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アリストテレスの災難            ~ギリシャの宇宙観の変遷~

  紅葉の季節を迎えたバーモント州のある小さな村.森の中でハリーという男の死体が見つかる.村では様々な理由で「自分がハリーを殺してしまったのでは?」と思い込む人物が何人もいたため,彼らはそれぞれの保身のためにハリーの死体を埋めたり掘り返したりすることになる.やがて村の保安官が動き出し,事態は意外な方向へ展開していく.(wikipedia「映画『ハリーの災難』」より引用)

※引用される史料に訳者が書かれていないものは筆者による試訳です.


序.

   本稿では,ギリシャ人の宇宙観の変遷を考えてみたいと思います.まずシュベーグラーによる,次の記述を見ておきましょう.

シュベーグラー『西洋哲学史(上巻)』(岩波文庫)1958年,198頁.
地球は原動者からもっとも離れており、したがって神的なものにあずかることももっとも少ない。

   この記述は,アリストテレス『天について』の解説なのですが,そこでは,宇宙の中心をもっとも神聖さの低い場所であり,そこに位置する地球を神聖さの低い場所と考えています.この発想について,ネオ高等遊民さんが,驚きとともに次のような感想をもらしています.

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そこで,この疑問を出発点とし,ギリシャ人の宇宙観の変遷を検討していきます.

1. ホメロス/天空と冥府

 ギリシャ人の宇宙観を知るには,ホメロス『イリアス』(前8世紀頃)から始めるのが良いでしょう.ホメロスの時代には,大地が球形であるという認識はありませんでした.平らな大地に住む人間と,天空に住む神々.天空が神聖な場所であるという認識は,既にこの時代に見られます.
 一方,大地の下についてはどうでしょうか.そのことを知るために,ゼウスの語る次の一節を見てみましょう.ゼウスは自分に従わない神々を次のように脅します.

ホメロス『イリアス』第8歌295~98行(呉茂一 訳)
それとも其奴はひっ捉えて,朧ろにかすむタルタロスヘと抛り込むか,
 ずっと奥にな,そこには大地の下でもいちばん深い坑牢があり,
その門はあらがねづくりで,戸閾(とじきい)もすべて青銅づくり.
 大空と地が離れているだけ,それだけ黄泉からまた奥にある.

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 このように,アリストテレス『天について』でみられる「宇宙の中心である地球が神性の低い場所である」という考え方に通じるものを,ホメロスにも認めることができるのです.大地の下に沈めば沈むほどに,神聖さが減っていくという発想(本稿では,それを「不浄」と表現することにします)は,ギリシャ人にとって伝統的なものであったといえるでしょう.

2. アナクシマンドロス/宇宙論の始まり

 次に,大地が宇宙の中心に位置するという考えを提唱した人物として,アナクシマンドロスが知られています.まず,アナクシマンドロスの宇宙観を知るための史料を確認してみましょう.

擬プルタルコス『雑録集』2
また彼[アナクシマンドロス]は,大地の形は円筒形で,横幅に対して三分の一の縦の深さを持っているという.

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』第2巻1
大地は球形[※円筒形]であり,中心の位置を占め,〔宇宙の〕中心に横たわる.

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アエティオス『学説誌』II 20,1(日下部吉信 訳)
アナクシマンドロスは,〔太陽は〕大地の28倍の環であり,空洞の外縁を有する火の充満した戦車の車輪のようなものであって,ある部分で,ちょうど「笛の吹き出し」のように,孔を通して火を見せているという.その火が太陽なのである.

この宇宙論の特徴をまとめます.
1.  大地は円柱形で宇宙の中心に位置する.
2.  宇宙や大地の大きさは数の比で表現できる.
3.  太陽は天体ではなく円環で,その一部分が我々に顔を覗かせている.
4.  宇宙は無限の広がりをもつ.

 この宇宙論が提唱されて以降,「大地が宇宙の中心で固定されている原因」や「日月食の仕組み」,「宇宙や天体の大きさの探求」が,ギリシャの自然哲学の重要な問題として認識され,それらの探求が始まります.
 前3世紀に至るまで,天文学の水準は,バビュロニアがギリシャに勝っていたのですが,バビュロニアの天文学には,太陽や地球の大きさや形,食の原因について探求した痕跡は見られません.アナクシマンドロスは.西洋の天文学史上,重要な問題を提起した最初の人物といえます.
 一方で,アナクシマンドロスは,場所における神聖さの違いについてはどのように考えていたのでしょうか?

