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私たちは誰が書いた著作を読んでいるのか?

本稿は,斎藤憲「数学文献とアリストテレス」『アリストテレス全集12』所収の月報,Reviel Netz,The Shaping Deduction in Greek Mathematics, をもとに書いたものです.

0. 私たちはそもそも「オリジナル」を読んでいるのか?


(西洋)古典に対して,「原典など読まなくても,翻訳を読めば良い」
             「原典を読まなければ,読んだとは言えない」という意見が鋭く対立する場合があるようです.ここでは西洋古典の中でも,数学の文献に限って,オリジナルに接するメリットについて考えてみたいと思います.
 デメリットは簡単です.「言語の習得にかかるコスト」と「読める量」.訳書であれば,より多くの著作を,母語を読むスピードで,さらに研究者の註釈も併せて読むことができます(誤解を減らすことになります).「原典を読む」,すなわちテクストと向き合うことは,読書体験としてどういったメリットがあるのでしょうか? 研究者は数学文献の原典とどのように向き合っているのか? ほんの少しだけでもご紹介できればと思います.

※ここでいう読書体験の主語には,当然ですが研究者は含みません.

文献学についてはこちらの秀逸な動画をおすすめしておきます.

https://www.youtube.com/watch?v=eQw6gvVka90&t=83s

1. 後世の加筆
 古代から現代にまで伝承された文献には誤植がつきものですが,誤植以外にも「後世の加筆」と呼ばれるものがあります.印刷機の発明以前の書物は写字生とよばれる人が,手書きで書き写していました.そこで,本文をより分かりやすくする(など)の意図をもってテクストに書きこまれた文が,書き写しを重ねるうちに,本文に紛れ込むことがあります.この「後世の加筆」を判断する一般的な方法というのはないのですが,数学文献に限れば,加筆の目印となるものがあります.それを「振り返り」とよびます.
 
2. 古代の数学者は振り返らない

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 数学文献はエウクレイデス(ユークリッド)の『原論』を例とし,その比較対象となる哲学の文献として,アリストテレスの作とされる『分割不可能な線について』を見てみましょう.


970a
οὐδὲ διπλάσιον τὸ ἀπὸ τῆς διαμέτρου χωρίον ἔσται τοῦ ἀπὸ τῆς ἀτόμου. ἀφαιρεθέντος γὰρ τοῦ ἴσου ἡ λοιπὴ ἔσται ἐλάσσων τῆς ἀμεροῦς. 
(訳)対角線上の〔正方形の面積〕は,分割不可能な線上の〔正方形の面積〕の二倍にはならないことになる.というのは,等しい〔部分〕が取り去れたならば,残りの〔線〕は部分を持たない線よりも小さいことになるから.
(※『アリストテレス全集12 小論考集』には,もっと良い訳があるのですが,ここでは直訳調で提示したかったため訳を拝借しませんでした)
『原論』第10巻命題17より
ὅτι ἡ ΒΓ τῆς Α μεῖζον δύναται τῷ ἀπὸ τῆς ΖΔ. δύναται δὲ ἡ ΒΓ τῆς Α μεῖζον τῷ ἀπὸ συμμέτρου ἑαυτῇ. σύμμετρος ἄρα ἐστὶν ἡ ΒΓ τῇ ΖΔ μήκει· ὥστε καὶ λοιπῇ συναμφοτέρῳ τῇ ΒΖ, ΔΓ σύμμετρός ἐστιν ἡ ΒΓ μήκει. 
(訳)BΓはAよりも,平方においてZD上の〔正方形の面積の分〕だけ大きい.またGΓはAよりも,平方においてそれ自体に対して共測な直線上の〔正方形の面積の分〕だけ大きい.ゆえに,BΓはZDに対して長さにおいて共測である.したがって,残りのBZ,ΔΓ両方(の和)に対してもBΓは長さにおいて共測である.(斎藤憲訳『エウクレイデス全集第2巻』320-321頁から一部変更して引用.)


