ニにしてニにあらず|ゼロヒャク思考の罠
皆さん、こんにちは。
今日は、
極端な二者択一の考え方をあらためて、
より良い人生を生きるための話をしたい。
何らかの決断を下すにあたって、
◯◯しなくちゃいけない、
△△でなくてはだめだ、
▢▢すべきだ、
等と考えることが
誰にでもあるのではないだろうか。
もちろん、
それが全て間違っているという意味でもない。
ようは自分の置かれた状況に応じて
判断することが重要で、
よく確かめたり考えたりもせずに、
極端な選択をすることに注意しておく
必要があるということだ。
健康か病気か
勝ち組か負け組か、
善か悪か、
成功か失敗か、
といった意味の二者択一だ。
しかしながら、
誰しも
置かれた状況や価値観、
目指す目標は異なるものだ。
1.ゼロヒャク思考
病気で言うと、
症状や原因というのは一人ひとり異なるため、
仮に同じ病気であったとしても、
その状況は異なる話だ。
全員が同じように同じ対応をしなくてはいけない、
等といった極端な考えをすることには
注意が必要ということだ。
精神科医の樺沢紫苑先生は、
極端な二者択一の方法について、
「ゼロヒャク思考」として、
注意を呼びかけている。
「ゼロヒャク思考」とは、
物事を極端な二択で判断する思考パターンのことで、
具体的には以下のような特徴がある。
0点か100点かという極端な評価をする傾向
イエスかノーかの二者択一で物事を決める
成功か失敗かの二分法的な判断をする
この思考パターンは
以下のような問題を引き起こす可能性がある。
生きにくさを感じやすく、うつ病になりやすい
ストレスがたまりやすい
メンタル疾患の回復が遅くなる
樺沢先生は、
ゼロヒャク思考から抜け出すために以下の方法を提案している。
数値化する:成功や失敗を0か100ではなく、65~70点といった中間的な評価をする
プランBを用意する:失敗した場合の代替案を常に考えておく
グラデーションで考える練習をする:良い点と悪い点を両方評価し、総合的に判断する
ゼロヒャク思考を手放すことで、ストレスフリーで楽しく生きていくことができ、メンタルの回復にも効果があるとされている。
2.ニにしてニにあらず
仏教学者の植木雅俊先生の著書では、
「ニにしてニにあらず」という話がある。
この表現は、
二元論的な考え方を超越した真理を示している。
例えば、
「生死涅槃、二途にあらず」
という表現がある。
この考え方は、
「中道」の思想とも関連している。
対立する概念を統合し、
より高次の真理を見出すことを目指している。
「至道無難、ただ揀択を嫌う」
という言葉も、
この考え方を補強している。
この思想は、
現実世界の複雑さや矛盾を受け入れ、
固定観念や偏見から解放されることを促す。
この「ニにしてニにあらず」の考え方は、
物事を単純に二分法で捉えるのではなく、
より深い洞察と理解を得るための
重要な仏教の教えの一つである。
前述の1.ゼロヒャク思考と、
2.ニにしてニにあらず、
という考え方は、
本質的に同じことを言っているものと考えられる。
3.英語学習でみるゼロヒャク思考
もっと身近な例として、
英語学習においても
二者択一的な考え方をする人は多い。
特にタラレバ思考はこれに近い。
留学すれば英語がうまくなる。
➔実際には英語が上達する人達は少なく、
上達できない人達の方が多い。
単語をたくさん覚えなければ英会話はできない。
➔ネイテイブの子どもたちは、
難しい単語を知らなくても会話できている。
文法がわかれば英会話ができる。
➔ネイティブの子どもたちは、
文法わかっていないけど会話している。
文法を学ぶのは学校に行くようになってからだ。
自分は記憶力がないから単語を覚えるのは無理だ。
➔人間の頭の構造は人種や国籍によらず同じで、
自分という人物だけが特殊な人体構造を持っているわけではない。
正しい学習方法を知れば、
英会話は誰にでもできる。
何が正しいのか、
間違っているのかということを
状況を考えずに一般論で決めつけるのではなく、
今の自分のレベルから次のレベルへと
ステップアップすること、
成長していく、
向上していくということが重要だ。
自分の今の状況について、
100点でないから0点だと卑下せず、
10点から20点へ
20点から30点へと
向上し続けることが重要だ。
学生の時のことも思い出してほしい。
常に100点しか取らない人、
常に0点しか取らない人等は皆無だ。
ほとんどの人は100点と0点の間であり、
全て完璧だとか、
一切無理だとか考える必要はない。
いずれか一つという二者択一ではなく、
現在という状況から
未来の状況に向かって、
自分の現実を客観的に評価して、
継続努力することで実力もついてくる。
4.開発途上国の例
私の場合は開発途上国のプロジェクトに
長年関わってきたり、
多数の国で仕事に携わってきたことから、
こういう質問をされることがよくある。
「今まで行った国でどこが一番良かったですか?」
私にはこういう質問をする人達の意図が理解できない。
一人の人間でも様々な側面があり、
価値観、経験、知識、長所、短所等の多面性があるため、
一括りにこの人はこうだと決めつけるのは難しい。
ましてや一つの国になれば、
政治、経済、外交、人口、地理的条件、観光、食事等、
個人とはまた異なる意味での多面性がある。
それをどうして一括りにして、
何を基準として
一番とかニ番とか決められるのだろうか。
私には全く理解できない。
少なくとも「人間」という意味では、
どこの国の人達も一生懸命生きているだけで、
どこの誰が一番等と言えるのだろうか。
開発途上国について評価しようとしても、
単純比較等できるはずもない。
ある程度発展している国もあるし、
まだまだ遅れている部分もあるかもしれないが、
だから全てだめだということでもない。
例えば「経済面でどうか」という視点で評価しようとしても、
同じ国の中でも都市部と農村部の格差が
日本以上に大きいという課題があり、
それを平均して全ての国民が貧しいというわけでもない。
国によって経済面での改善度合いは違っても、
やはり全て完璧に良い国だとか、
完全に悪い国だとかいった評価は、
あまりにも的はずれだ。
私自身の経験として感じたのは、
中近東、アフリカ、中南米、アジア、欧米、
いずれの国の人達も、
人間性という意味では
魅力溢れる人達がたくさんいたので、
その中で誰が一番だとか、
どの国が一番だとかいう話ではない。
5.まとめ
何事も
全て完璧に良いとか
完全に悪いといった評価はできない。
ただ現状という時点から改善または向上すべく、
努力を続けるといった以外にはない。
自分自身も開発途上人であり、
何かを完璧にできるということは一つもないけど、
一切何もできない、
ということでもない。
ただ日々努力し続けるというだけだ。
ゼロヒャク思考にとらわれず、
現在から未来へ努力し続けていってもらいたい。
以上