ベーシックインカムを支持するネット民、無能です
たしか初めてベーシックインカムのアイデアに触れたのは、私が中学生だったころだったように思う。当時はネオリベラリズムにハマっており、ミルトンフリードマンやハイエクなどを読み漁っていた。
確かベーシックインカムはフリードマンの「資本主義と自由」で、タクシー相乗りとともに提案されていたアイデアだったと記憶している。
今Uberがタクシー手配で普及していることを鑑みると、賛否こそあれフリードマンには先見の明があったのは確かなようだ。
猛烈に政府の再分配を敵視するリバタリアンからなぜベーシックインカムのアイデアが出たかと言えば、単純に社会福祉に対するコストカットになるからだ。しかしベーシックインカムはリバタリアンに留まらず、ポピュリズム的なリベラルや左翼まで支持層を伸ばすことになる。例えば、「ブルシットジョブ」を指摘し論難したデヴィッド=グレーバーは、アナキストでありながらブルシットジョブの超克法としてベーシックインカムを挙げている。
私も新左翼セクトの飲みサーに通っていたが、こういうベーシックインカムに飛びつくような筋の悪いアイデンティティポリティクス出身の左翼を見ると、だから左翼ってダサいんだよな、と嘆きたくなる。
私はミルトンをとっくに見限っている。にもかかわらず、多分ミルトンの本を読んでいないのであろう、そういう左翼が「これだったら貧しい労働者階級を救える!」と敵方に飛び込むさまは本当に滑稽だ。
ミルトンや小泉純一郎のようなネオリベが「ベーシックインカムを導入する」などと言いだしたら、次はどんなことを国民に言いだすか火を見るよりも明らかだろう。
「え?なんで難病に国税を投入して治療しなけりゃいけないの?ベーシックインカム渡してやってるのに???」
「え?なんで学費や自立支援医療費渡さなきゃいけないの?ベーシックインカム渡してやってるのに???」
ミルトン=フリードマンのような時代遅れの経済学者は理解していないかもしれないが、貧困の原因は単に「稼ぐ能力が低いから」といった単純なものではない。
一つは貧困の再生産の問題。産んだ後に貧困になってしまえば、例え優秀であっても進学機会が閉ざされてしまうことも往々にしてある。そして市場リバタリアン最大の問題は、国の十分な社会保障と育児への補助のおかげで優秀な大卒を供給されておきながら、やれ「国は税金を下げろ~!」などと喚いている、労働力の再生産に対する無知と無関心に他ならない。
今後派遣が労働人口の中で増えていけば、子どもを育てきれなかったり、そもそも子どもを産もうという判断すら躊躇うようになるだろう。優秀な大卒の供給はますます減り生産性も落ちていく。自称リバタリアン、ネオリベというのは、存在自体がフリーライダーなのだ。
ベーシックインカムは経済的な愚の骨頂であるほかに、社会的な問題もある。資本主義の権力勾配の問題は手つかずで残るということだ。
資本主義で働けばわかるが、労働者は役員の、役員は株主の、会社は大企業や大株主の奴隷である。労働者は明白に権力勾配で上に立つ組織と契約せざるを得ない状態が常であるが、本来正当な契約というのは平等な関係でのみ成り立つはずである。
そして不服従には解雇で脅し、労働者には民主的に職場を管理する権利を奪われ、ヒエラルキーの上下に怯えなければならない一生を強要されるのだ。資本主義の本質は経済の自由であると言っているが、労働者を鞭打つ自由の間違いである。労働者を支配する自由、会社を独裁する自由である。
我々労働者階級はお人よしで大抵ルンペンなので、民主的な政治を謳歌しておきながら、独裁的な経済は自由な経済だと疑わずに過ごしてきた。
社会主義(自主管理社会主義、ギルド社会主義、民主社会主義、アナルコソーシャリズム)ではこの構造を変革するため、この問題も解決する。しかしベーシックインカムを導入しても政治家がネオリベ脳に占められ権力勾配は変わらず、それどころかベーシックインカムを理由に解雇規制の緩和まで手を伸ばしても不思議ではない。そうなればますます使用者側の有利に歯向かう手は無くなるだろう。
ネオリベの詭弁にベーシックインカム信者が対抗できない例はほかにもある。よく公営住宅などの話をしていると、こんなことを言われる。
「もし住宅を所有したり収益を上げたりできないのなら、投資したり建設費を出費するインセンティブなんかなくなりますよ~???」
競争で頭がおかしくなってしまったようだが、そんなことを言い始めてしまえば、例えば高齢者を介護するインセンティブも、貧しい子供たちに無償で炊き出しをするインセンティブだってこの世にはない。こういうことを言い出すバカは恐らく今まで社会貢献の社の字もしてこなかったフリーライダーなのだろうが、彼らが想定しているのは、営業が武蔵小杉のタワマンを売りつけるインセンティブとか、高くなりそうな株を売りつけるようなインセンティブなのだろう。
ネオリベはエッセンシャルワークほどインセンティブが薄く、ブルシットジョブほどインセンティブが多いということに全く気付いていない。社会は利潤で回っていると勘違いしているから、一つの町が崩壊するような惨劇を招くのだ。
この原因は先ほど言ったように、営利企業には利益率を高めるような圧力がかかるからだ。これを解決するには、利益率の低い会社(小売など)と利益率の高い会社(総合商社など)の合併によって一人一人の労働者の負担を下げる必要がある。これはベーシックインカムだけでは解決できないし、むしろネオリベを増長させるだろう。
