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Just Another DayからDay After Dayへ(『next to normal』感想総括)
あっという間に結構な時間が経ってしまいましたが、『next to normal』大千秋楽おめでとうございました。この演目に、このカンパニーに、そして好きな俳優さんが演じてくださるこのタイミングで出会えて本当に良かったと何度でも噛み締めたくなる上演期間でした。
流行病が猛威を振る時期の、シングルキャストでの誇るべき完走。そして、2年前とは異なりこのテーマをシングルキャストで務めてくださったこと。観劇後はこの後皆さんが元の姿へと戻れるのか心配になるほどキャストの皆さんが舞台上で懸命に生きてくださったけど、座長をはじめとしたゆるっとしたオフの雰囲気とお互いへのリスペクトを感じられる毎回のカテコがとても安心できる時間だった。
初見時にもnoteを書いたのですが、これから描こうとしてる内容とやっぱり違うので、初見の感想も残しておいて良かったな!観劇回数を重ね、あらゆる気づきに出会うたびに衝撃が走るような、千秋楽後もとにかく「考え続けたい」作品でした。
1.観劇振り返り(ミュオタとしての日記)
①多ステしたくてたまらなかった
東京で5回、兵庫で1回、合計6回観劇できました。できるだけ見逃したくない衝動に駆られ、途中でチケットを譲っていただいて、当初の予定より回数が増えました。もっと観てる人も、1回の観劇で終える方もいらっしゃると思うので、観劇回数のちょうど良さは人それぞれだということを前提として言いたいのは、多ステできて良かったなということ。
2024年に観劇した作品全体を振り返ると、1回きりだと理解しきれなかったものもあったけど(予習をしなかった自分の甘えの問題)、next to normalも実はそうでした。というか、1回だけでは全てを解ることができず、まずテーマに圧倒され、この激しい音楽じゃないとこのテーマをミュージカル化できないだろうなと理解させられるほどのロックにも圧倒され、そして回数を重ねてくるごとに見えてくる景色や関係性に嗚咽が止まらなくなる作品だった。
②なんで泣いてたんだろう
それぞれの立場の切なさや、関係性によって涙腺を刺激し続けられていた。初見は、ラストナンバーのLightでずっと閉じていた後ろの幕が開く瞬間に色々と決壊して、何で泣いてるのか、何で涙腺に来たのかはわからないけど、自分で理由を紐解くことに理性を使う前に、感情の扉が開いてしまってた。
現実に起こりうる病気を題材にしているから手放してフィクションとして楽しむことはできないの作品だからこそ御涙頂戴的な観点では語りたくはないけど、回数を重ねるたびに奥行きと視野が広がる作品だからこそ、新たに見えてくる景色から感じる「ままならなさ」が切なくて、でもそれぞれの決断が眩しくて、初見以降も泣いていたし、東京前楽や楽、そして兵庫千秋楽は涙腺のコントロールができなくなったことも、この作品の持つ威力であるということを自分の中で刻み込んでおきたい。
2.衣装の色考察 誰一人として同じ色はいない
※好き勝手書きすぎているので、この世のどこかにはちゃんとした正解があるかもしれないけど……全て個人の想像です!