アエティオス『学説誌』I 7,12(日下部吉信 訳)
アナクシマンドロスは、無限〔無数〕の諸天界を神々であると唱えた。

天空を神聖なものとする伝統的な考え方はこの自然哲学者にも踏襲されているようです.

3.フィロラオス/古典期の地動説

 前5世紀になると,アナクサゴラスは,太陽の大きさについて「ペロポネソス半島より大きい」と提唱し,日月食の原因について,天体の掩蔽が原因であると正しく推論しました.ギリシャの自然哲学者の間では,大地が球形であり,太陽が天体であるということは(多少の議論はあったとしても)ほとんど常識になっていました. 

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一方,ギリシャ人にとっての天空(宇宙)の神聖さを知るには,次の記述は重要です.

ヨセフス『アピオーン論駁』第2巻265(秦剛一 訳)
 アナクサゴラスはクラゾメナイの生まれの人であった.しかし,アテーナイの市民たちが神と考えた太陽を,一塊の金属性の灼熱体にすぎないと主張したため,告発された.彼があやうく死刑を免れ得たのは,わずか数票の差であった.

 ホメロスに現れる「天空=神聖な場」という発想を,アリストテレスの「先駆」と表現しなかったのは,哲学者の考える「宇宙の神聖さ」と,一般のギリシャ人の感じる「天空の神聖さ」というものを区別して考える必要があると思うからです.「天空の神聖さ」と一口にいっても,ギリシャ人は一枚岩ではなかったと考えるべきでしょう.

 さて,この時代,ピュタゴラス派のフィロラオスという人物が,地動説を提唱したことは注目に値します.ただし,その中心は太陽ではなく「火🔥」です.

アエティオス『学説誌』II 7,7(日下部吉信 訳を一部改変)
 ピロラオスは中央の真ん中に火があるとし,それを万有の「竃」,「ゼウスの館」,「神々の母にして祭壇」,「自然の要にして尺度」と呼ぶ.そして最も高いところにもまた別 の取り巻く火がある.中心が本性上第一のものであって,それを巡って10個の神的な物体が輪舞している.すなわち〈恒星天球の後に〉五つの惑星それらの後に太陽,その下に月,その下に大地,その下に対地星,そしてそれら一切の後に「竃」の火が中心付近にその位置を占めているのである.ところで取り巻く火の最も上層の部分(そこには基本元素の清浄さがある)を彼は「オリュンポス」と呼び,オリュンポスの軌道の下の部分(そこに五つの惑星が太陽や月と共に配置されている)を「コズモス」と呼び,それらの下の月下の地上を取り巻く部分(変化を好む生成に属する諸物はここにある)を「ウラノス」と呼んでいる.そして彼は天空に存するものの秩序と整然さに関して「知恵」が生まれ,生成する諸物の無秩序に関して「徳」が生まれるという.前者は完結的であり,後者は不完全である.

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この宇宙論における(見えない)対地星の理論は,アリストテレスにより痛烈に批判されます.

アリストテレス『天について』293a23~(池田康男 訳)
 その上,彼ら[ピュタゴラス派のフィロラオス]はわれわれの大地に対立した別の大地を用意して,それを地対星と呼んでいる.この場合,彼らは現象を説明するために,その理由や原因を探すのではなくて,むしろ自分たちの理論や意見のために,事実を曲げて辻褄を合わせようとしているのである

アリストテレス『形而上学』986a8~
 私は次の様に言う,なぜならば10〔という数〕が完全であり,それはあらゆる数の自然を包摂していると彼らは考えたため,天空に沿って運動しているものどもの〔個数〕を,まず10個であると話し,また明らかなのは9個だけなので,10番目の地対星を作り出しているのだと.

 このアリストテレスの批判から,数を原理として,ア・プリオリに宇宙を構成してみせた思想家(宗教家?)が登場したことが分かります.それではなぜ,フィロラオスは宇宙の中心に火を置いたのでしょうか? そして中心に置かれる火は神聖なものなのでしょうか? このことについては検討するために,引き続きアリストテレスの証言を見てみましょう. 

