う~~~~んと悩んでいること。(もうすぐ年末ですね)
このサムネの絵、リアルの自分に近いものがあって笑いました
逆倉です。
いやー、なんだか急に寒くもなりまして、
打首獄門同好会の「布団の中からでたくない」に共感する日々が始まりそうですね、
そんな今日日この頃。
年末に向けてまたあれこれ頭の中を整理しつつ方針を考えたいなと思いまして・・・
先日たおたお様の企画
に参加して記事を書いたのですが、
そこからまた少しあれこれと考えたので追記、じゃないですけど
創作について書いていきたいと思います。
ズバリ、自分の小説の持ち味について
今日はこの議題について話し合いを行いたいと思っている。
これを読まれている皆様方に置かれましてもこのようなことに悩んでおられるのであればどうぞ隣に座って歓談くだされ。
解決している人はかつてそのような悩みに頭を馳せ飛ばしていたあの頃にスリップしていただいて。
願わくば声援を。
文体
自分には自分なりの文体や流れというものがまだ無いように思うわけです。
先の文体は敬愛する作家、森見登美彦先生の文体を少々ばかり意識して書いたものである。真似事ですが。
彼作品の好きなところはずばり!テンポ感と世界観!
だと個人的には想っています。
読んだことのない人は是非読んでみて欲しいのだが、
実在する京都を舞台にそこに舞い降りる奇妙奇天烈な世界観が合わさって新しいアミノ酸のごとき旨味をもったカクテルを創り出しているのです。
こーーれは真似しようともなかなか難しい上にこれで書いていたら読者に見抜かれてしまうだろうと思う。
別にそれが悪いことだとは決して言わないし、
好きな作家や作品に似て行ってしまうのは最早必然の道だとは思うのです。
絵を描くときもまずは模写からやってますし。
ただ、たd、
小説にしろ絵にしろ
自分にしかできない!というものを作りたい。
のですよ。
そこで、
今の自分の文章
当然ながらまだまだ勉強中道半ばですから完璧だとは思っていません、
とはいえ今の自分が書いてきた文章を見返すと、
良くも悪くも普通の表現であったり、地の文とセリフのバランスが悪かったりとあれこれ思います。
文章のバランスは全体を見つつやらなければなので校正の段階でどうにかしたいところ・・・・
ただ、前者の普通の表現、これを見直したいと思っている。
世界観
自分はここ最近の作品を書いている時に意識していることは
良くも悪くも普通
である。
普通の人の普通の人生を書いて、その中にある少しの不思議や学び
を書いてみたいと思ってここに投稿してきました。
でも、自分が小説を書き始めた理由は
自分が多趣味だから
というのが大きいのであって、とするとこの
「良くも悪くも普通」と「多方面の趣味や知識を出していきたい」
というのが見事に喧嘩しているように思えてきたのです。
実際、「月を隠して」という作品では冒頭にはちらほらと天文の知識を入れてみたりしたのです。
ですが、多すぎてもくどいよな。。。という葛藤もありつつ今の形になっています。
だけど、小説の主人公だったらもう少し濃くしてもいんじゃね?
とも思ったり。
でもそれだと共感できない人物になりかねなかったり・・・
あああああああ
と言うことです。笑
あとは普通のことを書こうとしすぎている節がある気がする・・・。
これから
ただ、書きたいものは普通のことで、でもなにかそこにアクセントを入れたいんですよ。
日常的にも知識雑学で突っ込みを入れたりボケたりするような人間なので、そういうものを取り入れたい!
知識とかじゃないけど勤め先の同期で細身のっぽな男がいるんですよ、
で、彼曰く
「たいていの細いものでは呼ばれてきた
もう付けられるあだ名はない!」
的なことを言っていたので
「6時」
ってあだ名をつけたんですよ!(普通に苗字呼びしてますけどね)
こういうボケと突っ込みを入れたい!
だし、このテンション間で知識とか入れて、
「俺、この前ブランドもんの靴買ったんよ」
「え。どこの?」
「ふふん、ちょっと安くなってたんよ」
「へえ、それでどこのよ?」
「じゃ~ん!マスターマーチン!」
「ん~~あと二年足りなかった!」
とか!どうです!?
あとクイズノックさんとか見てても浮かぶんですよね
どこかの動画で
「カンブリア紀」を「寒ブリ+秋」
って表現する問題があったのですが、
「ん~~促成栽培漁業!」
とかね!?
なんか今自分のテンションがわからなくなってますが、
こういうものを書こうと思ってます!
そして、それを今連載している「シキ」が終わったら連載で初めても良いかな―と考えています!
小説の形態
というわけで今連載している「シキ」が終わったら次に行こうと考えているのですが、
圧倒的に連載小説を書くのが苦手!
ということがここ最近「シキ」を書いていて思いました。
圧倒的に短い文章の中でなにか流れを作って多少の落ちと区切りを付けなければならない・・・
今描いている文章が元々長編で書くつもりだったからというのもあるのかもしれないが、
短い中に情報を入れようとすると地の文もセリフも思うとおりに言っていない気がしてならない。というか不安になる。
でもそれだからこそ練習する価値はある。
短い中にどれぐらい価値のある文章を書けるか。
精進精進。
長編が好き
とはいえ自分的には所謂長編というぐらいの文字数で描くのが好きである。
自分が小説を執筆する前には流れや登場人物、落ちまで全部を基本的に考えてから書いている。
なので、全体観を掴めているうえで書き進めると楽だしいくらでも書けるならくどくないぐらいで詰め込めるのだ。楽しい。
ので長編はばんばん書いてオラオラと応募していきたいですね
短編も
短編も別に嫌いではない。
連載の文章量が少なすぎるだけで短編ぐらいのものならまだ耐えている気はする。
実際、ここ最近は更新できていないが「キシ」という「シキ」の対になる作品は所謂一話完結の短編小説になっていて、個人的には好きな形だ。
まあ、せっかくアイデア出したしもっと文章もりもりで長編にしてやろうか!!?
とも思わなくもないが、今のこの作品は短編だからこそのふらっとフワッとした感じが気に入っているのでこのまま続けますかね、
自分らしさ
話は戻りまして再び小説の個性についてです。
先ほどから「普通」を書きたいとほざいているものの、
普通、って何ですかね?とは常々思うわけです。
仕事柄人と接する機会というものが多いのですが、「普通の人」を感じることは無いですね、
みんな個性があるわけです。
なので思ったのです、
「自分らしさ」
を持っている、あるいは気づかずとも周りからなにか「らしさ」
を思われているということがある意味で「普通」なのかなって。
「月を隠して」の主人公も自分は個性が無いと思っていても、天体が好きで本が好きで、周りに認められて小説家になった人ですし、
「シキ」の主人公も自分が頑張っても実らなかったり特別なことをしようとして上手くいかなかったり周りと合わなかったりするなかで人生を歩いていくというのがある意味彼女の普通であり他の人が経験しない特別なことなのだろうなと。
その人が生きている日常がその人なりの「普通」であり、
それは周りの人や読者からしたらその人たちの「普通」には当てはまらないから特別を感じる。
今、目の前に広がる生活が普通。
「事実は小説より奇なり」とありますが、
「自分は他人よりも奇で、他人も自分からは奇なり」
この視点こそが普通を創り出すのかなと今これを書いていて思いました。
やるしかない!
こんなあれこれとうだうだ書いていても結局一番はこれでしょうね、
手を動かせ!頭を使え!血反吐はいてもタイピングを止めるな!!!
頑張ります!!!