初見観劇前、6人が見事なグラデーションで並ぶこの写真に出会い、衣装の色には秘密があるのだろうと意識しながら観劇したところ、本当に面白かった。この写真の通り、フィナーレはゲイブから(写真では見切れているけど)右端のドクター・マッデンまで、赤から紫への見事なグラデーションの構成。一言で例えられてしまう色の種類が濃淡によってこんなにも絶妙な唯一無二の色を持つこと、そして誰一人同じ色がないのだということ。
初見後、「紫=(タイトルの通りでもある)普通のとなり」だと仮定し、「赤=グッドマン家が考える『普通ではない状態』」だと考えていたけど、この考え方は最後まで変わらず。「赤=危険信号」のような位置付けもあったかもしれないし、対照的な色である青も服め、赤と青の位置付けがキーになっていたのだろうな。
ある意味無機質で、この場所が「家」だということを最低限の要素伝えてくれる舞台セットだからこそ、衣装の色の違いが際立ち、衣装の色で訴えかけてていたのだろうな。
以下、衣装替えが特に多めだった2人、ダイアナとゲイブの衣装のメモを。
①ダイアナ 狂おしいほどお似合いの赤いワンピース
・Prelude〜Just Another Day:グレーのロングカーディガンに白のワンピース
・Who's Crazy/My Psychopharmacologist and I:ベージュトレンチに赤いワンピース
・I Miss the Mountains〜Superboy and Inbisible Girl:赤いワンピース
・I'm Alive〜There's World:白いブラウス
・Didn't I See This Movie?〜A Light in the Dark:白地に水玉の病衣
・Wish I Were Here:白の病衣
・Song of Forgetting:水色のブラウス
・Second and Years〜So Anyway:グレーのロングカーディガンに白シャツ
・Light:紫のシャツ
良い状態じゃない時なのに、赤いワンピースをダイアナ(というか望海さん)が凄く綺麗に着こなされていることが逆に目を覆いたくなるほど残酷でもあるけど、あまりにもお似合いなので目が離せないほど惹き付けられた。ECT手術を経て退院以降、ボトムスはデニムのパンツスタイルだったことも印象的。序盤の赤いワンピースとの対比としてとても効いていたし、自分の足で一歩踏み出すラストシーンをより印象づけてくれた。
②ゲイブ 生きている証明としての青、死へと誘う白、消されてしまった黒
ボトムスは白タキシードや手術着以外ほぼ同じだったので割愛し、トップスの色変遷のみ追ってみます。
・Prelude〜Superboy and Inbisible Girl:青
・I’m Alive〜Make up Your Mind/Catch Me I'm Falling:紫
・I Dreamed a Dance〜There's World:白タキシード
・Didn't I See This Movie?〜A Light in the Dark:青
・Wish I Were Here:紫の手術着
・Aftershocks:黒
・I’m Alive(Rep.)〜Make up Your Mind/Catch Me I'm Falling(Rep.):青
・I Am the One(Rep.)〜:赤
ゲイブほど何回も着替えている登場人物がいないからこそ、色の変遷が面白かったし、ダイアナを死に誘うような「I Dreamed a Dance〜There's World」の白タキシードは目眩がするほど素敵。ダイアナもトップスが白だから、白=死の色だと思っていた。
ダイアナのECT後、彼女の記憶から居なくなったゲイブが黒のシャツに着替えて登場するのは、「黒=忘れ去られた色」としてあまりにも直球の表現ですごく良くて、だからこそ残酷さを突きつけてくれた。
ダイアナは赤から始まって紫にたどり着くけど、ゲイブは青から始まって紫も途中で挟みつつ最後は赤に辿り着く。2人の色の変化の過程が真逆で、
・ゲイブにとっての青=ダイアナの中で彼自身がまだ生きていた時。生の証明。
・ゲイブにとっての紫=ダイアナが治療を受けている時
・ゲイブにとっての赤=ダンにようやく姿を認識してもらえた時