アリストテレス『天について』293a30~(池田康男 訳)
 というのは,最も貴いものには最も貴い場所がふさわしく,火は土よりも貴いものであり,また限界は中間よりも貴く,最外部と中心は限界だと考えるからである.したがって,彼らは以上のことから類推して,天球の中心には大地ではなくて,むしろ火があるのだと考える.

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 「中心と限界」に神聖さを見出したフィロラオスは,大地を中心から排除し,神聖な火を置くことで,彼らの「思想を満足させる宇宙」を構成してみせました.この斬新な想定も,大地を不浄なものとするギリシャの伝統的な考え方の変形版であるとみることができるでしょう.
 大地が動くという直感に反する理論を提唱するギリシャ人はフィロラオス以外にも登場しました.そのなかでも,プラトン『ティマイオス』の想定を知っておく必要があるでしょう.

プラトン『ティマイオス』40B~
 大地については,まず我々の養育者とし,また万有を貫いて伸びる軸の周りをグルグルと回りながら,彼は夜と昼の見張り番であり制作者として,宇宙に創造された神々[天体]の中で最初であり最年長として生じさせたのです.

 プラトンが『ティマイオス』において地球の自転を想定していたかどうかは議論が多く,確定的なことは言えませんが,大地の可動性について思索を巡らせていた証拠の一つと考えることができます.
(なお,逍遙学派のテオフラストスによれば,晩年のプラトンは宇宙の中心に地球を置いたことを悔やんだとされています).
 さらに,プラトンの弟子であるポントスのヘラクレイデスは,地球の自転を明確に提唱しています.前4世紀には,大地が運動しているという直感に反する思弁的な宇宙論が提唱されました.

4.プラトン/惑星の逆行 

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 何人かの注目すべき例外はあったものの,ギリシャ人の宇宙観は,地球を中心とし,太陽や惑星が円軌道上を周回するというものが主流となりました.この頃,ギリシャ人に不思議な現象が知られるようになります.「惑星の逆行」と「四季の不均等」と呼ばれる現象です.

※「四季の不均等」とは,春分―夏至―秋分―冬至の期間(日数)が均等ではないということです.また「惑星の逆行」とは,地球が外惑星(火星など)を追い抜くとき生じるものであり,詳しくは「惑星の逆行」で検索してみてください.

 素朴な天動説では,この現象をうまく説明できません.そこで,プラトンは次のように語ったとされています.

シンプリキオス『アリストテレス「天について」註解』488             プラトンは (ソシゲネスの言うように) これらのことに関心のある者たちに,課題を作り出した.惑星の〔見かけの〕運動についての現象は,どのような一様で規則的な〔円〕運動という仮定に基づいて救うことができるのだろうか?

 この「プラトンの課題」への応答として,何人かの人物が,「一様で規則的な〔円〕運動という仮定」により惑星の逆行を説明するモデルを提唱したとされています(アリストテレスもその中の一人です→『形而上学』Λ巻).
 彼らは「同心天球」という,球を幾重にも重ねた複雑なモデルにより,惑星の逆行と四季の不均等を定性的に説明することには成功しましたが,現実の惑星の運行や位置を定量的に説明することには失敗したため,結局この複雑なモデルは行き詰まり,放棄されます.
 また,この頃には複雑な天体の運行を議論するために,素朴な模型(天球儀)が使用されていたことがプラトンの次の一節から知られています.

プラトン『ティマイオス』40D
 これら[惑星の運行]のことは,模型を見ずにお話したところで,無駄な労力となることでしょう.       

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5.アリスタルコス/太陽中心説の提唱

 惑星の逆行の問題を解決する試みの中で,アリスタルコスという天文学者は,太陽を中心に配置することで,逆行現象を説明しようとしたと考えられます.この太陽中心説は,さほど注目もされず,さらに同時代のストア派の学頭クレアンテスにより次のように非難されます.

 プルタルコス『月面に見える顔について』923A(三浦要 訳)
「ねえ君,ギリシア人たちはサモスのアリスタルコスを,宇宙世界の竈を動かしたという理由により―― というのも,この人物は,天界は静止し大地が自分自身の軸のまわりを回転していると同時に黄道に沿って転回している,と想定することでもって現象を救わんとしたから――不敬神の罪で告訴しなくてならないのだ,とクレアンテスが考えていたように,…」

 地球のことを「宇宙世界の竈」と表現しているのですが(これはフィロラオスが中心火を「竈」と呼んだことに対応しているのかもしれません),アリスタルコスが太陽を宇宙の中心に配置し,地球を中心から上――すなわち神聖な場所――に配置することを「不敬神」なことであるとしたのです.
 クレアンテスは,太陽を神聖な存在と考えた哲学者であることが知られています.

