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ともにギリシャ悲劇を読む

序.

 本稿はギリシャ悲劇に興味をもっているけれども,まだ読んでいないという方のために書きました.私は,この原稿を執筆時点で〈ネオ高等遊民読書会サークル〉に参加をしておりますが,そこでギリシャ悲劇に取組むことになっています.

 大好きなギリシャのこととはいえ,悲劇というのは自分の関心の外にあったので「読んだふり」をしてきたのですが,とあるきっかけからギリシャ悲劇への関心が高まったのです.そのきっかけの1つ目はこちらです.↓

 そして2つ目のきっかけは,哲学のある主義/主張について,その歴史的源泉を調べる際に出会った著作に収録されていた,古代人の言及をまとめた資料に触れたことです.その中にアリストテレスの一節がありました.

アリストテレス(茂手木元蔵 訳)『エウデモス倫理学』(1215b20~)
 それゆえ次のことは明らかである――もし誰かが〔われわれに〕選択〔の自由〕を与えていたならば、少なくとも右のごときこと(※)があるから、この世に生まれてこないことが初めから望ましいことであったかもしれない。               (※)病気や激痛などの人生の辛苦のこと

 この言葉はソフォクレスの『コロノスのオイディプス』を典拠としていることが知られています.そして,この台詞がどのような文脈で扱われているのか,知りたくなってしまったのです.なんと言っても「すべての人間は生まれながらに知ることを欲する」のですから.

 歴史史料としての乾燥した悲劇ではなく,今をどう生きるのかを考えるための悲劇として,仲間とともに悲劇を読むことにしました.幸いにも,集う方々は関心を示してくれました.なお本稿のタイトルを「読む」としたのは,そもそも悲劇とは演劇なのですから,「観る」ものです.当然,器楽(笛)の伴奏もありました.2400年後の我々がギリシャ悲劇を読むというのは,映画の脚本を読むことよりも,能や歌舞伎の台本を読むことに近いのかもしれません.それは本来の楽しみ方ではないでしょう.そういった限界をわきまえた上で悲劇に取組みたいから「読む」としたのです.
 ですから,当時のアテナイ人が涙し,戦慄した舞台を想起するためには,ギリシャ悲劇というものについての予備知識を得ておく必要があることになります.それらを皆さんと共有するため,簡単にまとめ,ご紹介いたします.

1. ギリシャ悲劇とは

 現代まで完全な作品が伝わるギリシャ悲劇の詩人(作家)の名はアイスキュロス,ソフォクレス,エウリピデス3人です.

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 彼らの作品は,古典期のアテナイの劇場(orchēstra)で上演されていました.上演にかかる費用は,ポリスと富裕層(合唱隊奉仕)によって賄われ,時代を下ると,貧しい層の市民には観劇手当(入場補助金)が導入されました.全市民の参加を促すという強い意図を感じさせます.市民の観劇への参加には相当な義務感があったことが想像できます.

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 アテナイ人にとって,民主政の維持と観劇には,我々が想像するよりも強い絆があったのかもしれません.詩人は政治的な主張/批判を演劇に込めたのも(これは喜劇では顕著),そのような背景があったからでしょう.

2. 悲劇の語源

 「悲劇」という語(tragōdia)は,もともとは「山羊の歌」という意味で,喜劇(kōmōdia)は「宴会の歌」を意味します.なぜ「山羊」なのか?確かなことは当時のギリシャ人にも分からなくなっていたようです(現代でも諸説有り).

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 我々にとって大切なことは,ギリシャ悲劇と呼んでいるものの中には「ハッピーエンド」のものも存在するということです.例えば,エウリピデス『ヘレネ』などは,我々が悲劇と呼ぶものとギリシャ人のtragōdiaとではズレがあることを教えてくれます.最後の部分をご紹介します.

『ヘレネ』1680行(細井敦子 訳)
おお,レーダーとゼウスの子らよ,
あなた方の妹君にまつわるこれまでの怨みは捨てよう。
わたしももう、わたしの妹を殺そうなどとは思うまい。
あの女は、家へ帰るがよい、神々の御意であれば。

 どうやら「悲劇」と訳される tragōdia という言葉には「」や ‘ bad’という意味はないようなのです.