と、勝手に考えているけど、ゲイブにも感情があったことを改めて考えさせられるきっかけになった。
ここまで書いて、じゃあダイアナが青を着ていなかったのは何故なんだろう?と思い始めてきたけど、もしかしたらECT手術後の退院時の水色ブラウスや、その後のボトムスがジーンズで統一されていたところにも青要素はあったかもしれなくて、ゲイブのように「生の証明」というほど強くなくても、ほのかな青は宿っていたのかもしれない。
他にも、ダイアナが赤を着なくなったクライマックスからダンが赤を着始めたり、赤いリュックを背負い続けたナタリーが最後にダイアナにリュックを下ろしてもらって向かったダンスパーティーでヘンリーに見せた青のドレス姿など、色にまつわる象徴的なシーンが多かったな。
3.登場人物同士の関係性
①変わり続けるグッドマン家/変わらないヘンリーとドクター・マッデン
そんなふうに対比になっていたのかなと思う。ヘンリーが変わらずナタリーの心の拠り所で居続けてくれたことがこの物語の“良心”だったし、ドクター・マッデンが徹底してダイアナに変に同情したりせず理性的な最適解を考え続けてくれたからこそ、ダイアナが自分の足で進む道を決めた「さよなら、ドクター・マッデン」の展開に繋がった。
②ダイアナ、ゲイブ、ダン 孤独同士の関係性
観劇している立場としては、ダイアナとゲイブに背徳的な関係を見出してしまうのだけど、ダンはたまらないだろうな。I Am the Oneで、ダイアナはゲイブの手を握り最後は目の前で彼にダイアナが抱きつくのだから。今隣にいるはずの夫である自分を差し置いて、もう今は存在しないはずの息子に。
でも、I Am the Oneでダイアナが声を荒げるきっかけになるダンの発言を考えると、ダイアナは病気のことをわかってもらえないもどかしさや孤独に苛まれていた。だからゲイブとダンスを踊っていた。I Dreamed a Danceの「ひとりぼっち」という歌詞が大千秋楽にして刺さった。
ダンもダイアナがいないと生きていけない(I've Been)と雑巾で床を拭きながら歌うし、これは自殺未遂をしたダイアナの血なのかな…って考えてた。
ゲイブも亡くなっている設定ではあるけど、自分の存在証明に足掻く姿が切ない。
③ダイアナとナタリーの関係性
兄には敵わない妹、兄のことで頭が一杯な母、カレンダーが4月のままで自分のピアノのリサイタルの日程だって把握していない母。
「誰かさんのお誕生時よ〜!」の地獄絵図の惨さと言ったらなくて。嬉しそうな母、ご満悦の兄、悪態つく娘。自分の娘の誕生日を覚えていなかったことが容易に想像できるからこそ、ラストシーンのダイアナが旅立った後のグッドマン家でダンがナタリーにケーキを運んでくる展開では涙を堪えることなんてできない。
それでも、ダイアナのECT手術中と、ナタリーのクラブ通いでトリップ中にお互い意識の中で再会する描き方は、やはり2人が心の奥深いところでは繋がっていることを示唆してくれるし、2幕のI'm Alive(Rep.)でもう一度ゲイブが見え始めたダイアナが泣き叫んでに助けを求めるのはナタリーであることと、最後にダイアナがナタリーの赤いリュックを下ろすことがやっぱりとても象徴的で極限で手を差し出し合う描写が沁みた。ダイアナとナタリーは、「あの子が生まれた時抱くことができなかった」のセリフでわかるダイアナの心境や、ダイアナがゲイブを溺愛する姿に対するナタリーの悪態が日常化しつつも、心のどこかで助けて、助けられての繋がりがあったんだろうなと思った。「どうするの?」「あなたをダンス行かせる」、この2言を脳内再生するだけで鼻の奥がツンとしてしまう。
余談だけど、ケーキの形がゲイブとナタリーで違うんだよね。ゲイブは丸、ナタリーは四角。ヘンリーが歌う「君は四角、僕はカーブ」を思い出してしまった。
④ダイアナとダン、ナタリーとヘンリー 対比され重なり合う関係性
恋人同士だった過去の2人と、現在進行形で恋人になった2人。それぞれのペアが違う空間にいる演出なのに、ダイアナとナタリー、ダンとヘンリーのセリフが同時に重なる描写がすごく好き。この描写は、ダイアナとナタリーが親子である事実を象徴するものでありつつ、親子だからこそ、自分も母のような病気になったら?とナタリーがヘンリーに泣きながら訴えるのは居た堪れないし、病気がこういう観点でも家族を蝕むのかハッとさせられた。そんなナタリーに、彼女をきつく抱きかかえるヘンリーが居てくれて居場所になってくれれ本当によかった。