キケロ『アカデミカ前書』126
 ゼノンをはじめとするほとんど全てのストア派は,アイテールを至高の神であり,宇宙を支配する精神を授けられていると考えているが,クレアンテス――古い世代のストア派でありゼノンの弟子――は,太陽が世界の主人であり支配者であると考えた.

 これらのことからクレアンテスは宇宙の中心よりも,天空(より恒星天球に近い方)が神聖であると考えていたことが分かります.ホメロス以来続いてきた,天空への敬虔な心というのは,前3世紀においても健在でした.
 しかし,このような宇宙と地球について「神聖」と「不浄」を想定する伝統的な考え方は,次第に見られなくなっていくのです.そのことを見る前にアリスタルコスのもう一つの業績を見てみましょう.

 もう一つの業績とは,幾何学を宇宙に適応することで「現代においても正しい方法」で太陽と月の大きさを評価したことです.彼の計算は,「太陽の体積は地球の254倍よりも大きい」という(当時としては途方も無い)結果を導きます(※現在知られている値は約130万倍).

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 アリスタルコスの得た成果により,天体や宇宙というものが,それまで想定されていたよりも遙かに巨大であることが結論されたのです.アリスタルコスの次の世代のアルキメデスは,太陽中心説は却下したものの,宇宙の大きさの見積もりにおいて,アリスタルコスの考えを応用することで,次の結果を得ます.

アルキメデス『砂粒を算える者』
宇宙の直径は100億スタディオンよりは小さい.

 1スタディオンは,約180mですので,100億スタディオンは,18億kmとなります.当時の宇宙は,土星の外側にある恒星天球で終わっており,我々の考える宇宙の大きさに比べると,とても小さな見積もりといえますが,日常的な感覚からかけ離れた巨大な宇宙を想定する自然哲学者が古代ギリシャには登場しました(※現在知られている土星の公転直径は約28億km).宇宙を幾何学により議論するということが前3世紀になり,本格的に始まったといえるでしょう.

6.エウクレイデス/天動説を証明

 あまり知られていないのですが,『原論』で有名なエウクレイデス(ユークリッド)には,天文学の著作もあります.その中に,ディオプトラという天文観測機械を利用した注目すべき命題があるので紹介したいと思います(※[証明]より後の部分は読み飛ばしても支障ありません).

エウクレイデス『ファイノメナ』命題1
大地は宇宙の中央にあり,宇宙に対して中心の位置を占めている.
[証明]宇宙において,水平線をABとし,また我々の視点である地球をD,そして,まず東の端をG,また西の端をAとし,そして点Dに置かれたディオプトラにより,巨蟹宮の上昇が観測される点をGとしよう.ゆえに,同じディオプトラにより〔反対側に〕磨羯宮を観測できることになる.
 点Aにて観測されるとしよう.すると,点A,D,Gはディオプトラで観測されるから,ADGは固定された球[恒星天球]の直径であり,黄道の〔直径〕でもあるから,それは水平線上で6つの宮を切断する.そこで再び,黄道とディオプトラを動かした後,獅子宮が観測される点をBとしよう.ゆえに,同じディオプトラにより〔反対側に〕宝瓶宮を観測できることになる.
 点Eにて観測されるとしよう.すると,点E,D,Bはディオプトラで観測されるから,EDGを通る直線がある.これをEDBとしよう.ゆえに,EDBは固定された球[恒星天球]の直径であり,黄道の〔直径〕でもある.またADG〔が恒星天球の直径であること〕も証明された.
 ゆえに,点Dは固定された球[恒星天球]の中心であり,そして大地の上にある.そこで,同様に大地の上のどの点をとっても,〔その点が〕宇宙の中心であることを,我々は証明することになる.ゆえに,大地は宇宙の中央にあり,宇宙に対して中心の位置を占めている.[証明終]  

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 もちろん,ここで行われた議論によって地球が宇宙の中心であることが「証明された」とはいえません.この証明は,実質的に『ファイノメナ』という著作内部における議論の出発点を明示したに過ぎないということになるのですが,それでもなお,幾何学的な議論により,地球が宇宙の中心にあることが証明されたというのは注目すべき成果です.

