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その時、私の人生と交わった。肥薩線、3つのエピソード【②21歳編】

令和2年の大災害により、大きな損害を受けたJR肥薩線。今、肥薩線は岐路に立たされている。肥薩線の未来が変わろうとしている。それが嬉しい方向へなのか、悲しい方向へなのかはまだ分からない。
だけど思い返すと、私の人生は間違いなく、いくつかの場面で肥薩線と大きく交差していたと気付く。

今回は、シリーズの②21歳編となります。
エピソード①はこちら↓


大学4年のゼミ旅行、行先は

2011年、夏。21歳の私は大学4年生。
大学生最後の夏休み、所属するゼミのメンバーと先生と一緒に熊本旅行へ行くことに。
大学は福岡市内の都市部にあったため、ゼミ生の半数以上は福岡県民で、あとは九州各地の地方出身者が数名。そのうち、熊本県民が一番多く占めていたと記憶している。そんな理由もあってか、行先は熊本に。そして一番のお目当ては、当時肥薩線開業100周年を記念して運行が始まり、何かと話題になっていた『SL人吉号』に乗車しよう!というものであった。
SL人吉号は、私のふるさとである坂本町を通過する。以前からSLの写真をゼミで共有していたこともあり、SLといえば私!?といったところで当然、幹事となり、もう一人の熊本出身者と二人でゼミ旅行の計画を立てることになった。

念願のSL人吉号乗車!

それまで、坂本町に帰省した際に、沿線から眺めるだけであったSL人吉号。そんな憧れの存在であった蒸気機関車に、乗車する日がいよいよやって来た。
その時の写真がこちら。

この9年後に大水害が襲うとは思ってもいなかった。この駅舎は奇跡的に被害を免れた

残念ながら残っていた写真はこれだけ。
肝心の車窓からの眺めをうつしたものは一切あらず…。
当日は、午前9時に熊本駅に集合し、9:44発のSLに乗車し、終点の人吉駅まで行っているようであるが、ほどんど記憶に残っておらず(苦笑)
かすかな記憶しかないが、ひとつだけはっきりと、このとき感じたことがある。それは、SLは乗車するよりも、かえって沿線から走っている様子を眺める方が興奮する、ということであった…!(あくまでも私の感覚)
なんだかんだで、坂本の自然いっぱいの中を走る黒い蒸気機関車を間近で見るのが私は一番好きだ。

※➂27歳編につづく…(更新日未定)


JR肥薩線の復旧を願い、沿線の住民が動き出しています!

現在署名活動をされていますので、趣旨にご賛同いただける方はどうぞよろしくお願いいたします。

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