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連載:私たちはソクラテスの命日をどこまで知ることが出来るのか?第4回

4.1 パラペグマ


 前回は,航海について調べることで,アテナイからの使節がデロス島へ往復するのにかかる時間は,遅くても16日間程度であり,クセノフォンのいう30日は時間がかかりすぎているということが分かりました.おそらくプラトンの言うように悪天候に阻まれて帰路に時間がかかったと考えるのが自然だろうというところで終わりました.冬の終わりから早春の天候を知ることができれば,プラトンとクセノフォンの記述がより信頼できるものになり,使節の出航の時期についてのヒントが得られるかもしれません.

 今回の調査のために次の2つの本を準備しました.古代ギリシャでは,気象予報は天文学者の仕事だったため,天文学者たちの著作を調べることになります.

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James Evans ,J. Lennart Berggren,Geminos's Introduction to the Phenomena: A Translation and Study of a Hellenistic Manual of Astronomy (2006)
Daryn Lehoux,Astronomy, Weather, and Calendars in the Ancient World: Parapegmata and Related Texts in Classical and Near-Eastern Societies(2012)

   1冊目は,キケロの師であるストア派のポセイドニオスの弟子(と考えられる)天文学者ゲミノスの著作の全訳と研究を含む本です.2冊目は文献だけではなく,碑文も含めたパラペグマ(後述)に翻訳もつけて網羅したものです.古代ギリシャの天文学に関心をもった方は1冊目が参考になるはずです.なお,私はポセイドニオスの断片集全4巻を持っています.凄いでしょ??  「あれ? ポセイドニオスって地球から太陽までの距離をどの程度と見積もっていたんだっけ? 気になって眠れない」という時に重宝します.いつかポセイドニオスを紹介する原稿を書きたいですね.

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  初めに古代ギリシャの天文学に関心をもった方のために日本語の文献をご紹介しておきます.

C・ウォーカー (山本啓二 /川和田晶子訳)『望遠鏡以前の天文学』恒星社厚生閣,2008年
G・E・R・ロイド(山野耕治/山口義久訳)『初期ギリシア科学』,『後期ギリシア科学』法政大学出版局

まずはこの3冊を読みましょう.そして次の本ですが,

S・ワインバーグ(赤根洋子訳)『科学の発見』文藝春秋,2016年

この本の記述は要注意です.
 過去の偉大な科学者や哲学者たちに,強引に現代の試験を受けさせ,一方的に採点しています.これでは古代の天才に敬意を欠くことになります.ただコンパクトで読みやすい通史としての価値はあるでしょう.それでは本題に入ります.

4.2 星と天気 

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  天体の位置というのは,数千年前であっても計算によって特定できますが(だから前399年の新月や満月の日を知ることが出来るわけですね),天候についてはそういったことは期待できません.ただし農業や航海というものが生活の基盤であったため「気象予報」というものは当時も重要だったと考えられます.そこで当時の天文学者たちは"パラペグマ"という星の動きと天候を記録した暦を作っていました.恒星の動きは,季節と同期していますし,さらに季節と天候は深く結びついているため,特に航海には,月の満ち欠けよりも星の出没を知ることが重要でした.たとえばデモステネスは次のように語っています.

デモステネス『ラクリトスへの抗弁』13(木曽明子訳)
しかし天狼星(訳注:シリウス)出現の後一〇日ヘレスポントス(訳注:ここではエーゲ海と黒海全域をさす)にとどまってポントスに入らず、アテナイ船籍の船への拿捕押収権のない港において積み荷を陸揚げし…

※シリウスの日出直前の出現(ヘリアカルライジング)は現在のアテネでは8月10日頃だが,歳差運動によって,デモステネスの時代では32日ほど早くなります.

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 やはり出港は星の出没が目安だったようですね.前400年のアテナイの天候を知るために,その頃に活動したエウクテモンとエウドクソスが残した『パラペグマ』を利用します.著作としては散逸しましたが,前1世紀の天文学者ゲミノス(ストア派のポセイドニオスの弟子)が彼らのパラペグマを保存してくれています.冬至以降の部分を訳してみましょう.(  )の日付は天文シミュレーションソフトで計算して私が挿入したものです.

