで」が起こりがちなんですよね。で、気づいたらあっという間に時間が過ぎている。
もちろん生活に必要な道具として「健全な使用」もあると思います。依存はその範疇を超えた、不健全な使用。私がそう思う理由は、スマホの過度な使用によって本来保たれているべき生活の質が下がっていること。
必要以上にスマホを触ってしまうことによって、
・空き時間の有効活用ができない(家事、育児、勉強など)
・息抜きをするはずがかえって疲れている(気疲れや罪悪感も含めて)
・健康にも悪影響(睡眠不足、運動不足、目や肩の疲労など)
もはや、生活のためにスマホを使っているのか、スマホを使うために生活を維持しているのか、本人の感覚としても客観的に見ても判別がつかない状況です。社会を生きる人間として、圧倒的な正解は前者なのだと強く感じてはいるのですが……
それに加えて、スマホを使わないときにも不具合が出ています。
・やるべき家事をスマホの使いすぎで忘れていて、時間差でしわ寄せがくる
・普段の思考もスマホの使用に引っ張られる、目の前のことに集中できない
・手持ち無沙汰なときにスマホが使えないとそわそわする
・いつか誰かに見つかってこっぴどく叱られるのではと気が気でない
ここまでどっぷりハマってしまって、果たして抜けることができるのか……「それで生活が維持できているならまだマシじゃん」という悪魔の声も聞こえてきたりします。だけど、いい加減ここで止めておかないとあっという間に取り返しのつかないことになる気がしているんです。現にこれまでに失ってきた時間や機会は、すでに取り返しのつかないことになっている。
noteの記事はスマホではなく、パソコンを使って書いています。インターネットの使用という広義ではこれも依存的行動のひとつに含まれてしまうのかもしれませんが……スマホに触らなくても場がもって、なおかつただの消費ではなく創作に時間を使えていることに今はほっとしています。まずはスマホの頻度を減らしていきたい。
いざ書き出してみるとあまりにも情けないのですが、これが私の現在地です。