4.ダイアナの心の行方
症状として躁鬱を繰り返し、そんな中でも彼女の「感情」が見え隠れする瞬間にとても心を動かされた。ヘンリーとの関係が垣間見えたナタリーを目撃したことで彼女の感情が動いたり、(I Miss the Mountains)、ダンに自分の辛さを理解しているような口を利かれて怒ったり(I Am the One)。
病気のせいで興奮しているのではなく、感情を出すきっかけになったのが、やはり薬との決別が伺えたI Miss the Mountainsなのかな。
ダイアナが自分の意思で、ドクターマッデンの治療を止めて、ナタリーを自由にして、ダンと離れて家を出ることを決断した最後の展開も本当に好きで、全編通して涙がとまらない状態ではあったけど、私はここに1番涙したなぁ。So Anyway〜I Am the One〜Lightで順に歌い手が変わるけど、この流れが本当にたまらない。
5.ストーリーと音楽の力に飲まれないキャストの力
圧倒的なストーリーと、そこに音楽をつけるならもう他のジャンルは考えられないというロック調の音楽の融合、その要素だけでこの作品の全てを語り尽くせてしまいそうな勢いではあるけど、細かいところまで観せてくれるキャストさんが大好きで、リスペクトが止まらなくて……この6人でのnext to normalに間に合えてよかった。
①ダイアナ/望海風斗さん
ジェットコースターのような症状だけでなく、起こったり、泣いたり、叫んだり、望海さんがダイアナとしてそういう一面を曝け出してくれたことも見応えの一つだった。症状ではなく感情。激しい楽曲をこれでもかと歌い上げる望海さんも大好きだけど、So Anywayが大好きでした。あの空間で動いているのはダイアナただ1人、テーブルの席についたダンも微動だにしないままで、支えてもらってばかりだったダイアナが、物語を動かせるほどになったんだ気付かされる彼女の立ち位置にも感動してしまう。
表現の引き出しの豊かさによって、我々の蓋を開けては閉めてを繰り返し、緩急つけて抗えない波を起こしてくれる望海さんに、私はいつだって感情の生殺与奪の権を握られていたい。全ての涙を望海さんに捧げたいくらい。ミュージカルの世界で活躍してくれる時代に私も生きててよかった。
本編で全てを出し切ってくださるからこそのゆるふわなカーテンコールが大好きだったけど、初見(12/8のぴあ貸切)で「私達はこの通り元気でやっていますので!」と仰ったことにとても救われたなぁ。テーマと熱演が相まって、ちゃんとオフの姿に戻れるのか心配になってしまうほどだったので。
東京千秋楽と大千秋楽のご挨拶も、座長である彼女の寛容さに惚れるものだった。
#nexttonormal という作品に出会えて良かったし望海さんが演じるダイアナに出会えて良かったなと噛み締めた本日。カテコの、2年前はダイアナのこと変わった人だと思ってたけど今は良き相棒だという話がとても刺さったし、ゆるっと&とても綺麗にまとめる我らが座長が誇らしかった!お疲れ様でした! pic.twitter.com/037NNK9Ytr
— 灰 (@xxx3220amo) December 30, 2024
「皆さんがちゃんとした挨拶してる中ちゃんとした挨拶ができない人間なんですけどそういう人が居てもいいかなって」って保険かけた望海さんが結局もの凄くちゃんとした挨拶をされて「ちゃんとした挨拶できた!」って子供みたいにはしゃいでたの本ッッ当に大好き 6者6様のご挨拶のラストに相応しすぎた
— 灰 (@xxx3220amo) December 30, 2024
捌けた後もう一回出てきてくれて皆で一本締めする流れで「これ一丁締めっていうんですよ!学んだんですよラジオで😏」ってドヤ顔してたのも大好きすぎて困った あと望海さんカテコの登場の仕方が思い切りジャンプしてプールに飛び込む人みたいになってたのも解放感あって最高だったよ可愛すぎる座長…
— 灰 (@xxx3220amo) December 30, 2024