 アリストテレスとエウクレイデスの表現の違いにお気づきでしょうか?
アリストテレスは,「○○である,というのは~であるから.」と後から理由を説明して言うのですが,エウクレイデスは「Aである.よってB.ゆえにC」というように後から理由を説明することがありません.このことは,「ゆえに」を表わす語(小辞)であるaraと,「というのは」を表わす語であるgarの使用頻度の違いとして現れます.

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 つまり数学文献では,証明の冒頭で用いられるgarを除き,理由を後から説明する文は「後世の加筆」と考えられるのです.数学文献には他にも命題を番号で引用する場合など(こちらの記事をお読みくださいhttps://note.com/greekmathematics/n/n456d9f5611f2),後世の加筆と考えられる部分はいくつもあるのですが,その「後世の加筆」がある人物の活動年代の証拠とされていた時代がありました.

3. エウクレイデスの活動時期の誤情報

 『原論』の著者であるエウクレイデスの活動年代(生没年)についての確かな情報はありません.しかしアルキメデスが自身の論文でエウクレイデスに言及することから,エウクレイデスはアルキメデスよりも古い時代の人であると考えられていました。その部分を引用しましょう.

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エウクレイデスの第Ⅰ巻の命題2により,Δに等しいBΓが作られ,そして直線ZHが作られたとしよう.

 この文のうち,「エウクレイデスの第Ⅰ巻の命題2により」はアルキメデス自身によるものではないことは確実なので,この文をエウクレイデスがアルキメデスよりも古い時代の人であるということの証拠にはできません.エウクレイデスの活動年代については,「プトレマイオスⅠ世と同時代だろう(証拠はあまりないけれど…)」としかいえないのが実情です.
 このように「原典」を読んでいたとしても,その原典すら,全てが著者のオリジナルというわけではなく,テクストの伝承という歴史を背負っています.「原典」を読むというのはオリジナルに近づく誠実な試みの「一つ」であるといえるのでしょう.やはり原典を読むということは一般の読書とは異なる体験です.

原典読まずして,オリジナルに近づくことができたとは思わないこと.

原典を読んだからといって,オリジナルを読んだとは思わないこと.

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4.とはいえ「原典」を読むことの価値は研究者ではなくともあるはず

もう一度アリストテレスの一節を引用しましょう.

970a
οὐδὲ διπλάσιον τὸ ἀπὸ τῆς διαμέτρου χωρίον ἔσται τοῦ ἀπὸ τῆς ἀτόμου. ἀφαιρεθέντος γὰρ τοῦ ἴσου ἡ λοιπὴ ἔσται ἐλάσσων τῆς ἀμεροῦς. 
(訳)対角線上の〔正方形の面積〕は,分割不可能な線上の〔正方形の面積〕の二倍にはならないことになる.というのは,等しい〔部分〕が取り去れたならば,残りの〔線〕は部分を持たない線よりも小さいことになるから.


 〔 〕の中は,訳すときに私が補充したものです.正方形も面積という語も原文にはありません.古代ギリシャでは,「辺ABを一辺とする正方形」というのをἀπὸ τῆς AB (前置詞[fromなど]+冠詞+AB)とだけ言って終わらせます.随分奇妙に思えますが,彼らにはこれで十分なようです.他にも角BAΓを,ἡ ὑπὸ τῶν ΒΑ, ΑΓ(前置詞[underなど]+冠詞+BA,AΓ)のように表現します.冠詞(この場合は)の性が女性であることから末尾にあるべきはずの角(女性名詞)を表わすgōniaという単語が省略されています. ギリシャ人が,そのような感覚で図形について語っていたというのは,原典を読まなければ分からないことです. さらに「対角線上の〔正方形の面積は〕は,分割不可能な線上の〔正方形の面積〕の二倍にはならないことになる.」という文の時制は未来です.伝統的には,未来形は「~であろう」と訳されてきたのですが,この訳文を読んだだけでは,推量なのか未来なのかはっきりとしません.未来形という時制をもたない言語を母語としている者が,こういった時制についての表現までも理解して味わいたければ,やはり原典を読む必要がありますね.





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