プラトンの周りに数学者はいたのか? -数学者はアカデメイアの門に入ったかについての考察―
独自解釈を含む部分がありますので,いつも以上に細かく典拠を表示しております.本稿の解釈を否定する説があることをお断りしておきます.
序.「幾何学を学ばざる者,この門入るべからず」
古代ギリシャの大哲学者プラトンはアカデメイアの門にこう記していたと伝承されています.さらにプラトンは『国家』第7巻において,算術/幾何学/音楽/天文学を哲学者の必修科目としていました.当然,アカデメイアには有能な数学者が在籍したと考えても不思議はありません.それでは具体的に,どのような名前の学者が,どのような業績を残したのか….古代の史料と現代の文献を確認することで,アカデメイアの内部事情の一面に迫ります.
1.数学者のタイムライン
プラトン(前427年-前347年)の同時代の数学には,どういった人たちがいたのか,まずは確認してみたいと思います.Wikipediaに「数学者のタイムライン」という資料があり,それを利用します.
(※プロクロス『原論第1巻註釈』に数学の発展に貢献した人物が列挙されており,そこでの記述が,プラトンが数学の発展に貢献したことの根拠とされるのですが,その証言の信頼性に問題があるということについては斎藤憲『エウクレイデス全集第1巻』を参照してください).
はじめにキオスのヒポクラテス,ヒッピアス,テオドロス(※このタイムラインにはないですが),デモクリトス,ブリュソン,アルキュタス,テアイテトス,テュマリダス,エウドクソス,クセノクラテス,ディノストラトス,メナイクモス,アリスタイオス(※この人の活動は殆ど不明ですので本稿では検討しません),カリッポス,そして少し時代が下りますが,アウトリュコス,これらの人々がプラトンの生きた時代に活躍した「数学者」とされています.
すこし長くなりますが,一人一人,彼らの業績を確認してみたいと思います.イギリスの数学史研究者であるトーマス・ヒース卿(1861–1940)の『ギリシャ数学史(1921年)』を利用します.
2.彼らの業績
キオスのヒポクラテス(※医者として有名なコスのヒポクラテスとは別人)には3つの業績が伝えられています.初の『原論』の編纂,立方体倍積問題を二直線の間の二つの比例中項を見いだす問題に還元(※エウトキオス『「球と円柱について」第2巻注釈』 ),月形の求積(※求積:面積を求めること).数学者であることは間違いありませんね.しかし,プラトンとの関係は不明です.
次に,プラトンの著作にも登場するヒッピアスです.ヒース卿によれば,ヒッピアスは「円積曲線」というものを発見して,円の求積に挑んだことになっているのですが,これは別人のヒッピアス(前3世紀頃)であるという説が1986年にアメリカの数学史研究者ノールによって提唱されました.するとこのヒッピアスの数学者としての業績はなくなってしまいます.
同じくプラトンの著作に登場するテオドロスですが,彼は非共測量(※とりあえず√2などの無理数のことだと理解してください,厳密には異なりますが)の理論を整備したことで知られていますが,実際にどのような定理を証明したのかはよくしられていません.『テアイテトス』における記述が知られることのほとんどです.
次にデモクリトスは錐体の体積が同じ底面と高さをもつ角柱・円柱の1/3であることを発見し(※アルキメデス『方法』),ブリュソンは外接多角形を用いて円の求積に挑んだとされています(※アリストテレス『分析論後書』75bなど).
アルキュタスは,以前にご紹介しように(※前回のnoteをご確認ください),初めて立方体倍積問題を解いたと考えられています(※エウトキオス『「球と円柱について」第2巻注釈』).テアイテトスとエウドクソスは後に検討することとして,次のピュタゴラス派のテュマリダスという人は,数論についての業績が知られています(イアンブリコス『ニコマコス数論入門』).
第3代アカデメイアの学頭であるクセノクラテスもまた数学を重視したという評価がなされているのですが,具体的に取組んだ問題や,証明した定理は伝えられていません.
そして,ディノストラトス,メナイクモス,カリッポスはエウドクソスの弟子と伝えられる人たちで,それぞれに,立方体倍積問題,角の三等分,暦の改訂という重要な業績が伝えられています.特にメナイクモスはアレクサンドロス3世に対して,「幾何学に王道なし」と言ったとされる逸話で有名です(ストバイオス『抜粋集』第2巻31).
現存するもっとも古い数学文献の著者であるアウトリュコスは,後にアテナイで中期アカデメイア派の創始者となる哲学者アルケシラオスの師匠でした(ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第4巻29).プラトンのとの関係は不明です.
すると,プラトンの時代に活躍した数学者のほとんどが,アカデメイアと無縁です.そこでアカデメイアの数学の教授役として白羽の矢がたつのが,テアイテトスとエウドクソスです(※田中美知太郎,廣川洋一はそのような立場です).もしも,エウドクソスがアカデメイアの研究員(プラトンの弟子)であるならば,エウドクソス一派とでもいうべきディノストラトス,メナイクモス,カリッポスの3名もアカデメイアで修行したと想定することも可能です(※タイムラインにはないですが,エウドクソスの弟子にはヘリコンという天文学者もいました).それではテアイテトスとエウドクソスについて確認してみましょう.
3.テアイテトスは数学者か?
テアイテトスはプラトンの対話篇『テアイテトス』でのみ知られる人物であり,その経歴のほとんどは知られていません.テアイテトスの数学上の業績についての古代(あるいは中世)の史料は正八面体と正二十面体の発見をしたという『原論』の古註です.テアイテトスが『原論』第10巻を築いたとする解釈もありますが,あくまでも現代の解釈です.しかもそのテアイテトスも,プラトンの対話篇を信じるならば,紀元前369年にはなくなっています.紀元前369年以降,アカデメイアの数学教授の候補として残されたのは,次に検討するエウドクソス一人になりました.
