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グリーンに目がない男『こうふく みどりの』の伏線と象徴を読み解く


あらすじ

「お前んち、いっつもええ匂いするのう。」

 そう言った転校生のコジマケンが気になる緑は、まだ初恋を知らない十四歳。

 夫(おじいちゃん)が失踪中のおばあちゃん、妻子ある男性を愛し緑を出産したお母さん、バツイチ(予定)子持ちの藍ちゃん、藍ちゃんの愛娘、桃ちゃん。

 なぜかいつも人が集まる、女ばかりの辰巳一家。そして、その辰巳家に縁のある、謎の女性棟田さん。それぞれの“女”が抱える、過去と生き様とは――。

 二ヵ月連続リリース第一弾『こうふく みどりの』は、大阪のとある街を舞台に、様々な形の“女のこうふく”を描いた、西氏渾身の一作。

こうふく みどりの|書籍 小学館    

西加奈子さんの『こうふく みどりの』を読んだ。まず心を奪われたのは装丁のデザイン。少し明るみがかかった緑と黄緑の中間くらいのカバーに表紙のタイトルがメタリックな赤が用いられていて、見返しにも補色である赤が使われている。この時点で興奮している僕は、「緑」と「赤」の補色による伏線や象徴に驚き、読書中に二度ほど涙を流すことを知らない。(リンク先が文庫版で申し訳ない…。)
この小説は、一見シンプルな日常の積み重ねのように思えるが、その奥には緻密に設計されたテーマが込められている。特に、以下の4つのポイントが印象的だった。(ネタバレを多分に含んでおりますのでご注意を…。)

1. 「赤」と「緑」の補色関係

タイトルにもなっている「みどり」という名前と、それに対する「赤」の象徴性。この補色の関係が、物語全体を通して強く印象づけられている。
夫が失踪しているおばあちゃんは作中「赤」という色に対して恐れている描写や発言が多くみられる。和歌山で生まれ育ったおばあちゃんには妹がいて、その妹は広島に移り住んで大戦の戦火で亡くなっている。初めから読んでいくと戦火の「赤」の記憶がおばあちゃんにとっての恐れだと思ってしまうが、失踪中の夫の弟(発達が遅れていて、兄が一生面倒を見ると言っている)を岩場から突き落とて命を奪ったことと深く関わっている。
花摘みをしたいと言った妹が、海辺の丸太に赤くて立派な花を置き忘れた(この時姉が弟「シゲオ」を突き落としたところを見ていた)。シゲオを突き落とした後にその花をおばあちゃんは海に投げ入れ、波にゆらゆらと浮かぶ様を眺めていたのだ。おばあちゃんにとって赤という色は、夕日のような色の着物を着てみたいという憧れの「赤」であると同時に、死を連想させる残酷な「赤」でもあった。
一方で緑という補色にあたる名を名付けられた主人公が、幸福についてゆったりとした時間の中で考え、成長していく様が対比的に配置されている。
「赤」と「緑」の本のデザインと内容がリンクしていて、この作品の味わいをより深くしていると思った。

2. 「落とし物」と「喪失」のテーマ

物語の終盤で緑とコジマケンは職員室に呼び出され「落とし物」の置き場にて話をする場面がある。話がひと段落したところで「勝手に持って行ってはいけません」という張り紙を緑が見た後に、コジマケンもそれを見て、二人で顔を見合わせる。
いとこの藍とコジマケンは恋仲になっており何度も体を重ねている。緑にとっては自分が好意を寄せていた相手がいつの間にか、いとこと恋仲になっており、
緑:コジマケンに「勝手に持っていかれた」
コジマケン:藍を「勝手に持っていった」
という構造になっている。
名言はされていないものの、二人とも思うところがあるからこそ顔を見合わせたのであり、「落とし物」「喪失」がリンクしていて、印象的に書かれている。緑は以前にも「落とし物」置き場に目を落とすシーンがあるが、内容物は今回と変わらず「落とし物」は持ち主の手に返っていない。
人は大切なものを意図せず「落とす」ことがあり、それは時に取り戻せないという強いメッセージが込められていると感じた。