 これ以降,アナクシマンドロスによって開始された「地球が宇宙の中心にある原因や日月食の仕組みの探求」への関心は,計算と幾何学による天体の運行の説明に移っていきます.
 前3世紀以降のギリシャ天文学の著作には「天空の神聖さ」や「大地の不浄さ」という議論は消滅してしまうのです.

7.プトレマイオス/天動説の完成

 太陽中心説が支持されなかった要因として,大地が動くという直感に反する想定もありますが,問題はそれだけではなく,「年周視差」が観測されなかったということも重要な事実です.

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 地球が太陽のまわりを周回しているのであれば,星の位置(視角度)が季節によって変わるはずですが,この視差は検出されませんでした(この年周視差は,恒星が非常に遠い位置にあることから,最初に検出されるのは実に19世紀になってからです).
 一方で,古代(中世になっても)においては,発見されるのは天動説に都合のよい事実ばかりですので,太陽中心説が注目されないのは当然の成り行きだったのです.
 前4世紀以来の懸案であった「惑星の逆行」と「四季の不均等」は,前2世紀には,アポロニオスとヒッパルコスという天文学者により「天動説モデルの枠組み」の中で解決されており,後2世紀のプトレマイオス『アルマゲスト』により,天動説は惑星の運行を精密に計算できるモデルとして完成したのです.
 『アルマゲスト』では,地球が宇宙の中心にあり不動であることについての説明の中には「神聖」や「不浄」といったものはありません.プトレマイオスの天文学は,伝統的な神聖の概念やアリストテレスの議論を必要としなかったわけです.
 さらに『アルマゲスト』を詳しく見てみると,アリストテレスの想定との違いが浮き彫りになります.プトレマイオスのモデルでは,地球が宇宙の中心に固定されていますが,惑星が地球を中心として回転することはありません.たとえば太陽は地球の傍らにある点Zを中心として回転するのですが「この点Zとは何なのか?」といった議論は『アルマゲスト』にはありません.

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 さらに,下図は『アルマゲスト』における惑星の軌道です(※青い曲線が惑星の通り道).そもそも惑星は円軌道でなく,複雑な曲線を描いて運動していますし,回転の中心も地球ではありません.さらに予測精度を上げるために「エカント」と呼ばれる点を導入することで,惑星の運動は等速ではなくなります.もはや「プラトンの課題」である「一様で規則的な〔円〕運動という仮定」は重要ではなかったのです.

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 このように,現実の現象を説明するための理論としての天動説というのは,「天空の神聖さ」や「大地の不浄さ」という説明を必要としない,テクニカルで自律したものとして完成されたのでした.
 一方で,新プラトン主義の哲学者たちは,天空と大地については伝統的な見解を維持していました.後3世紀の哲学者の議論を見てみましょう.

プロティノス『グノーシス派に対して』5(水地宗明 訳)
 また,彼ら自身の魂は,最も低劣な人間のそれにいたるまで,不死で神的であると主張しながら,全天とそこにある星辰とが,〔地上のものよりも〕はるかにすぐれた純粋な元素から成り立ちながら,不死なる魂にあずかった純粋な元素から成り立ちながら,不死なる魂にあずかっていることを否定するとは.しかもその際彼らは,一方において,かの所[上天]の秩序と美しい形と整然さとを目の当たりに眺め,他方において,ここ大地の周辺の無秩序ぶりを彼ら自身だれよりも口やかましく非難しているのである.これはまるで,不死なる魂が自分のためにはわざと劣悪な場所を選定し,可死的な魂に,より良い場所を譲ることを望んだかのようではないか.

 このプロティノスの議論には,ホメロスの時代には既に存在し,アリストテレス『天について』にて明確に示された「天空=神聖さ」と「大地=不浄」という想定を見て取れます.しかし,このような議論は,もはや天文学のテクニカルな進歩には影響を与えることはありませんでした.

 「プラトンの課題」を受け,そしてギリシャの伝統的な「天空の神聖/地上の不浄さ」を哲学的に検討したことで成立したアリストテレスの議論(「四元素説+アイテール」と『自然学』での運動論)は,天文学者により埋められた後,天空の調和や地上の無秩序(に見える)運動の説明として,哲学者によって掘り起こされていたのだといえるでしょう.