4.エウドクソスはプラトンの弟子か?
エウドクソスはプラトンの弟子と信じられています(ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』など).しかし,プラトンとの関係が破綻していたことをうかがわせる記述もあります.
(1) エウドクソスが23才のときにアカデメイアへの入学を断られたこと
(2) プラトンに嫌な思いをさせるため多くの弟子を引き連れてアテナイを再訪問したこと
(1) の伝承を信じない研究者が多いのですが,エウドクソスはアテナイに勉強のために訪れたときにペイライエウス港から毎日歩いて通ったとされています.アカデメイアでは,生徒は基本的にプラトン邸の周りで「小屋を建てて暮らしていた(※ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第4巻19)」らしく,すると港に住んでいたエウドクソスは本当にプラトンに弟子入りを拒まれたのではないかと考えたくなります.
さらにプラトン『ピレボス』に登場する,ピレボスという快楽主義者にも注目してみましょう.その思想から,古くから「ピレボス=エウドクソス」と比定されてきました.さらにピレボスという名前は「若い盛りの者たちを愛する」という意味であり(※『ピレボス』西洋古典叢書,201頁),エウドクソスが,プラトンに嫌な思いをさせるために多くの弟子を引き連れてアテナイを訪問したという(2)の伝承を踏まえると,哲学上の意見の異なるエウドクソスを中傷した(もしくは嫉妬した)と考えられるプラトンらしい嫌味なネーミングです.
ただし,プラトンとエウドクソスの関係については相互に矛盾する様々な史料が残されているため,二人の関係を再構成するのはとても難しいのです.ですがエウドクソスとその一派が,アカデメイアで数学の研究をしたのだと信じるのは,素朴すぎるでしょう.
結局,アカデメイアには数学の教師はおらず,優秀な弟子もいない.そういう風に考えるのが慎重だと思います.そのような状態で,どのような授業を行うことができたのか,これは非常に疑問です.次にアカデメイアにおける数学の理解度の指標となりうる史料を確認してみましょう.
(※『法律』の編纂,『エピノミス』の執筆者と考えられている,フィリッポスという人物がいます.ほとんど謎の人物で,著作の一覧のみ伝わっていますが,数学的な業績を残した唯一の弟子となります.)
5.『シシュポス』の記述こそが,プラトンの弟子の実像か?
プラトンの著作として伝わる偽作『シシュポス』という小対話篇があります.この著作はおそらくプラトンの弟子が書いたものがプラトン本人のものとして伝わったのだろうと考えられています.その中に見過ごせない一節があります.
388E
Τί δέ; ὁ τοῦ κύβου διπλασιασμὸς οὐκ οἶσθ' ὅτι ζητεῖται τοῖς γεωμέτραις ὁπόσος τίς ἐστιν εὑρεθῆναι λόγῳ;
[試訳]「ではまた,立方体を二倍にする, 幾何学者たちは比によって,それがどのくらいの大きさなのかを発見しようとしているのを君も知っているね?」
この中の「立方体を二倍にする」は『プラトン全集15』101頁では,研究者の修正案に従い「立方体の体積を二倍にすると〔一辺の長さは〕どれだけであるかを」と訳しています.しかし,原文には「立方体の二倍を幾何学者が探求している」と書いてあります.プラトンの時代に研究されていた難問である,立方体倍積問題は代数的にいえば三乗根の計算であり,立方体の二倍というのは,ただのかけ算です.まったくレベルの異なる問題です.だって体積1の立方体の2倍は2でしょう?簡単です.小学生レベルです.
数学を教える教授が決定的に不足していたアカデメイアでは,エウドクソス一派が真剣に研究していた立方倍積問題の意味も理解できず,数学に関しての程度は『シシュポス』が表わすような壊滅的な状況であったのかもしれません.
6.まとめ
アカデメイアの入り口に,本当に「幾何学を学ばざる者,この門入るべからず」とあったのか確かめるすべはありませんが,当時の一流の数学者のほとんどはその門をくぐることはなかったと考えるのが史料に誠実だと考えます.
繰り返しになりますが,プラトンと数学者との関係というのは相互に矛盾する史料が幾つも残されています.プラトンが数学者を激励,指導し,大いに発展と成長をさせたという解釈もまた可能なだけの史料があります.ここでは,あえてこういった立場をとらず,アカデメイアにはまとも数学者はいなかったという立場で議論を行いました.
プラトンが数学へ期待していたことと,数学者の問題意識の間には埋めがたい認識の溝があったことについて書くには,このnoteの余白が狭すぎます.
参考文献
T.L.Heath, A History of Greek Mathematics, Volume I: From Thales to Euclid,1921.
Glenn R. Morrow,Proclus, A Commentary on the First Book of Euclid's Elements,1970.
W.R.Knorr, The Ancient Tradition of Geometric Problems,1986
斎藤憲『エウクレイデス全集第1巻』東京大学出版会,2008年
斎藤憲『エウクレイデス全集第2巻』東京大学出版会,2015年
ファン・デル・ワルデン『数学の黎明: オリエントからギリシアへ』みすず書房, 1984年
アルパッド・サボ-『ギリシア数学の始原』玉川大学出版部, 1978年
プラトン『テアイテトス』渡辺邦夫訳(光文社古典新訳文庫)2019年
『プラトン全集 14』岩波書店,1976年
『プラトン全集15』岩波書店,1975年
プラトン『ピレボス』山田道夫訳(西洋古典叢書)2005年
廣川洋一『プラトンの学園 アカデメイア』岩波書店,1985年
田中美知太郎「難題」(田中美知太郎全集7),191―198頁
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