【楽曲語り】君エール・前編〜君からのエール、僕からのエール【まいにちFinally・day12】
こんにちは!灰色です。
昨日のLIVEラッシュの余韻がまだ冷めておりませんが、本日もまいふぁい始めましょう。
今回はいよいよ、個別楽曲語りの記事でございます。記念すべき第一号は(昨年のロッケンは除く)「君エール」です!
今回も凄まじい分量になったため、前後編分割でお届けします。
なお、本記事および以降の楽曲考察にあたっては以下の記事シリーズと共通するワードを頻繁に使うため、こちらを先にお読みいただくことを推奨いたします。
FinallyとFimillyの「双方向性」、そして「今」の大切さを象徴する楽曲
いきなり結論になりますが、私の考える君エールの特徴は「双方向性」「今」の二つに集約されます。
以前の記事で論じた「双方向性」とは、Finallyの楽曲に含まれる「Finallyとファン=Fimillyの双方へ向けた・当てはまるメッセージ性」のことを私が独自に(勝手に)定義した言葉です。
その観点から君エールという曲を見ていくと、一貫して双方向性を持った楽曲であること、それゆえにこの曲が二者の関係性を象徴するような存在であることが、実にくっきりと浮かび上がってきます。
また、この曲はサビに代表される通り、「今」に焦点を当てた言葉が繰り返し登場します。そこから読み取れるのは、いかにFinallyというグループが「今、この瞬間」を大切にしているかという想いです。この点も、君エールを語るのには外せない要素でしょう。
では、具体的にはどういった点が当てはまるのか。今回は音源でも確認できる内容(主に歌詞)と、ステージにおけるLIVEパフォーマンスの二つの切り口で見ていきましょう。前編では、このうち前者を取り上げます。
①綴られる「今」、そして「エール」
Finallyの曲は、いわゆる世間一般の「アイドルらしい」ものが少ない傾向にあります。たとえば、「君にずっと片想いしてる」というような甘酸っぱい恋愛系、直球の「ファンのみんなが大好きだよ☆」というようなメロメロ・カワイイ系、「頭空っぽでバカ騒ぎ!」というような沸き曲系などが、「王道アイドルソング」として形成されたイメージでしょうか。
彼女たちの真剣さを彼女たちの作詞で反映しているFinallyの楽曲群にはこうしたカラーは薄く、それよりも「格好良く、かつ盛り上がるキャッチーさ」「熱くストレートなメッセージ」が多く見られます。
そんな中で、君エールのジャンルは曲名から分かる通り、いわゆる「応援歌」に分類されます。応援歌というと学ランハチマキの団長が合唱しているイメージがあるので、「応援ソング」の方が好ましいでしょうか。
応援ソングの系統は、他のアイドルグループでも頻繁に制作・パフォーマンスされる傾向があるため、君エールは他のFinally楽曲よりも「アイドルらしさ」が濃いようにも思えます。しかし、この曲が並の楽曲と一線を画す理由こそが「双方向性」にあるのです。
では、歌詞の具体的なポイントを順に見ていきましょう。
冒頭から、この曲は「君」「僕」の両者を謳っていることが示されます。「汗と涙」のうち、 「汗」から連想されるのは、肉体を追いこむこともいとわず努力を続ける姿や、熱いLIVEステージでの弾ける汗。そして、喜怒哀楽いずれの感情をも内包しうる「涙」と続きます。
この後は「君だけの明日」と続きますが、汗と涙を流してきたのは君=聴き手だけでなく、僕=歌い手であるFinallyにもそのまま当てはまります。
続いて歌われるのは、「期待と不安」が入り混じった「僕らの未来」。ここの「僕ら」は、歌い手のことだけでなく、僕と君の両方、とも受け取れます。その未来とは、大きな期待と不安を抱きながらも大ステージに立つ日。あるいは、彼女たちが念願の日本武道館に立つビジョンかもしれません。
そうした未来の夢、目標をFinallyとFimillyが共有していることが、たとえば「We are」ではこのように叫ばれています。