ゲミノス『パラペグマ』(試訳)
太陽は磨羯宮(やぎ座)を29日かけて通過する.
第1日目,エウクテモンによれば,冬至.(12月23日)
第2日目,エウクテモンによれば,いるか座が〔宵に〕没し,嵐となる.(12月24日)
第14日目,エウクテモンによれば,〔この日は〕冬の中間であり,海では激しい南風が吹き荒れる.(1月6日)
太陽は宝瓶宮(みずがめ座)を30日かけて通過する.
第14日目,エウドクソスによれば,快晴,ときどき西風[ゼピュロス]が吹く.(2月5日)
第17日目,エウクテモンによれば,西風が吹く季節.(2月8日)
第25日目,エウクテモンによれば,〔…欠損…〕が宵に没し,そして極端な嵐となる.(2月16日)
太陽は双魚宮(うお座)を30日かけて通過する.
第12日,エウクテモンによれば,アークトゥルスが宵に昇り[太陽が沈むときに]…,新たに冷たい北風が吹きはじめる.(3月6日)
第22日,エウクテモンによれば,うしかい座が現れる.春分まで渡り鳥の風が吹く.(3月16日)
第29日,エウクテモンによれば,さそりの一番目の星[てんびん座]が〔朝に〕沈む.冷たい北風が吹く.(3月23日)


 どうやら,2月の中旬には,暖かい西風(ゼピュロス)が吹くようです.デロス島へ渡航するには都合のよい風が吹き始めるようですね.参考にするのはどうかとは思いますが,2020年のアテネの2月の天気もみてみましょう.

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 たしかに気温が一気に(三日間で最高気温が8℃から19℃まで変化しています,19℃といえば日本[東京]ですと4月の平均最高気温です)上昇して,西風が吹く時期があるみたいですね.さらにプリニウスが次のようなことも書き残しています.

プリニウス『博物誌』第2巻47(中野定雄 訳)
したがって、春は航海者に海を開いてくれる。春の初めに西風が冬空を和らげる。そのときには太陽が水瓶宮の二十五度を占め、その日時は二月八日である。

 プリニウスの時代には太陽暦(ユリウス暦)が施行されていますので,我々と同様の日付の表現で,2月8日に航海が始まるとされています.やはり,2月の中旬であれば,出航は可能なようです.パラペグマの先を見ますと,2月16日頃に嵐となり,さらに3月6日頃から冷たい北風が吹き始めるようで,この嵐と北風によってデロス島から帰ってくる船が途中の島やスニオン岬での停泊を余儀なくされたと想定することも可能でしょう.
 アンテステリオン月の渡航は可能であったが,悪天候に遭遇する可能性は十分にあったと言えます.これは『パイドン』の記述とも符号しますね.クセノフォンの伝える30日かかったというのもこの時期であったからとすれば納得がいきます.パラペグマを見ると2月中旬までの出航というのがもっとも相応しいように思えてきました.すると祭が終わるのは3月上旬ということになります.思い出してください,旅行家ディオニュシオスはデリア祭は〈春が始まり,ナイチンゲールが産卵する頃〉に行われていると言っていましたよね? 現代の事典の記述では,ナイチンゲールは早春にアフリカからヨーロッパに戻ると書かれているのですが,ナイチンゲールの産卵期に言及した古代の史料はないのでしょうか? 見つけましたよ.引用します.

プリニウス(中野定雄訳)『博物誌』第10巻43
彼(Lusciniis)らは早春に、せいぜい六個のたまごを生む。

※中野先生はLusciniisを「うぐいす」と訳されていますが,ここは「ナイチンゲール」が適切な訳語でしょう.Loeb叢書ではNightingaleとなっていますので,何か意図があってのこととは思いますが.

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 デリア祭は春,それも早春で間違いなさそうです.しかしまだ閏月の問題が残されています.つまり新年が夏至より早く開始し,閏月が挿入されない場合,アンテステリオン月の開始が1月になってしまうということです.
 次回はついに感動の最終回! 約六千文字の壮大なエピローグです.デリア祭が行われたアンテステリオン月が現在の何月頃にあたるのかを再検討してみたいと思います.そして現代人が当たり前と考えている日付を伴う記録というものの起源を探っていくことになります.これを読むと,もう一度『クリトン』を読みたくなるかもしれません.ハンカチをご用意ください.

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〔第5回(最終回)に続く〕

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