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アニメ映画感想『ふれる。』――あの糸で服でも作ればよかったのに




1.総評

 長井龍之・岡田摩里コンビの新作である。彼らが過去に手がけた映画作品としては『心が叫びたがってるんだ。』(2015)や『空の青さを知る人よ』(2019)があり、どちらも傑作とは言えないかもしれないが、随所にアイディアが光る優れた映画ではあった。これらの映画はいずれも恋愛が絡む若い男女の群像劇という共通点があり、本作『ふれる。』(2024)の物語も、その変奏と言える内容である。
 本作の着想の中心を構成するのは、「ふれる」という謎の生物をめぐる設定だ。こいつは人と人を媒介して心を通じ合わせる能力を持つ、という。しかし実際には、揉め事になりそうな心をフィルタリングし、お互いに都合のいい心だけを媒介していたのだ! これがインターネット、SNS社会における交流の寓意であることは、誰の目にも明らかだろう。そのように繋がってきた3人の青年グループが、ふたりの女の介入によって関係性を崩壊させていく、というのが物語の基本線となる。
 おまえらは子供のころから何も変わらない、という意味のことを、登場人物のひとりが言う。実際、二十歳を過ぎても住居を共にし、大学や職場の人間とうまく付き合えず、仲間が女とキスしたとわかると小学生じみたサプライズパーティを企画してしまう彼らは、文字通り子供そのものだ。対人関係において全的な理解、全的な受容を諦めることが成熟の条件なのだとしたら、彼らはそれを経験していなかった。物語は必然的に、そのプロセスを辿りなおす方向へと向かうだろう。
 こう書くとなかなか面白そうなのだが、肝心の映画の出来は、率直に言ってひどい。誠実な秀作と評価しうる『空の青さを知る人よ』とは比べるまでもなく、この映画は、彼らの物語を誠実に語ることを途中から放棄し、なぜか異様に出来の悪いアクションシーンを唐突に展開することで物語を無理やり締めくくってしまう。登場人物がいきなり叫び始めたり走り出したりしても、そのようになっていることの理路に納得できないので「?」という印象を持つほかない。そもそも映画の作りが経済的でなく、うまく機能していないシーンやギミックが多い。こんな話なら80分で十分だろう。映画前半においてそれなりに存在感を持つストーカーの話はどうなるのかと思ったら、警察に捕まるカットが挿入されてめでたしめでたしだ。すぐ出所してくるぞ。
 しかし、この映画の何よりよくないところは、基本的に彼らの関係の変化と成長を追うドラマであるにもかかわらず、登場人物の誰にも関心が持てないところだ。もちろん、性格の悪いやつや感情移入できないやつが出てくるというのではない。どこまでも「魅力がない集団」と形容しておくしかない。主人公に関しては「すぐに手が出る」という割と深刻な人格的問題が設定されているにもかかわらず、当人に大した葛藤も見られなければ、ろくに解決もされない。とにかく映画が彼らにちゃんと寄り添おうとしないので、コミュニケーションをめぐる物語に厚みが出ないのは当然だ。この映画のスタッフには、映像で人を表現する力がないのだろうか。彼らが過去に手がけた映画を観るかぎり、そんなことは決してないように思うのだが……。



2.映画は心をどこまで撮れる?
 
岡田摩里は恋愛の力を信じ抜く作家である。その美学を全的に示した『アリスとテレスのまぼろし工場』(2023)は、映画史に残る傑作だ(と少なくともわたしは思う)。もちろんそれは、ぶつかり合う心と心が、あの長いキスシーンによって、あるいは鉄と鉄の運動と衝突によって、生々しく視覚化されているからに他ならない。あれほどのパワーには達していないにせよ、『心が叫びたがってるんだ。』は演劇と失語、『空の青さを知る人よ』は音楽と閾を用いて、触れ合う/触れ合わない心を各々に演出してきた。
 この点、『ふれる。』はコミュニケーションの映画でありながら、触れたり離れたりする心と心を映画的に表現するアイディアが欠如していた、と言わざるをえないだろう。いちおう「糸」によってそれはそのまま象徴化されているのだが、あまりに芸がないうえ、何よりそこから魅力的な運動が発生していかないので、希薄な印象しか残してくれない。糸といえば服飾君(名前を憶えていない)の営為と通ずるところがあり、「ふれる」の糸でヒロイン(名前を憶えていない)に何か服でも作ってあげたりするのかな……と思っていたが、むろんそんな展開はなかった。触れると痛いらしいので仕方ないのだが、その設定も全く活きていない。
 言うまでもなく、映画は心を描くのには向かないメディアである。映画が提示できるのは運動だけだ。何かを動かすことで初めて心が現れてくる。ところが本作は明らかに、途中で何をどう動かせばいいかわからなくなってしまっている。そこで「ふれる」の暴走という挿話を無理やりねじ込むことで、スペクタクルを捏造するしかなかったのではないだろうか。

 成人男性3人の関係を描くというのは、アニメ映画においてはたしかに珍しく、その点では本作も意欲作といえなくはない。興行的には相当苦戦するだろうが(まさかの300館規模上映である。わたしが行った回は貸切状態だった。どこからそんな勇気が湧いてくるのだろう?)、これまで少年少女と渋いおっさんばかり描いてきた日本のアニメが、表象の領域を拡大していくべき時期に差し掛かっていることは間違いないだろう。


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