Finallyのことば。【まいにちFinally・day39】
こんにちは!黙らない男、灰色です。
いよいよあと2日と迫ってまいりました、3/26のバンド編成ワンマンLIVE!当noteも最後の追い込み期間というところですね。
さて、本日のテーマは「Finallyのことば」。
これだけだと何のこっちゃという感じですね。
具体的にはまた歌詞の話なのですが、これまでのように具体性の強い話ではなく、少し抽象的、概念的な話です。文系トーンの強い内容になるかもしれませんが、よろしければお付き合いくださいませ。
突然ですが、この頃私は文章やことばに関する本を多く読んでおります。
もともとその手の本には全く触らず、完全な我流でやってきたのですが、最近はありがたいことにnoteをお褒めいただけることも増えてまいりましたので、もう少し理論的な部分も含めてプロにちゃんと学ぼうと、そう考えを改めました。
とはいえ、ビジネス文書だの分かりやすく伝える技術だのは書店でめくっただけでもほとんど通過済み・実践済みの内容であることが多々あるため、むしろより精神的な方向、物書きの心得のようなものを求めています。
そんな中で、この本とは長い付き合いになりそうだと嬉しくなった名著がいくつかあるのですが、そのうちの一つに「これから詩を読み、書くひとのための詩の教室」という本がありました。
著者は松下育男。実際に詩の教室を開いて教えている方です。しかし、内容は技術や理論の類ではありません。「読み」「書く」と銘打たれたことからも分かる通り、詩を創作する人だけでなくそれを受け取る側に対しても、心構えやそもそも詩とは何かというような広いテーマにいたるまで、詩というものとの触れ合い方、ことばで何かを描くこととそれを受け取ること、そういった内容が主要な部分を占めています。
であるため、必然的にその講義内容は詩だけではなく、それを構成する「ことば」そのものへも多く言及されています。非常に丁寧に綴られた本のため、まだその全てを読み終えてはいないのですが、その中でも一つ鮮烈に印象を残したメッセージがありました。
それは、「ことば」そのものを愛することです。
一つ一つのことばが内包する意味合いはもちろんのこと、言語としての機能だけでなく、響きや形といったものに至るまで。あるいは、それを構成する一文字一文字すらとさえ、深く向き合って咀嚼していくこと、そして意識的につなげていくこと。
それは取りも直さず、ことば自体を想い、愛することと同義です。
私はこのことについて書かれた一節を読んだ後から、世界の片隅でささやかながらも記事を書いている人間の端くれとして、明らかに意識が変わりました。
自分の書いたものを構成する、一つ一つの分子を愛する。そうして初めて、人に届く文章が書ける。
本気でそう思い、日々の記事にも反映させようとしています。
といっても、読者の皆様から見ると全く変化がないとお感じかとも思いますが、ひとまずはそうですかというくらいに受け止めておいていただければ幸いです。本題はここからですので。
ことばを愛すること。それは楽曲の歌詞を受け止めるときにも、私にとっては必須の姿勢となりました。もちろん、今日それを語る対象はFinallyの音楽です。
アーティストが歌詞を書くのには、どれほどの時間がかかるのでしょうか。
一つだけほぼ確実に言えるのは、最終的に残るものよりも遥かに多くのことばと向き合い、楽曲自体の尺よりもずっと長い時間をかけて、歌詞は生み出されていくということです。
ポップスやロックナンバーをはじめ、日本で歌われている多くは、3〜5分程度で作られています(キリがないので例外は省略します)。そのため、果てしない思索によって膨大な言葉と格闘したとしても、実際に謳われるのはいわばその上澄み、あるいは結晶となったごく一部に過ぎません。
よって、最終的に完成した詞を表面的に追うだけでは、その前段にあった連想や背景となった文脈をつかみとることは困難です。時間制限という面からも、このnoteのように何ら制約のないパーソナルな文章媒体と歌詞は根本的に異なっているとも言えますね。
言い換えれば、歌詞というものを真に楽しむためには、形としてアウトプットされたものだけでなく、それに至るまでの過程を想像し解釈することが必要なのです。