また、「照り返す想い」という言葉を使って、抱く想いの熱さ・強さを真夏の太陽の陽射しにたとえているところもFinallyらしさが感じられ、素敵な表現です。
ここまでの歌詞が、一歩一歩しっかりと地を踏みしめて歩き出すようなサウンドと歌声に乗って流れてきます。そして、そこから一気に勢いをつけて走りはじめる姿を連想させる展開と透明感あふれるファルセットが美しく響き渡り、1番がスタートします。
迷うこと、焦り、苦しみ、それら今この瞬間にある全てに、無駄なことなんてない。その言葉は、平坦でない道を歩み続けた末にFinallyを結成した彼女たちにこそ当てはまります。今胸のうちにあるネガティブな感情をも、彼女たちは前へ進む糧にするのです。
一方で、「今このとき」とリンクする「限られた時間」という言葉からは、否が応でもグループとして活動を続けていく期間を連想させられます。しかし、彼女たちはそれを決してネガティブなこととしては考えず、全力で「命燃やして」いくことを宣言します。
それこそが、自らの手でチャンスを掴みとり、栄光のあのステージ=日本武道館LIVEへとたどり着くための唯一の道だからです。
一番サビは大サビと歌詞が共通しているため、最後で改めて言及します。
胸の中に勇気を抱いても、すぐそばにある弱さが消えることはありません。そうした人間らしいネガティブな面も、一貫してFinallyは肯定します。
「期待に怯えた雨のあとの空」というフレーズも、非常に独特かつリアルな感情の伝わる表現です。雨が上がって空が晴れ渡れば、人々は外に出て活動的になります。しかしそれは同時に、「外に出て元気に振る舞う」ことを無言のうちに強いられているような、そんな圧力を感じさせる雰囲気でもあるかもしれません。
準備期間を経たFinallyのデビューは、まさに雨上がりにドアを開け放って飛び出した瞬間でした。雨の中で力を蓄えている間も、ひしひしと感じられた周囲からの期待。いざ表舞台に立ったらそれを裏切ってしまうのではないか、と怯える等身大の感情、ステージに立つ者の葛藤も、素直に打ち明けられています。
しかし、Finallyがそれに負けることはありませんでした。手を取り合った「僕ら」とは、血よりも濃い絆でつながった6人のメンバーであり、そしてそんな彼女たちの再出発を待っていたFimillyです。
1番の同じ部分とは違い、2番では「今」感じているポジティブな感情に言及されています。「この瞬間」が指し示しているのは、一回限りの時間であり、同じものが二度とないFinallyのLIVEそのものに他なりません。
観客がFinallyのステージを見て感じる喜び、あるいはLIVEの時間を心待ちにする期待が日々の自分を支えてくれること。
Finally自身がステージに立つ喜び、そして観客から寄せられる期待がその頑張りの支えとなっていること。
ここにも、双方向性が成り立っています。
そして「奇跡なんてものは待つものじゃないんだ」「掴め その手で起こす未来を」の箇所は、誰かに与えられる受け身の立場を良しとせず独立したFinallyのスタンス表明です。
この世に君だけのピースは、君という存在はたった一つしかない。そのメッセージは、「君は君で、そのままで」とも共通しています。
この歌詞もまた双方向性を含んでおり、「君」を「Finally」に置き換えても成立することは、以前の記事で触れた通りです。
であれば、「君だけのピース」とはどれが欠けても成り立たない、メンバーの一人一人となります。
誰の真似もせず、手探りで活動していけばいい。この世に同じもののない6つのピースが、Finallyという形に全てはまってさえいれば。
やわらかく頬を撫でる風ではありません。強く激しく吹き、弱いものをなぎ倒してしまいかねないような「疾風」。
けれど、それに負けずにしっかりと立ち、涙を拭い背中を押してもらう助けにできるほど「君」はたくましく生きているのだから、途方にくれたってまた前に進める。
初めて聴いたときに最もインパクトがあり、驚くと同時に困惑も覚えた「疾風(はやて)」というワードチョイスですが、今の私はこのように解釈しています。