3. 上演時期と劇場

 ギリシャ悲劇は,ディオニュシア祭(とレナイア祭)で上演されていました.レナイア祭の時期は海の荒れる真冬なのですが,ディオニュシア祭は3月~4月に相当します.アテナイの同盟諸国(ポリス)からの代表者も参列したものと考えられています.アテナイの栄華と威容を見せつけたことでしょう.

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 さらに春は戦争の始まりの季節でもあります(冬に戦争が全くなかったわけではないのですが).演劇の観客に,女性や奴隷がいたのか,はっきりとしたことは分かりませんが,市民(つまり男性)しか参加できなかったと考える研究者もいるようです.演劇は,兵士たるアテナイ市民にポリスの一員としての紐帯を強化させる機能を担っていたのかもしれません.

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4. 韻律

 ギリシャ悲劇には多くの邦訳がありますが,原典は韻文で書かれていたということも知っておくべきでしょう.韻文といっても「ギリシャで観・劇,君はね感・激!」というようなのことではなく文章のリズムのことです.強いて言えば七五調のようなものを想像してみてください.

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 台詞が韻文なのですから,登場人物の対話において,丁々発止のやりとりというものはありませんが,そのことが逆に,悲劇独特の雰囲気を醸し出しているともいえます.散文で書かれたプラトンの対話篇と比較してみましょう.

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どうですか? 韻文で書かれた悲劇が持つ原典の雰囲気の,ほんの一部だけでも感じて貰えましたでしょうか?

5. 役者と仮面

 演劇であるからには,役者について知っておくべきでしょう.ギリシャ悲劇は3人の俳優とコロス(※コーラスの語源)という合唱隊からなっています.この合唱隊の日当などの費用が富裕層の義務だったのです.また,登場人物が3名より多い場合でも,3人の俳優がそれぞれ兼任したとされます. すると舞台に同時に上がるのは3人までということなりますね.この理由はよく分かっていないようです.また,俳優は仮面をつけていたようです.ギリシャ悲劇(喜劇も)は仮面劇だったのです.

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6. 一度きりの上演

 ギリシャ悲劇は,再演を想定していない演劇でした.毎年毎年,新作が上演されるわけです.取り上げられる題材は,ギリシャ神話を題材としており,詩人毎のアレンジはあるもののストーリーの展開や結末を,当時の観客は知った上で観劇していたことになります.これは観衆の分かりやすさへの配慮もあったのでしょう.
 同じ題材における設定の違いに,詩人の主張が現れているともいえます.そして観客のよく知るギリシャの英雄を,ディオニュシア祭というハレの日に蘇らせることが詩人の役目だったということもできるでしょう.
 するとホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』と比較しながらギリシャ悲劇を読むと,より多様な理解が得られそうです.

7. 時間経過の制約

 ギリシャ悲劇は舞台という空間(場所)だけではなく,時間にも縛られていたということも知っておく必要があるでしょう.有名な『オイディプス王』を例に説明します.

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 このお話は,オイディプスの両親にアポロンの神託が告げられることを起点とし,オイディプスが自身の出生の秘密を知ることで終点を迎えます.その正確な期間は知り得ませんが,少なくとも30年程度の物語でしょう.しかし劇中での時間の流れは,観客の時間とほとんど同期しています.30年の物語ですが,劇自体は,オイディプスによる犯人捜しの場面に収斂しているわけです.この時間の制約により,舞台と観衆は

「ジャック・バウワーだ!!」

と言われているような緊迫感を共有していたのかもしれません.

8. おわりに

 ギリシャ悲劇についての「簡単な解説」のつもりでしたが,随分と長くなってしまいました.ご紹介したいことは沢山あるのですが,この程度にしておきます.本稿を読んでみて,実際に悲劇を読んでみたいと思ってもらえたでしょうか? 既にお持ちの方は,もう積んでいる場合ではありませんよ.

アリストテレスは『詩学』の中で次のように言っています.

「歴史家は実際に起こったことを語るが、詩人は起こりうるようなことを語るということである。それゆえ、詩作は、歴史よりもいっそう哲学的であり、いっそう重大な意義をもつのである。というのも、詩作はむしろ普遍的な事柄を語り、歴史は個別的な事柄を語るからである。」(朴一功 訳)

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 最後にとっておきの入門書をご紹介します.古典には解説書が必須なのですから.

・丹下 和彦 『ギリシア悲劇―人間の深奥を見る 』中公新書, 2008年

・川島 重成 『「オイディプース王」を読む 』講談社学術文庫,1996年

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