私と習字と小さな自信
じゃん!
これは中学生の時に書いた私の最後の作品です。
習字教室の先生の粋な計らいで、最後の課題は自分の好きな字を好きなように書くことでした。
なんで「夢」という漢字を選んだかは覚えてませんが、うまく書けたと思います。
今でもお気に入りの作品で自分の部屋の机に飾っています。
私は小学校1年生の頃に習字教室に通い始めました。
というより親に入れられました。
「お姉ちゃんが習っているから、あなたも習いなさい」と。
習字教室に通っていた私は無口で、黙々とお手本に通りに字を書きました。
人見知りで友達を作れなかったのです。笑
一方で、小学校での私は毎日のように、喧嘩をするほどやんちゃでした。
負けず嫌いだったからです。
こと習字においてはこの負けず嫌いが自分にベクトルが向いていたようです。
作品を1枚書き終えると毎回先生のところへ持っていくのですが、
私は下手くそな字を先生にみせるのが恥ずかしく、丸めて捨ててしまうこともありました。
漢字の一画目が上手く書けずに、何十枚も一角目を書き直したこともあります。
お手本通りに書けないのが悔しく、納得のいくまでがむしゃらに書き続けました。
時に習字教室をすっぽかして、母親に怒られることもありましたが、
そんなこんなで週に1回通い続けました。
小学校3年生にもなると学校で習字の授業が始まります。
夏休みの宿題には習字の課題がありました。
普段は習字教室で書いた作品は、家に持ち帰ることはありません。
しかし、この時は課題作品を習字教室で書いて、家に持ち帰り乾かしていたのです。
「〇〇!」大きな声で母親が私の名前を呼びました。
「また怒らせちゃった。なにかやらかしたかな?」とリビングに向かうと、そこには母親が作品を眺めているのでした。
「すごく上手だね!パパも見てみて!」私の字を大絶賛してくれたのです。
父親も同様に褒めちぎってくれました。
この時、初めて上達しているのを実感しました。
それから毎年の夏休み、家で作品を乾かすたびに「また上手になったね。」と作品を褒めてくれました。
うまく書けた字を家に持ち帰ることが楽しみな自分もいました。
これらの出来事が習字を続ける原動力になったのかもしれません。
小学校5年生になると、書き初め大会が始まりました。
体育館で同学年の生徒が一斉に筆をとります。
書き初め大会が終わると、クラス全員の作品が廊下や教室に並びます。
上手な作品には銀や金の紙が貼られるのです。
私の作品にもそれらの紙が貼られることがありました。
友達に自慢することはありませんでしたが、廊下を通るたびに、
自分の作品をニヤニヤしながら見ていました。内心嬉しかったのです。
その頃から、周りから字が綺麗だと認知されるようになりました。
「字が綺麗」という称号は、特技のない私に小さな自信をくれました。
「足が速い」「頭が良い」といった長所を持ち合わせていなかったからです。
それからは学級目標やクラスの掲示物の作成を任されることもありました。
自分の字が人の役に立つ経験は、私に強い満足感と小さな自信を与えました。
習字教室に通わせてくれた両親、教えてくれた先生、
そして私の字を褒めてくれた全ての方々へ
「私に小さな自信をくれてありがとうございます。
習字は私のアイデンティティです。
私の字に誇りを持って、これからを生きていきます!」
p.s.
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