「何度転んだっていい」「間違いなんか一つもない」という肯定の激励。Finallyが歩いてきた道のり、味わってきた挫折や紆余曲折の全ては決して間違いではありません。そして、同じことは聴き手ひとりひとりの人生にも共通して言えます。けも双方向性を持った一節です。
だからこそ、きれいな形でなくても、格好がつかなくても、自分なりのやり方でいいから、君も叫んでみろ。
自分のため、大切な人のために、君なりのエールを。
「君エール」とは、「君へのエール」であると同時に、「君からのエール」のです。
「君」と「僕」の物語は、同じ夢を描くという共通点のもと、ここに重なりました。お互いが揃っていなければ描けない景色とは、紛れもなく武道館のステージであり、そこから眺める大観衆の姿です。
「急ぎ足の青い記憶」の中にいるのは、目標との距離に焦りを募らせたばかりいた、若く幼かった自分たちの姿です。Finallyになる前の彼女たち、とも言えるでしょう。しかし、それをも決して否定することなく胸の中に抱いて、今ここにFinallyは雄飛の時を迎えたのです。
たった一度きり、同じ瞬間の二度とない「今」。それがLIVEのステージとも受け取れることは、既に述べました。それゆえに「昨日よりも超えろ」という言葉が示すものは、過ぎ去った日々の克服であると同時に、常にベストパフォーマンスを見せること、前回よりも進化したステージを見せ続けることでもあります。
リーダーのJuriをはじめ、Finallyのメンバーたちは常々「毎回のLIVEではその時に出せる最高のものを必ず出す」「一回一回のLIVEに立てることを感謝し、糧にする」と語ってくれます。そして、全員が一丸となって努力し、工夫し、有言実行を続けています。
曲数が多くない一方でLIVEが頻繁に行われるインディーズアイドルであるからこそ、「今」を大切にする。そして、自分たちの昨日を超え続ける。
これほどまでに真摯なプロフェッショナル精神を貫けるのは、彼女たちに信じているものがあるからこそです。それは「強く鳴り響く鼓動」。肉体の躍動感を思わせるこの言葉は、激しいダンスと全力の歌声を真髄とするFinallyのスタイルを表すものです。
ハードなレッスンの中で響く鼓動ならば、鍛え続けてきた努力の証。
そしてステージの上で高鳴る鼓動は、観客の熱量と共鳴し昂揚する、ガールズロックグループFinallyの燃える魂そのものです。
荒ぶる疾風は、いつだって強く美しく生きる者に味方します。その力を恐れず、自らの追い風としてFinallyは高く高く飛翔し、未来へと物語を進めていきます。
何度失敗しても、挫折しても、決して答えは失われません。それはいつも、眼差しに……はるか先に見据える、確たる目標にあります。そしてまた、そこから目を逸らさずに見つめ続ける、一人一人の目の光そのものも、揺るぎない答えです。
そんな彼女たちのエールは、聴く者の勇気と情熱を呼び起こします。
そして、それを受け取った者も……私たちもまた、不器用であっても、それぞれが精一杯に遠くまでエールを叫びます。
たとえステージに立つことはなくても、Finallyのように今を真剣に生きていれば、きっと「僕エール」もまた別の誰かのエネルギーを呼び起こせる。そう、彼女たちが教えてくれたからです。
君エールとは、「君へのエール」と「君からのエール」の二つの意味を持った、Finallyらしい双方向性を象徴する言葉でした。
そして、この瞬間にしか存在しない「今」を大切にして、昨日よりも前へ進み続ける強い意志があるからこそ、そのエールは何物にも負けない力を持ち、はるか遠くまで響き渡って魂を呼び起こすのです。
以上、歌詞を追いながら考察を展開してまいりました。ちょっと思い入れが強すぎてあまりにも長くなりましたので、ここまでを前編といたします。
後編のテーマは、②LIVEで贈り合う「エール」です。
まだ何かあるの?と言われそうですが、皆様明日の「まいふぁい」もよろしくお願いします!