もっと思いきって言えば、歌詞は(そして楽曲それ自体は)世に出た時点ではまだ未完成で、受容する側が作用してはじめて完成するとも考えられます。
本の話が続いて恐縮なのですが、私が好きな考え方に「本は筆者が生涯をかけて何かに打ち込んだ成果を、ほんの数時間で手にいれられる。そのため、読書こそが最もコストパフォーマンスに優れた娯楽なのだ」というものがあります(最近はタイパ=タイムパフォーマンスというのが流行っていますが、単なる言葉遊びの感が強いので避けています)。
さらにもう一つ、「本を読んでいるとき、読者と筆者は空間も時間も超えて一対一で対話している」という精神も、私の心に強くインパクトを残しています。
これらを合わせ、そして音楽に話を戻すと、歌詞を考察することはアーティスト自身との対話であり、その精神性を受け止める……さらには思想をぶつけ合うことに他なりません。
なんと贅沢で幸せに満ちた時間でしょうか。このことに気付いたからには、もう後戻りはできなくなってしまいました。
そろそろFinallyに焦点を絞りましょう。何度となく言ってきたことですが、私はFinallyの歌詞が大好きです。このグループ最大の魅力の一つが、歌詞の言葉選びや表現の奥深さだと考えています。
「Innocent War」の「燃えてた心に冷水がかかり 脆く弱い僕は僕自身を失った」。
「淡恋」なら、「線香花火が消えたら 夏は終わり告げるから 世界で一番熱くなれ 忘れられない 淡い恋を」。
「愛迷」の「灰色の空に向かって 二人堕ちてく この愛で」。
あるいは、「走れ」に出てくる「あっち、こっちも棚に爆上げ」も。
そして、「花瓶」の「幸せとはきっと 求めるものじゃなく 与え 支え そうやって増えていく奇跡だ」。
どの曲にもそれぞれ、鮮烈に光って私の心を惹きつけるフレーズが本当にたくさんあります。
この言葉を選ぶとき、リンちゃんはどんな思いだったのだろう。
メグはどういう気持ちで、この表現に決めたのだろう。
ジュリちゃんはどれほどたくさんの感情を、この一文に込めたのだろう。
そんなことに思いを馳せれば馳せるほど、楽曲たちは新しい表情を見せ、私をいっそう夢中にしてくれます。
実際にお会いした方ならご存じの通り、私はネットのみならずオフラインでも結構なお喋り野郎なので、常に目の前の人へ伝えたいことが爆発してしまいます。
ジュリちゃんほどではないとはいえマシンガントークに自信はあるものの、ことFinallyの話になればそうそう止まれませんし、時間を忘れて際限なく話したくなってしまいます。
そんな私ですから、彼女たちの楽曲のよさ、特に一つ一つのことばから感じたことを特典会で喋ろうものなら、チェキ券が何百枚あろうと絶対に足りません。
そのことこそが、私をここまでnoteに駆り立てる原点でもあります。
もちろん私ごときの記事をご本人たちが読んでくれることなどは、期待するべきではありません。
ただ、誰も読んでいなくても構わないので、私がFinallyのことばから受け取ったもの、連想した出来事、思い描いた物語を、何とかして忘れたくないのです。
彼女たち自身が紡いだことばの一つ一つを噛みしめて、大切に愛して、アーティストとの対話の時間へと深く深く潜っていたいのです。
それほどに、私はFinallyのことばが大好きです。
彼女たちのことを考えて書かれた、他のミュージシャンのことばも大好きです。
そして、それらを読み解いていく中で全く新しい発想が舞い降り、脳髄に電光が走るような、あの瞬間が大好きです。
だから私は、こうしてフワフワした記事を書いてまで、伝えようと試みています。
彼女たちが書いてくれたことばを愛せば愛するほど、Finallyのことも同じように、もっともっと大好きになっていくことを。
その自由の贅沢さ、かけがえのない価値を。
また新曲とタイマンを張るのが、心底楽しみです。
今回のまいふぁいはここまでとなります!
皆様お読みいただきありがとうございました!
また次回お会いしましょう!!
〜今日のシェア〜
0326でベースを担当する滝口さんも所属されている感覚ピエロから、灰色の一番好きな曲をリンちゃんが歌ってくれました!
鼻をつまんでいるのはベース音を表現したかった……らしいです。
評価・シェアよろしくお願いします!