3. 棟田さんの「清さ」と「自己嫌悪」

夫の罪を知りながらも添い遂げると決めた棟田さん。その決意に対する彼女自身の感情が、非常にリアルだった。
おばあちゃんの息子であり藍の父でもあるシゲオ(おばあちゃんの夫が亡き弟のことを思って同じ名前を授けた)は居酒屋で客同士の問答になり首を切られて出血多量で亡くなっている。
シゲオの首を切ったのが棟田さんの夫。プロレスが好きで、年齢を重ねてもリング上で奮闘するアントニオ猪木を見ることが大好き。性の病(恐ら勃起持続症?)を抱えてから妻に対して素っ気なくなり、二人には子供がいなかった。
居酒屋の一件で夫は15年服役することになったが、妻は周囲の反対を押し切ってそいとごることを決意した。「私にはこの人がいてくれればそれでいい」と敬虔なクリスチャンのような「清さ」、それは夫に対する愛情から自然に湧き出てくる感情であると当初は疑わなかった。しかし時が経つにつれて、その姿勢を貫いている自分自身に酔っていることに気づき、途端に自分が「醜い」と思うようになる。

この感情の内面と葛藤がリアルで、善と悪、清らかさと汚れの対比として描かれている。
最初に僕が涙を流したのはこの部分。ふとした瞬間に自分を第三者的な視点で俯瞰して捉えてしまうことってあると思う。例えば電車内が満席で自分は席に座っているが、周りに席を必要としていて困っている場合とか。
・譲ったらその人から感謝され、周囲の人も感心するかも?
・譲らなかったらその人から残念に思われ、周囲の人に軽蔑されるかも?
というような葛藤。日々の連続の中ではよくあるシチュエーションだが、ただ「席を譲る」ということに関してあれこれ勝手に思考してしまうのが人間だと思う。夫の一件に起因する棟田さんの姿勢は、この天使と悪魔の囁きのような第三者的目線で自分を眺めることの最たるものであると思うが、棟田さんの感情の描写が素晴らしいので実際にぜひ読んでいただきたい。読者それぞれが自分自身の価値観を重ねながら考えさせられる場面だった。

4. 猪木のスピーチと「生き続けること」

15年という服役の中で夫はファンである猪木の引退の姿をも遂に見届けることが叶わなかった。妻は面会の場でテレビを見て自分が書き留めた猪木のスピーチを読み上げるのである。妻が読み上げて夫がそれに続く。猪木のスピーチを輪唱するシーン。
ここで僕の涙腺はまた崩壊した。長い期間猪木を見ることができない夫、初めはプロレスにも興味が無かった妻そのスピーチを書き留めて読み聞かせる。猪木のスピーチに挟んで自信の感情の吐露も挟まれるのだが、それは実際の書に触れてもらうとして猪木のスピーチをここに紹介したい。

『道』

この道を行けば
どうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ


アントニオ猪木

プロレスバイブス 2022/10/31

夫との面会の場で、猪木のスピーチを読み上げる場面の象徴性。「人は歩みを止めた時に…」という言葉が、棟田さん自身の人生観とリンクする。「歩みを止めないこと」が、絶望の中でも生き抜く力になる。この場面は、人生においてどんな状況でも前に進むことの大切さを示唆しているように思えた。

読後の余韻

物語を読み終えて、改めて「幸福とは何か?」を考えさせられた。「幸福」には明確な形がなく、時に苦しみと隣り合わせである。赤と緑の補色関係、落とし物と喪失、清さと自己嫌悪、そして歩み続けること——これらのテーマを通して、本作は幸福の多面性を描いている。

僕が感動したり印象に残ったりしたのは緑に関すものより、棟田さんに関する描写が多かった。これは三十路を手前に差し掛かっているのとかも影響するのかな。
最近は、人生の中で「何を選び」「何を手放し」「何に向かって歩み続けるのか」を考えることが増えました。『こうふく みどりの』は、そんな自分の中の問いと向き合う機会を改めてくれる一冊でした。『こうふく あかの』はまだ読んでいないので楽しみです!皆さんもぜひ。


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イノカワサヤト
最後まで読んで頂きありがとうございます! ファッション×モチベーションで事業を起こすことが僕の夢です。ワクワクするようなサービスをあなたに届けられるよう頑張ります!!最初の投稿https://note.mu/sayatmyukaisa/m/m3b889ae1bbf0

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