小豆色の寂寥(4)
「この頁の挿絵のあなたに、さわってもいいですか?」
返事も聞かず、本の頁に指をそわせる。紙面のコウさんの身体に、私は体温がしっかり行き届いた人差し指でふれた。
「私の手がコウさんの身体にさわっとるの、わかりますか」
ゆっくりと指を動かした。そのままコウさんの背中の線に沿って、紙に指をすべらせる。
くっ、と笑う声がした。
「くすぐられているようだが、ぬるま湯が身体をつたっていくようにも思うわ。不快ではない」
今度は掌全体を本に優しく当てた。寒くないという感覚を知ってほしい。心地よさを感じてほしい。そのまましゃべった。
「愛って、距離とか関わった時間でつくられていく感情だと思うんです」
「距離でつくられる愛?」
すぐにコウさんが反応した。
「一メートル近づけば、愛とやらが大きくなるといった理論?」
「あぁー、そういうわけでは」
私は視線を左右に振って、分かりやすい表現にするために思案する。
「こう、物理的な距離と、心理的な距離とがあって。コウさんが言う物理的な距離も、確かに、愛には影響します。身体と身体が近くても不快感がないのは、それだけ相手に気を許しているからだとか」
「距離の数値は関係ないのね」
「必ずしも関係しません。ああ、具体的に定義した学者はいます。私は、めやす程度に思っていますけれど。愛や好意があっても、居心地いい物理的距離と一致はしません」
「心理的な距離、というのが、それということか」
きっと、と私は、まとまらない自分の答えがもどかしくて、唇を噛む。
「あと、コウさんが殺したひとたちが持っとった気持ち、私は、ひたすら相手が大事で、幸せでいてほしいっていうものなんかなって思っているんです。凍えそうなところにはおってほしくない、って」
「なぜ、寒さが、愛されていないことの前提になる?」
「えっ」
切り込まれて、言葉に詰まる。
「えっと、そもそも、冷たい愛なんてあんまり聞きません。そう考えたら、愛と呼ばれるものを感じたらきっと寒くないんじゃないでしょうか」
「確証は? 根拠は?」
たたみかけられて、狼狽える。
「えっと……」
「では、暑くてたまらないと感じれば、すなわち情愛なのね? それなら毎日毎秒、暑いと感じるのが愛なの? 幸せは、なにで決まる?」
「それは」
「幸せには温度が要るのか?」
「必要事項ってわけじゃありません! 温度なんてただの比喩です。ただ、ひとはたいてい」
私は、高ぶった感情を、吐息ひとつで収めた。
「大事にされたり思われたりしていると認識したとき、なにもかもがぬくとくなるんです」
コウさんは無言だ。
それに、と私は続ける。知らないうちに笑みを伴った。
「さっき、コウさん、自分で言っていましたよ。樫のおじいさんが、『私のいる世界を綴ったこの本を大事にしてくれていた』って。推測でしかないけれど、おじいさんは、この本まるごと、つまりコウさんのことも大事だった」
考えつくまましゃべる。難しい。伝えられているだろうか。
「大事だった。愛していた」
この本の状態を見れば分かる。ぞんざいな扱いでこうまでぼろぼろになったのではない。その逆だということが。
挿絵にふれる手にさらに意識を向けた。
ぬくとい感覚、伝われ。いっそ、この夏の暑さくらいの熱、伝われ。
読み込んだわけではないから、こまごました描写や感情や小話が分からない。たかだか斜め読みしかしていない。だから私が言っていること全て、的外れである可能性が高い。
だからこそ、生を受けたことを喜ばれず、愛を知らずにひとを殺めて、小豆色の部屋に幽閉された凍えるだけの女性、と著者に書き切られたコウさんの、凍てつきが軽減されないものかと考えた。
ばかばかしいと作者に足蹴にされそうな考えだった。
けれども、私の知らないところで実現していた。
――初めてだ、と物語の登場人物のコウは内臓にも肌にも入り込んでいく温感を感じた。これが、と心臓が緩やかに拍を刻む。物語の登場人物として思いつく範囲で表現するなら、寒い日に与えられたお茶を初めてあたたかいと感じたような。いったい、どういう事象が起きているのだ。
窓から入ってくる夕風が、からりとしたものに変わる。私が感じていた息苦しさが薄れていく。