現在ベーシックインカムの最も声高な支持者は弱者男性を自認する、ネットにしか居場所の無い悪性のチー牛が多いように思う。最近、YouTubeがこんな動画をおすすめしてくるようになった。
YouTubeは「興味なし」「このチャンネルをおすすめの表示しない」のほかに、「この動画の視聴者層ほど私は愚かではありません」のボタンを実装すべきだ。そうすれば、真っ先にこの動画に使うであろう。
見る価値もないので、ブラウザからコメント欄などで主張を探ってみると、主張自体はむしろ社会主義的に思える。競争を批判したり、派遣など人が商品として取引されている社会を問題視しているように見える。
しかし彼らは決して社会主義を支持したり、共産党ではない自由で新しい社会主義を模索しようとしない。それどころか、ネオリベ政策を見直せとすら言わないのだ。就職氷河期が非モテになったのは、まさにネオリベ政治家が世代ごと見捨てたからである。しかし彼らはその咎を政治家に問おうともせず、ベーシックインカムの実現を待ちわびながら、今日も非正規雇用に邁進するのだ。
なぜ今の団塊世代を与野党は厚遇するのか?答えは簡単で彼らはナメられていないからである。彼らは学生運動でゲバ棒を振り回して戦った。彼らを無下に扱えばどのようになるのか、政治家たちは知っているのだ。なぜフェミニストがメディアに声を拾われるのか?なぜなら彼女らは戦ってきたからである。彼女らの声が無視され、女性の雇用を蔑ろにしたらどうなるかを社会は知っている。
ベーシックインカムをまともに取り合う必要がない理由はここにある。これを支持するチー牛がネットで傷を舐めあうことはあっても、決して街に出て辻立ち演説で支持者を増やそうとはしない。決してベーシックインカムを支持する市民の署名を集めようと、駅前で立って署名を集めようとはしない。
戦うのはダサい。政治活動をするのはダサい。救済を求めるのはダサい。自分は他と違って賢くてかっこいいんだ。動画をネットに上げれば、理解してくれる政治家が何とかしてくれるんだ。現実世界に住む我々が、そんなネット民の浅知恵に付き合う必要などない。
彼らは生活がネット上で完結しているので、調べもの=Google検索だと誤解している。なのでYouTubeで長めの動画を一本見ればそれに関する知識は十分だと思い込んでいるのが、バカ丸出しで最早私まで恥ずかしくなってくる。
万年氷河期の彼らは、無双系で俺SUGEEEオナニーできるなろう小説は読んでも、フリードマンやベーシックインカムについての本は全く読んでないのだろう。
本を読めば少なくとも、女性が非正規雇用の割合やシングルマザーが低学歴を再生産する割合が高かったり、そもそも平均給与水準が男と比べて低かったりすることがわかるはずだ。この不利を「女性優遇」と呼ぶのは、正論というよりも、文脈を読めないアスペルガーの方が近い。
本を読めば、この逆差別という主張が、実際には差別的な偏見を現代的な見苦しい言い訳でコーティングした現代的レイシズムであることを知っているはずだ。
これを読んで、「俺らを情報弱者を読んでいらっしゃるwwwそんな反日左翼のお前こそブーメランwww」とコメントを打ちかけた君は恐らく本を読んでいるのだろうか。自分のことを棚に上げて問題の矛先をズラすのはwhataboutismという詭弁の一種だと、本を読んでいれば知っているはずだ。
氷河期世代の読者諸君は、「おい、それじゃあ黙って惨めな人生を閉じろって言うのかよ」と怒り心頭かもしれない。全く違う。私が言いたいのは一つ、ベーシックインカムに逃げず、戦え、ということだ。
君は能動的に外国人の醜聞を聞きに行って、これだからガイジンは!と愛国活動にお熱かもしれない。しかしアイデンティティポリティクスは高卒のおままごと、政治家ごっこである。本当に賢明な政治家はバークやJSミルやクロポトキンの本を読んで、イデオロギーを組み立て、議場に立つものだ。
我々の本質は何だろうか。我々は竹中平蔵や孫正義や村上世彰と同じ日本人なのだろうか。違う。我々は労働者階級である。この道を敷き、あのビルを建て、重い木々を運び、政治家のスーツを仕立てたのは、我々労働者階級であって、金融投機家や創業家の息子ではないのだ!
生物学的にはホモサピエンスでも、労働者の生産物を吸い取って生きるサナダムシのような生活環をしている金持ちと資本家は、ヒトモドキであって決して我々と同じ生き物ではない。
しかし君たちは冷遇され、ヒトモドキどもは優雅な有閑生活に溺れている。再び民草が怒り、それを見せしめ、議事堂の特権階級を慄かせる日々が来たのだ。
仮にこの蜂起が失敗したとして、何を後悔すべき謂れがあるのだろうか?氷河期世代の生活など毎日が吹雪のようなものだったではないか!確かに学生運動は嵐を呼んだだけで目標は果たせなかったかもしれない。しかし60年経って今なお、政治家は彼らに慄いているのだ!
二度とヒトモドキや政治家に君たちをナメさせてはいけない。公僕を調教するのは鶏を飼うようなものだ。ひとたび君をナメて爪で蹴ってくれば、羽を羽交い絞めにして力を理解させなければならない。
同じことだ。一度顔を泥水に屈せしめ、靴の感触を頭蓋骨で覚えさせなければ、数の力を理解できない連中がいるものだ。
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