熱いうちにどうぞ。
あたたかい飲み物って場が持つなぁと思う。
不思議なことに。
お互いちょっとずつ飲むからだろうか。
フーフーと冷ましたり、ちょびっと口に含ませたり、
飲んだあと「あぁ〜」とこぼしてしまう瞬間だったり。
冬になると家の中で
「何か飲む?」という会話が増える。
夫とはお茶やコーヒー、ときには紅茶も一緒に飲む。
夏は冷蔵庫に常備してあるお茶を各々が各々のタイミングで飲むスタイルだけど、冬だとやっぱりあたたかいものが飲みたい。
実家にいたころ、お茶を淹れるために席を立った誰かに
「あ、私も飲む」とか言っておこぼれをもらおうとしたり、
何も言わなくても私の湯呑みに注いでくれたりした。
そんな光景に冬だなぁと思う。
限りなく日常に溶け込んだ「ありがとう」が心なしか増えている。
寒がりで言葉足らずな私にはある意味必要な季節かもしれない。
そんなこともあって、冬は夏に比べると
『ありがとう』カウント2割増しくらいだと思う。
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私は普段コーヒーを良く飲むけど、紅茶も好きでストレートでもミルク割りでも飲む。
ときには家庭用のエスプレッソマシンでラテも楽しむ。
それらは夏は登場シーンが少ないもののこの季節には大活躍。
とくに温めてふわふわにしたミルクの甘さやまろやかさは世界を救う。
大勝利。
身体に染み渡ることこの上ない。
ミルクも日によって豆乳にしたりアーモンドミルクにしたりする。
今日は何を飲もう?と考える時間が贅沢だ。
お茶やコーヒーブレイクは無くても生きていける。
でも、私にとって時間の豊かさを感じる瞬間だ。
お腹を満たすものでもなく、栄養を補給するでもなく、ただホッとしたりそれ自体を楽しむだけ。
お茶しない?(死語)っていう日本語、
今考えると面白い。
お茶があれば誰かといる理由もできてしまうんだ。
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『コーヒーのふるさと』と言われるエチオピアでは、コーヒーセレモニーという儀式がある。
友人や客を招いて、コーヒーを煎って挽いて抽出するまでをその家の女性が執り行うそうだ。
それをみんなに振る舞い交流を深めるという伝統的な文化らしい。
儀式と言っても堅苦しいものではなく、現地では日常に根付いた光景なのだそう。
そのセレモニーは、全工程で2時間以上かかると聞いたことがある。
淹れてもらう、淹れてあげるという時間が、特別な何かはなくとも、そこにいる理由になるんだなぁと思うとなんだか羨ましい。
きっとみんなで世間話でもするんだろう。
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例えば相手が両手を広げて
「ウェルカム!あなたを歓迎するわ」
と言われたら、きっと嬉しい。
が、私みたいな人間は戸惑いもする。
この場合まずは羞恥心など捨て去って相手の懐に飛び込むのが正解だろうが、そもそもどうやって飛び込むんや。。
とか余計なことを考えている間に機を逃す。
その状況で躊躇せずダイブできる人生だったら、私は今ごろ友だち100人も夢じゃなかった。
そういうとき、空間に飲み物があるとずいぶん助けられる。
相手がそれを出してくれるだけで、歓迎の意やここでゆっくりしていきなよって気持ちは伝わる。
お茶を出すマナー云々はあれど、それでもおもてなしで出されるそれはちゃんと汲み取ることが出来る。
だから相手の胸に飛び込んで
「歓迎してくれてありがとう!私も嬉しいわ!」
とか言わなくても
ただ「おいしい」で返せばいい。
そんな不思議な空間が成り立つお茶やコーヒーのある生活は私にとって欠かせないのだ。
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2021年はじまって最初のコーヒーはエチオピアにした。
コーヒーにとって『はじまりの地』だから。
特にこれが飲みたいってのが明確にないときはそうやって季節感やウンチクをこじつける。
今日の気分はこれ、で選ぶのも良いけど
こんな気持ちにするぞ!という理由で選ぶのも個人的にはおすすめだ。
気分にコーヒーを合わせるんじゃなくて、
コーヒーに気分を合わせる。
(実際はそういう人の方が多いかも)
そうするとちょっと心のモヤが晴れて視界がスッキリする、私は。
選択肢の多さは豊かさでもあるけれど、ときにストレスにも変わる。
だから今日はこれを飲む日、と決めてしまえば
いい感じで気持ちを切り替えられる。
私にとってはおまじないみたいなものだ。
おまじないといえどあなどるなかれ。
心で唱えるそれより、味覚嗅覚を刺激されている分即効性がある、と信じている。
そしてそれが精神的なものに帰着せず体験として記憶されるから、ひねくれ者の私でも上手く心に作用してくれる。
たとえそれですぐには切り替えられなくても、
ただ「朝のコーヒー美味しかったな。」
と、一日のどこかで思い返すだけでもいい。
自分で飲む理由を付けるだけで、後からでもちゃんと思い出せる。
その瞬間はほんの少し何かから解放されるのだ。
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寒さは苦手だけれど、そして実は猫舌でもあるけれど
冬の「あったか~い」飲み物は身に染みる。
(自販機の表記にも惹かれる)
いつまでも私はきっとお世話になるんだろう。
もうすでに、明日のコーヒーが待ち遠しい。
ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。