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8.近世の受容/地動説へ

 これまで,ギリシャにおける宇宙観の変遷を辿ってきましたが,近世の受容についても簡単に言及しておくのが適切でしょう.

 プトレマイオスが完成させたテクニカルな天動説は,「神聖」や「不浄」(四元素説+アイテール,「軽い元素/重い元素」と運動論)といった概念を必要としない一方で,大地を宇宙の中心と考えたアリストテレス哲学とも矛盾しないため,哲学的にも,科学的にも完璧な体系として中世西欧に受容されます.
 さらに聖書の記述

「ヨシュア記」10:12~13
 日よ とどまれ ギブオンの上に
  月よ とどまれ アヤロンの谷に

とも合致するため,天動説は西欧において確固たる地位を築いたのです.
 我々は後の歴史を知っているため,科学の進歩により天動説が地動説に「正しく」置き換わったと理解しています.しかし,天動説を受容した人々にとって,それは信仰上の理由だけではなく,実用上も十分に正しいものであったことを理解する必要があります.

 1572年に観測された彗星は,月の遙か上を通過していることが知られました.これにより,アリストテレスの体系への深刻な疑念が生じます.さらに惑星の運行を計算するために複雑化した天動説に対して,「プラトンの課題」――惑星の〔見かけの〕運動についての現象は,どのような一様で規則的な〔円〕運動という仮定に基づいて救うことができるのだろうか?――を復興(ルネサンス)させようとしたこと…など,天動説から地動説への転換は様々な要因が考えられますが,ここでは参考図書をあげることにとどめます.

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クーン(常石敬一 訳)『コペルニクス革命』講談社,1989年

山本義隆『世界の見方の転換』(全3分冊)みすず書房,2014年

 最後に地動説を完成させたケプラーと,プトレマイオスの天動説の惑星軌道を比べてみましょう.

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  果たして「プラトンの課題」に取組んだ自然哲学者は,プトレマイオスとコペルニクス/ケプラーのどちらが相応しいと考えれば良いのでしょうか? 

 古代ギリシャ人の「神聖さ」と「不浄さ」という伝統的な想定から始まった宇宙論は,哲学者の真剣な探求と議論を経た後,数学のテクニカルな議論を取り込むことで自律した学問となりました.

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 近世以降,その成果を受容した人々は,既に埋められた古代の哲学者の議論を掘り起こし,そこへ彼らが独自に発展させた数学上のテクニックの力を吹き込むことで,惑星の軌道に「円」ではなく,「楕円」を導入することに成功したのです.この成功により,地動説の正しさは決定的なものになったのです.

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E.J.エイトン『円から楕円へ―天と地の運動理論を求めて』共立出版, 1983年

 最後に,地動説完成の立役者であるケプラーが,地動説を擁護するために,天動説の権威であったアリストテレスを掘り起こしに行こうとする一節を引用して終わりにしましょう.

ケプラー『宇宙の神秘』第1章(大槻真一郎/岸本良彦 訳)
 さらに私はためらうことなくこう断言する.コペルニクスが幾何学の公理に拠りながらア・ポステリオリに結論し,観察を通じて明らかにしたことはすべて,もしアリストテレスが生きていれば彼自身をも証人に立てて,どんな曖昧さもなくア・プリオリに論証できるのである,と.

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参考図書

古代ギリシャ科学の通史を学ぶことができる日本語文献としては,

ロイド『初期/後期ギリシア科学』法政大学出版局,1994年

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さらに天文学に絞って詳しく学びたい方は,本文中でも言及した

山本義隆『世界の見方の転換』(全3分冊)みすず書房,2014年

を参照することになります.

古代ギリシャ天文学は,イスラーム地域で受容され,発展を遂げます.思想的な背景やテクニカルな問題について学べるものがこちらです.

三村太郎『天文学の誕生』岩波書店,2010年

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また,本文中では言及しませんでしたが,コペルニクス以前に,キリスト教の立場から地球の運動を提唱した人物としてクザーヌスが知られています.天文学と哲学,宗教との関係を検討するために,彼の議論を知ることは有益でしょう.

クザーヌス『学識ある無知について』平凡社,2012年

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