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花言葉(3)

 雲の多い空模様の日、アトリエに入ったレスワナは、呆然としました。ナージの肖像画がないのです。アトリエのどこにも。
「いったいどうして……」
 呟いたとき、背後から声がしました。
「ごめんなさい」
 アリリナが立っていました。
「どうしたの、アリリナ?」
「わたしなの」
「え?」
「わたし、ナージちゃんの絵を売ったの」
 レスワナは青ざめます。
「なぜ、きみが絵のことを」
「見ちゃったの。あなたが、ナージちゃんの絵を見て、泣いていたところ」
「……」
「分かっているわ、あなたがどれだけナージちゃんを好きだったか。でも、ここへやって来ては泣くあなたの姿を見て、すごく苦しかったの」
「……」
「だから、あなたが珍しく外出した日に、アトリエにしのびこんでナージちゃんの絵を運び出して。それで、それで、町のまじない師に売ってしまったのよ」
 アリリナは顔を覆って泣き始めました。
 ややあって、レスワナは彼女の名前を呼びました。アリリナの目が涙に揺れます。レスワナは、黙って近付くと、びくっとした彼女の肩を抱きました。
「ぼくもね、ナージをうしなったことにとらわれてはだめだと思ってはいるんだ。でも、どうしても忘れられなくて。つらい思いをさせたね」
「ごめんなさい。レスワナ、ごめんなさい」
 レスワナは、息をめいっぱい吸いこんで、ささやきました。
「アリリナ。絵を売った、まじない師の名を教えて」
「レスワナ……」
「だいじょうぶだよ。ナージに、さよならを言うために行くんだ」
 少考しょうこうの後、アリリナは小さな声で、彼の問いにこたえました。


「あの絵? とっくに売ってしまったよ」
 長い葉巻をくゆらせて、黒衣のまじない師は、レスワナに言いました。ごちゃごちゃと怪しげなものがたくさんある部屋です。底意地悪く笑う目は、こんな状況でなければ、すがりたくはないような光をおびています。
「では、買い手を教えてください」
「ひみつさ。取引相手のことをほいほい話すようでは、信用を失うからね」
「そこをなんとか」
 レスワナが手をつくと、まじない師は露骨に顔をしかめます。
「時間のむださね。おかえりを」
 手ではらうようなしぐさをされましたが、レスワナは、腹に力をこめて、「おねがいです。教えてください」と頭を下げました。
「むりだね」
「おねがいします」
「……なんであの肖像画にこだわるんだい」
 まじない師は、初めて、声の調子を和らげて、彼にききました。
「あの肖像画の女性は」
 声を震わせ、レスワナはこたえます。
「ぼくの、恋人なんです。死んでしまってもなお、彼女を想い続けていました。これから先、彼女だけを想って生きていくつもりだったのです。だけど」
「だけど?」
「今、ぼくを大切にしてくれるひとがいます。そのひとの思いはまっすぐなのに、ぼくはまっすぐ向き合えなかった。彼女に、ナージの絵を売ったと泣きながら打ち明けられたとき、ぼくは、怒りも悲しみも感じませんでした。ただ、今度は、いや、今度こそは、ナージにきちんとお別れを言いたいのです」
 まじない師は、手近のカンテラに軽く息を吹きかけ、だいだい色の炎を灯しました。
「事情は、あいわかったよ」
 まじない師は、やさしくレスワナに告げました。
「売っていないんだ」
 えっ、と、レスワナは顔を上げます。目が合いました。
「肖像画はまだわたしの手元にある。持ってこよう。それに、はじめから分かっていたことだけれど」と言葉を区切ってから、「あの絵もきみを呼んでいるよ」
 まじない師が奥の部屋から、くだんの肖像画を持ってきて、壁に立てかけます。まるで生きているような存在感を持つ、ナージの絵です。
「ナージ」
 絵の中で笑う恋人に向かい合い、手をふれた、そのとき、
――待っていたわ。
 声がきこえました。懐かしいナージの、澄んだ明るい声。
――信じていた。大切な、レスワナ。
 空気がきらめくなか、レスワナは、ナージの想いを感じて目を閉じます。
「ありがとう、ナージ。さよなら」


 これは、そう。
 ゆらり、ざわり、花の夢。
 人に育てられた花の、人の世界の夢であります。

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