next to normal大楽カテコ望海さんのご挨拶(ニュアンス)出だしの「終わってホッとしてるけど人生はまだ続いていく」「終わる時にホッとできる人生を送りたい」という話がまずとても良くて、公演を終えた安堵感だけじゃなくこの作品のラストの通り“人生は続く”ことを強調してくれた意義を噛み締めたい
— 灰 (@xxx3220amo) January 13, 2025
観劇って非日常で特別なイベントだけど、特別でなくありふれた日常を過ごすため&どんな状況にいる誰にでも寄り添ってくれるメッセージをくれた事実にもう本当に胸が熱くなってしまった。あと「この作品を思い出してもらえたら嬉しいし、『思い出したくない』というのでも良いと思う」と言えるのも強い
— 灰 (@xxx3220amo) January 13, 2025
カンパニーなら大楽を迎えようとこの作品が長く愛されることを望むはずなのに、テーマがテーマだからこの作品とどう付き合っていくのか、マイナス要素も含めて全部受け止めてくれるのが本当に人として大きいなぁと寛大な心に惚れ惚れしてしまったし、ダイアナを全うした後にこのご挨拶言えるの凄すぎて
— 灰 (@xxx3220amo) January 13, 2025
客席に「幸あれ!」って言い出した望海さん、「ダイアナの『幸せだと思ってる人はちゃんと考えてないバカなだけ』が毎回刺さってたんですけど、でも私は幸せ感じちゃうのでバカでいいやって」が逆に刺さってしまったんだけど、望海さんが今後も幸せ感じ続けてくれると良いな〜皆さんにも一生幸あれ😭
— 灰 (@xxx3220amo) January 13, 2025
1幕でドクターマッデンに幸せを感じたタイミングを問われて「幸せだと思ってる人はちゃんと考えてないバカなだけ」と答えるダイアナだけど、2幕How Could I Ever Forget?ではゲイブが生まれた時期のことを「幸せだった」とちゃんと歌うのが、彼女が感情も記憶も取り戻した証拠なので本当に胸に来る😭
— 灰 (@xxx3220amo) January 13, 2025
幸せに感じる人を見下していたようなダイアナが、How Could I Ever Forget?で「幸せだった」と歌えるようになるのも、彼女がそう感じられるようになるまでの過程を示唆するもので大好きだったなぁ。
②ゲイブ/甲斐翔真さん
ゲイブはダイアナにだけ見えている姿なので、彼の成長はダイアナが長年彼女の頭の中だけで彼を成長し続けていた証拠なのだと考えると、甲斐くんの体つきが立派であればあるほど虚しい。そして、身体は大きくても表情管理が幼くて、誕生日を祝ってもらう時の自慢げな顔、ダイアナと結託する時の企み顔、自分が忘れ去られてしまったことを悟る寂しそうな顔、ダンにやっと名前を呼んでもらえた時の嬉しそうな顔、そういう素直な表情が全開になることで、身体と表情のギャップが更に切なくて、甲斐くんの細かな演技が光る役だった。ムーランルージュのクリスチャンでも甲斐くん愛が高まったけど、n2nのこのゲイブがドストライクに好きでした。東京公演後に久々に拝見した兵庫の大千秋楽で、I'm Aliveのロングトーンを最後アレンジして音階上がっていったのが本当にかっこよくて、そういうことするよね甲斐くん……って、ムーランルージュのEl Tango de Roxanneのロングトーンでも音階上がっていった甲斐クリスチャンを思い出した。東京千秋楽で語っていた「既に亡くなっているはずの役を演じているからこそ、何を考えているのかを客席側に悟られたくなくてカテコではあまり喋らないようにしてた」と言う話にとても胸打たれた。どこまでもプロ意識が高い。大楽で話してくれた内容もさすがだった。
改めて気付かされたけど、誰よりも孤独だったゲイブの甲斐くんがカテコで「“1人じゃない”とはいかないと思うけど(実際1人の人もいると思うので“1人じゃない”とは言えないというニュアンス)、(今辛い境遇の人も)“自分だけじゃない”と思ってもらえたら」と孤独に寄り添う言葉を残しててさすがだった
— 灰 (@xxx3220amo) January 13, 2025
【番外編】「一旦解散」した“のぞかい”、2人だからこそのI Dreamed a Dance
