村上春樹「女のいない男たち」より『イエスタデイ』
私が村上春樹氏の小説の中で最も好きなのは、短編集「女のいない男たち」だ。本書では、様々な理由で大切な女性を失った男たちが登場する。最近では、その中の一篇「ドライブ・マイ・カー」が映画化され、大きな話題となった。私が本書でお気に入りの話は、「イエスタデイ」である。
「イエスタデイ」は、兵庫県の芦屋生まれで標準語(東京弁)を話す男と、東京都の田園調布生まれで関西弁を話す男が主な登場人物となっている。前者は珍しい話ではないが、後者のパターンはほとんど存在しないだろう。彼は熱心な阪神タイガースファンで、阪神ファンのコミュニティに溶け込むために後天的に関西弁を学習したという。英語やフランス語を学ぶのと同じように、だ。ネイティブの関西弁を習得するため、大阪にホームステイまでしている。彼のその熱心さに私は感嘆した。
この行動を「何を馬鹿なことを」と鼻で笑うこともできるが、私は彼の関西弁に執心する気持ちはわかる気がする。話している言葉が、その人を形作っていると思うからだ。言葉によって、周囲からの見方も、自分自身の内面をも変えることができる。故郷の言葉は、自分のアイデンティティーの1部ではあるが、それを耐え難く思う人もいる。方言は、単にアクセントや、疑問詞の違いだけではない。その地域が持つ背景、歴史、特性の全てを内包している。よって、故郷の言葉をやめて別の言葉で話すことは、故郷で過ごした過去と現在の自分を切り離す手段にもなる。新たに自分をリセットする一助になるに違いない。
この話の主軸は方言ではないのだが、私にとってはとても印象深い部分だった。これからも、この「関西弁を後天的に習得した男」について折に触れて思い出すだろう。