母に浪人を猛反対された真相が闇深すぎた
私は大学受験末期、母から「浪人はあなたには合わない。受かったところに行きなさい」と繰り返された。理由は、「あなたは浪人中に努力する保証なんてないし、以前も『僕にはできない』と涙ながらに訴えたことがあった」と説明していた。
私は言いくるめられつつも、「まぁ、浪人前提で受験勉強されたら困るからそう言っているのかな」と若干の齟齬を感じつつ結局関西学院大学に進むことになった。
しかし卒業を控えた今ふと再度考えてみると、彼女がなぜあそこまで浪人に反対したのか、理由が見えてきた。
私にはADHDがある。
例えば、「このレストランの予約をしておいてね。あと、洗濯物を取り込んで畳んでおいてね。」という指示があったとき、全くできないのだ。
実際のマルチタスクはより指示が複雑だったり、タスクの数が多かったりして、まずどれから始めればいいのかわからない。
上記の場合であれば、洗濯物を畳むとき、私の脳は「洗濯物を畳む」というタスクでいっぱいになり、畳み終わるころにはそれ以外のタスクを忘れているのである。正確に言うならば、「洗濯物の畳み方を考える」という作業と、「レストランの予約をしなければならないことを記憶すること」という作業を脳内で並列して行うことができないのだ。
以前、私は髪が伸びていながら就活をしていた時期がある。理由は単純で就活をしながら床屋の予約をするというマルチタスクができないからだ。正確に言えば、「人間には頭部があり、頭部には髪が生えており、その髪は毎日伸びていくので、定期的に切らなければならない」という発想は日常生活で数々のタスクをするうちに埋没して忘れていくのだ。
ある日の夕食、母にこう告げられた。
「あなた髪が伸びているわよ」
髪?ああ、確かにそんなものを持っていた気がする。
「なんで切っていないの?」
切る?ああそっか、そういえば髪って切らなきゃいけないものだったね。今思い出したわ。
「なんで就活中なのに髪を伸ばしたまま放置しているの?」
就活をしているからだ。ついでに言えば髪は切らなければいけないものだと今思い出したところだ。
「前にも髪が伸びているって言ったよね!!」
覚えていないし、それを聞いたとしてもそれを思い出す装置がないので私にできることはない。
「なんで美容院の予約をしないの?」
今食事中だからだ。食事をしているのだから私の脳は食事以外考えられない。だから今こうして、完全に箸を置いて傾聴しているのだ。
「ごめん、言われなきゃ思い出せないよ」私はそう言った。
「それじゃあ、私が『美容院予約しろ』って書いた紙を四六時中あなたの目前に見せつけなきゃ美容院予約できないってワケ!?」
そうだ。私は今対面しているタスク以外のことを考える余裕がないので、そうしてもらう以外に思い出す術がない。母がそうしてくれるならそれよりもありがたいことはないのだが。
「たかが美容院を予約することの何が難しいんだよ!!」
就活というマルチタスクを現在進行形で行っているからだ。別軸のタスクが追加されれば私の能力を大きく超過する。全てを遂行することは不可能だ。
「ごめん、就活と予約を一緒にすることは難しいんだ。」
そう話した僕に、母は酒を頭からぶっかけてきた。
この時僕は「ま~たヒスってるよ」と思い気に留めなかったが、中学高校と同様の叱責を毎週最低一回されていた時は、号泣しながらに理解を訴えたことも少なくない。
こういうミスを犯したとき、私には悪意も怠慢もなかった。なぜなら、そのタスクが課せられているという身に覚え自体がなかったからだ。なので、学生時代は毎回「この優しい母がいつ終わるんだろう」と怯えながら暮らしていた。そして毎回「なぜこれをしていないの」と青天の霹靂を告げられ、怒鳴られるのだ。
学生時代、怒られた後は「僕は悪いことをしたな」「僕はすべきことを怠っていたな」と悔悟していた。しかし一人暮らしを始めると、そんなことを思っても仕方がないと悟るようになった。なぜなら、その「すべきこと」が多すぎてすべてを完遂することはできないので、できないことをしようとしても仕方がないからだ。知覚していないタスクを、怠ることはできないのだ。
母は仕事ができる人だった。「誰よりもタイピングが遅いが、誰よりも仕事が早い」ことを誇りにしていた。なので、彼女は「職場で課せられたタスクが彼女の能力の上限を超過していて遂行ができない」という経験をしたことがないのだ。
そう生きてきた彼女にとって「そのタスクが完遂されていない」ことに対して「タスクを遂行する努力を怠った」以外の理由を理解できない。やる気があるならできるはずだし、やっていないのはやる気がないからだ、という世界観だ。