next to normal(2022)→ムーランルージュ(2023)→イザボー(2024)→ムーランルージュ(2024)→next to normal(2024-25)と、親子と恋人を繰り返した2人。ただの親子ではないダイアナとゲイブという形で一旦ゴールを切った2人だけど、この役があったのはムーランルージュを経たからなんだろうなと思えるほどのI Dreamed a Dance〜There's a Worldでした。「自由になれるよ」の歌詞に合わせて、ダイアナの腕の向きをゲイブがくるっとひっくり返し、手首が顕になるのが辛いけど絵として本当に綺麗。「手首に前腕、多数の切り傷」とボイスレコーダーに吹き込むドクター・マッデンの声ともかぶる。
I Dreamed a Danceがもう本当に大好きで、あのオルゴールが聴こえてくるだけで涙腺に来てしまうような公演期間だったけど、ゲイブはダイアナが全てを委ねたくなるほどの存在だった、と理解させられる状況がもう本当にたまらない。
I'm Aliveのラストで互いに手を伸ばすけど届かない2人とか、2幕のI'm Alive(Rep.)〜The Breakの歌い継ぎとか、すれ違う描写もとても良かった。
③ダン/渡辺大輔さん
個人的に今まで渡辺さんの役で印象深いのがウェイトレスのアール、ベートーヴェンのフィッツオークなので、圧倒的にヴィランの印象が強くて、優しいダンだけど本編途中で豹変したらどうしようかと初見は戦々恐々としてました(笑)
東京千秋楽で、この作品でちゃんとメッセージを届けたかったんだと涙ながらに語る姿が忘れられない。心根が清らかで素敵な人なんだろうな。ウェイトレスもベートーヴェンも大好きな作品だけど、渡辺さんのダンにも出会えて良かった。
ダンは静かに耐える芝居が続くとても難しい役だと思うけど、深く大きな愛でダイアナを信じ続けて、尽くし続け、最後は精神科医にかかる兆しが見えて終わるのも、綺麗事で終わらないことを物語の中で描いてくれていて良かった。ダイアナが床で作ったサンドイッチを片付けたり、ゲイブの誕生日を祝おうと持ってきたケーキをI Am the Oneの後に片付けたり、自殺未遂でダイアナが運ばれた後だと思われる現場をバケツと雑巾で処理したり、地道だけど「元に戻そう」ととにかく必死で、観続けるのも不憫になる程だったけど、It’s Gonna Be Good(Rep.)で初めて物に当たるほど感情を荒げるのが印象的だった。12/15のイープラス貸切で、あまりにも勢いよく床に叩きつけられたオルゴールが客席下手前方に飛んでくるというハプニングがあったけど、皆でプラみポーズを練習する前に渡辺さんが「少しいいですか?……(下手前方の座席に近づいてしゃがみ込んで)あの、大丈夫でしたか?」というやりとりが忘れられない。
やっぱり大好きなのはHow Could I Ever Forgetで、ゲイブが赤ちゃんだった頃の記憶を取り戻そうとするダイアナを目の前にし、そうなればまたティーンエイジャーのゲイブの幻想まで取り戻しそうなのでそれを妨げたいダン。彼女の記憶を取り戻したいけどそうすればまた病気が悪い方に……という究極の葛藤だったろうな。
④ナタリー/小向なるさん
ラストナンバーのLightの歌い出しをナタリーが担ったり、タイトルでもある「next to normal」を初めて言うのもナタリーなので、重要なパートがナタリーをきっかけに始まることが多いなぁという印象で、ナタリーをきっかけにI Miss the Mountainsが始まったり、ECT治療中に脳内で合流したり、ダイアナにとってもキーとなる人物だったんだけど、小向さんの歌唱力で魅せる感情表現の虜になってしまいました。
小向さん、東京と兵庫の千秋楽でご挨拶される姿を拝見したけど、飾らずそのままの言葉を絞り出すような真摯さが素敵だった。
⑤ヘンリー/吉高志音さん
ヘンリーも決して完璧ではないし、ナタリー曰く注意欠陥障害を患っているとのことだけど、この物語の安心剤のような存在。出会った頃から変わらないヘンリーだからこそ、ナタリーが変わることができた。
上手側から初めて観劇した時に気づいたけど、最後にダンがナタリーのためにケーキを運んでくる時、彼女にケーキがバレないように参考書でうまく隠してるんだよね。どこまでも良い人だ… 作中の年齢や年代を表すセリフと照らし合わせると、ヘンリーはゲイブと同い年かな?
