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古代ギリシャの少子化問題
序.
戦争が絶え間なく続いたわけでもなく、飢饉に見舞われたわけでもないのに、全土において子供の減少と人口全体の縮小が著しく、そのために都市が廃墟になったり、農地が打ち捨てられたりした。(…中略…)この原因は自明であり、解決法もわれわれの手の中にあるのだから。つまり人々が虚栄と金銭欲と放恣にうつつを抜かし、結婚を忌避するか、または仮に結婚して子供が生まれても大勢の養育を嫌い、贅沢に育て豊かな財産を遺してやりたいからと、そのうちのせいぜい一人から二人しか育てようとしないのだから¹、
これは,現代の政治家の発言ではありません.いまから約2200年前のギリシャの歴史家ポリュビオスによるものです.本稿では古代ギリシャの少子化問題について取り上げます.
1.避妊
人口を抑制するにはどうすればよいでしょうか? まずは「避妊と堕胎」でしょう.避妊については,効果を期待出来なかったことが四世紀の神学者の言及からわかります.アウグスティヌスが次のような回想をしています.
その年ごろ、私は一人の女性と同棲するようなっていましたが、それはいわゆる合法的婚姻によって識(し)りあった仲ではなく、思慮を欠く落ち着きのない情熱にかられて見つけ出した相手でした。(…中略…)この女性との関係において私は、自分の経験によって、子を産むことを目的に結ばれる婚姻の契約の節度と、情欲的な愛による結合とのあいだに、何という大きなへだたりがあるのかを、身にしみてしらされました。
情欲的な結合の場合にも、子は親の意に反して生まれます²。
これが古代における避妊の実情だと考えるのが自然でしょう.神学者アウグスティヌスは愛人との関係において積極的に避妊をしていたが,それでも子供ができてしまったのだと.効果のある避妊法の登場は近代以降です.
避妊が期待出来ないとなると,次に中絶が浮かびますが,これはもう壮絶です.当時の感覚からしても決して推奨できるものではなかったようです.前5世紀の医者ヒポクラテスは中絶を禁止しています³.これは母体への危険を鑑みてのことでしょう.
2.嬰児遺棄
ソフォクレス『オイディプス王』の主人公のオイディプスは誕生後3日も経たぬうちに遺棄されることになりました.この例のように,避妊の効果が限定的となると,人口抑制のための手段としての「嬰児遺棄」ということになります.
オイディプスの場合は神託を恐れてのことですが,古代の嬰児遺棄の理由の一つに経済的理由がありました.冒頭で引用したポリュビオスの記述もそういった視点で解釈できます.ここで,遺棄される嬰児の性別の選択が行われます.多くの史料は,女児が遺棄される場合が多かったと考えられます.その理由としてフィクションではありますが,当時の文芸作品(物語や喜劇など)にある記述です.二世紀の作家ロングス『ダフニスとクロエ』のメガクレスという人物の話を聞いてきましょう.
「以前はわたしも暮らしは楽でなかったのです。劇の勧進元をやったり、軍船の建造の費用を引き受けたりして、あった財産を使い果してしまったのです。そんな時に女の子が生れたのですが、貧しい境遇でその子を育てる気になれず、子宝に恵まれずに子をほしがっている人も多いと知って、これらの証拠の品々をつけて捨てたというわけです。」⁴
ここで「劇の勧進元をやったり、軍船の建造の費用を引き受けたりして」というのは富裕層の義務としての奉仕活動でしたので,このメガクレスは富裕層です.富裕層ですら嬰児遺棄による人口抑制をしていたことになります.
この女児の遺棄は,ギリシャ人だけではなく,ローマ人においても同様なのですが,ギリシャ人には結婚の際に女性は「持参金(嫁資)」を用意しなくてはならず,そういった慣習も女児を遺棄する理由だったのかもしれません.
前4世紀の例ですが,1ドラクメを15,000円と仮定して持参金の額を表にします.女児の養育費というものが,如何に高額であったか分かります.富裕層には高額な持参金という風習があり,女児の養育を敬遠させており,そして平民層には後継にならない女児を複数人養育する生活の余裕がないという事情があったのでしょう.
しかし,いくら持参金の負担が大きいからといって,富裕層ですら育児制限を試みていたのは驚きです.彼らは生活そのものには困窮していないのですから.
3.年の差婚
そしてこの女児の遺棄を裏付ける史料として男女間の婚姻年齢の差があります.左下図は2019年の日本の年齢別人口分布(人口ピラミッド)ですが,近代以前では,右下図のような三角形の分布が普通でした.
古代ギリシャ(特にアテナイ)では原則として一夫一妻でしたから,生まれてくる女児の人口の割合が少なければ,当然同年代の人口が等しくなりません.そこで,配偶者選びにおいて年の差婚が普通となります.男女で15歳程度の年齢差があったと考えられていますので⁵,このことからも女児の遺棄というのが広く行われていたと推定できます.
4.まとめ
「少子化問題」は現代に限定された問題ではありません.人類に付いて回ってきた課題です.裕福であろうとなかろうと,人口抑制というのは広く行われてきました.そして有効な避妊法や中絶法がなかった時代,それは嬰児遺棄という手段で達せられていました.本稿では古代ギリシャの少子化問題を検討することで,現代の問題解決の糸口を見つけることが出来るかもしれませんし,少なくとも人間の生殖についての本性を知るための材料にはなるはずです.
また,現代と古代との違いを強調するとすれば,古代では「高齢化」というのは原理的に起こりえなかったということを知っておかなければなりません⁶.
最後に,本稿では「女児の遺棄」というテーマを扱ってきましたが,古代世界で「女性/女児」が忌み嫌われていたと断定するのは早計です.エウリピデスの悲劇の次の一節を引用します.
「老いた父親にとって,娘ほど可愛いものはない」
参考文献
・本村凌二『薄闇のローマ』東京大学出版会,1993年
・桜井万里子『古代ギリシアの女たち』(中公新書)1992年
註1)ポリュビオス(城江良和訳)『歴史』第36巻
註2)アウグスティヌス(山田晶 訳)『告白』第4巻第2章
註3)ヒポクラテス『誓い』
註4)ロンゴス(松平千秋 訳)『ダフニスとクロエ』第4巻24
註5)桜井万里子『古代ギリシアの女たち』(中公新書)1992年,18頁
註6)ペロポネソス戦争時,結婚適齢期の男子の人口が極端に減ってしまい,人口維持のために重婚(一夫多妻)を認めたという史料がある.こういった臨時的措置により人口維持を図ったらしいが,若年層の減少というのは古代においては例外的である.