私は200mlの水瓶のようなものだ。日常的に「500mlの水を入れろ」と言われるのである。そしてこぼすたびに怒鳴られるのだ。
この調子なので、私は就労移行支援事務所に通うことになった。事務所のスタッフに母はこう告げた。
「息子はADHDを治す気がないんです。この前もメモを使えといったのにメモを使わないんです。」
メモを使わないのではない。使えないのだ。
タスクを言われたとき、まず「メモという小型の冊子があり、そのうちの一ページの紙で書くと記録ができるので、それに課せられたタスクを書いておけば忘れない」ということを思い出す必要がある。そして思い出すことに成功すれば、メモ帳を取りに行くことになる。そのとき私の頭は「メモ帳とペンを取りに行かなきゃ」ということでいっぱいだ。そして部屋につくと、メモ帳とペンを必死になって、部屋に存在する全ての棚を開けて探すのである。メモ帳を見つけた時には、「僕は何のためにメモ帳を取りに来たんだろう」と思っている。不思議に思いながら、頭を搔いてその部屋を出るのだ。
こんな調子だから、学校でタスクを課されればメモ帳は家にあるし、家で課されればメモ帳は学校にあるのだ。
しかし彼女は怠慢に見える。彼女は「能力が不足しているため遂行できない」ことが理解できない。20年一緒に生きても、私が何に苦しんでいるのか理解していないのだ。
私が何度も「それは出来ないんだ」「それは僕には無理なんだ」と訴えても、彼女にはこう聞こえている。
「俺は努力できないんだ」「俺には努力は無理なんだ」
私の涙ながらの訴えも、彼女は「俺に努力をさせないでくれ」という風に聞こえる。決して、「マルチタスクを課さないでくれ」という真意ではない。なんど訴えても母は私に「〇〇と◇◇と△△をしてね。3つ言ったからね。」と声をかけるのをやめなかったし、できないと言うと「それくらいはやろうよ」と返すのだ。
だから、彼女は私の浪人に反対したのだ。彼は努力ができない。だから努力できる身の丈に合った環境で努力すべきだ。
私はマルチタスクができないだけであって、受験に向かえないわけではない。解く赤本の大学の数を絞り、教科を適切に絞れば、受験は遂行できるタスクだ。しかし、母は遂行できないタスクだと見る。あの子自身が「努力できない」と言ったから。
◇
私の体験から学んでほしいことは3つだ。
まず一つ、浪人が避けられなくなったら、躊躇なく浪人を選択すべきだということ。浪人は好転の可能性はあれど、悪化する見込みは低い。仮面浪人などに逃げず、もう一度再起を図るべきだ。学歴は高くて後悔することなどほとんどない。Fランなんかに入ってしまった日にはそれこそ悲惨である。特にADHDのようなハンデがある人間ほど、学歴を備えた方がよい。MARCH関関同立のいずれも入れなければ、どんな手を使っても浪人しよう。
二つ目は、努力しても及ばないことがあることを知ることだ。どんなに就活を努力してもいい企業に入れないことはある。どんなに努力しても成績を出せないこともある。努力が運によって結実しないことも往々にしてあり、それは特に民間企業で見られる。
仮にFランに入学して、家電量販店に就職したとしても、努力なんか実らない。努力したって店長に詰められ続ける日々だし、ほかの営業よりも売り上げが上がったところで一生持ち家を考えることもできない人生が待っているだけだ。
最後に、実力主義的で、優秀でない人間を疎んじるような人間をパートナーにしたり親友にしたりするのはやめた方がいいということを伝えたい。
アルバイトでは社員よりもモチベーションが高いバイトと、一緒にダベって愚痴る意識の低い友達がいたと思う。仕事ができないことを咎められてうれしく感じないのであれば、優秀な人と深いつながりを持つと甚大なストレスになる。また、「努力をすればできないことはない」という信念を持っている人物も危険で、ひたすら疲弊させてくるかもしれない。
結局、裏で一緒に煙草を吸いながらダベる意識の低い友達こそ一生の伴となりうる可能性を秘めている。君は彼を見下す側にならず、大事にしてほしい。
◇
ADHDはこのような挫折感を味わいやすい人種であるし、それで二次障害を起こした暁には学歴が遠のくことすらあり得る。ADHDとして生まれた君は、”優秀さ”に紐づく可能性は毛頭ない。ただ、それでも君は人間的に悪いわけでも、社会から邪険にされていい存在でもない。君のことを70億人が嫌っても、君自身だけは嫌いにならないで上げてほしい。嫌いになったその瞬間に君は社会で敗けてしまう。
無理解があっても、同じ経験をした人は全国にごまんといる。一緒に支え合って生きていこう。