初めましての吉高さんの安定観と、ヘンリーだって完璧ではないと思わせてくれるおぼつかなさ、そして大きな心でナタリーを包んでくれる分け隔てのない愛が本当に見事だった。
小向さんと吉高さんのペア、望海さんと渡辺さんのペアと同じく本当に聴かせる二人なので、耳福でした。ダイアナとナタリーそれぞれを支えることを改めて誓うPromiseも好きだったなぁ。
⑥ドクター・マッデン/ドクター・ファイン 中河内雅貴さん
ヘンリーが変わらないでいてくれたおかげでナタリーが変われたように、変わっていくグッドマン家のそばでドクターが変わらないでいてくれたからこそ、ドクターに頼るダイアナとドクターから卒業するダイアナという対比が描かれたと思う。
ガウチさん、ロックスターも似合いすぎていたなぁ。この作品のWikipediaでは「ロックスター」って紹介されていたので、最初はそういう治療方法をする人なのかと思ってしまったけど、そんなわけなくて(笑)、ダイアナ目線で、ダイアナの興奮の仕方や、それを受けたドクターの彼女への反応や距離の取り方も回によって違ったのも思い出深い。
大千秋楽のガウチさんのご挨拶が今でも心に残ってる。6人のうち半分が前回から続投、もう半分が今回が初参加ということで、卒なくこなしていく続投組への焦りもあったそう。当時を思い返して「何なんだこの作品は!」って悔しそうに床を蹴っていたけど笑、プロとしてのプライドを持ちながら、難しいテーマを持つこの作品と格闘していたんだと、麗しの舞台姿の下でもがいていたことを隠さず教えてくださることも素敵だった。
余談ですが、出演者のうち半分がムーランルージュのカンパニー。ということは、彼ら彼女らのおたく達は「歓声元年」とも言われたあの声出しに慣れている。ということで、カテコは客席のFoooooooooo !!!!も大変熱くて楽しかったし、ムーランルージュのトートバッグを持った方を会場で見かけると勝手に嬉しくなっていた。
6.おわりに それでも人生は続いていく
タイトルにも書いたけど、最初(Just Another Day)と最後(Light)のミュージカルナンバーで使われる「来る日も来る日も」を現す単語が変わるのが面白くて。毎日をやり過ごしているような幕開き、そして幕開きと同じように人生が続いていく中でも光が見えるんだという幕引き。大きなドラマが起きなくたって、普遍的な毎日に差し込む光には無限大の可能性も期待もある。
大千秋楽の挨拶で、望海さんが「この作品を『思い出したくない』と思ってもらっても構わない」という趣旨のことを仰っていたことはもうずっと忘れられない。この作品は「それでも人生は続いていく」という大きなテーマを提示した上で現実に寄り添ってくれたミュージカルだからこそ、自分のリアルな生活との距離感によって、観劇後の感想も人それぞれ。それを寛容に受け付けてくれたことに頭が上がらない。人生はミュージカルのようには行かないけど、人生に寄り添ってくれるミュージカルはある。そういう絶対的な価値観を与えてくれた、大好きな作品になりました。
ただ、この作品を通じて私が1番言いたいことって何なのか、それがずっとわからなくて、何でこの長文を書いているのかもわからなくなり、実は9割書いてそのまま1ヶ月以上置いてしまっていました。でも、今日2/25の帝劇コンで望海さんと甲斐くんがn2n兵庫大千秋楽以降初めて公の場で並ぶと思うので、新しい“のぞかい”の並びが生まれる前に、この長文を終わらせることにします。1番言いたいことをシンプルにまとめることなんてできなかった。諦めのようだけどその事実を結論にして。おわり!